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マリー・アントワネット
11話
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とある火曜日。
フランスでは、食に重きを置くお国柄だからなのか、昼食の時間が二時間以上ある学校も多い。自宅へ帰って食事をする者もいるほどだ。
中央には人口大理石を使った噴水が立ち上り、その周りには等間隔で八つの長い木製ベンチが取り囲む。石畳にはゴミひとつなく、雇われた清掃業者がしっかりと仕事をこなしている。そしてその周りには大小様々な花が植えられており、秋の優雅なひとときを演出している。
そのなかのベンチのひとつ。そこでジェイド・カスターニュは空を見上げているが、なにも思考していない。どちらかといえば眠い。食後だからしかたない。そして彼女はひとりでこうすることを好む。雲ひとつない晴天、あ、いや、ちょっとあったわ。なんかクロワッサンみたいな形だ、とその程度しか脳がまわらない。
水曜日以外は、学校が一八時近くまであるため、あまり働くことができない。閉店近くに行って、練習させてもらう程度だ。そういったこともあり、
「ジェイド、いつものある?」
そう、後ろから声をかけてきたのは、同じ普通科に通うポーレット・バルドー。ジェイドと空の間に入り、さっきまで空で満たされていた彼女の瞳が、ポーレットでいっぱいになる。
三秒ほど遅れて、ジェイドは乾いた笑みを浮かべた。
「なんかよくないものでも販売してるみたいな言い方だね。今日はオランジェットを作らせてもらったから。食べたことある?」
そう言ってジェイドがカバンから袋詰めにしたオランジェットを取り出す。乾燥して輪切りにされたオレンジにショコラがかかったものと、細長い棒のような形状のもの。それらが数個ずつ入っている。WXYでは両方販売しており、練習のかいもあって、見た目は店売りのものと遜色ない。
「ありがと。ないけど、WXYの味なんでしょ? 美味しいに決まってる」
老舗ショコラトリー『WXY』。パリのショコラ激戦区である七区で、不動の地位を築いており、海外からの認知度も高く、諸外国のデパートなどでも店舗が入っている。ポーレットが疑う余地はなにもない。
自信はあるが、実際に販売はさせてもらっていないこともあり、ほんの少しジェイドはソワソワする。自分で食べても美味しかったが、他人の評価はわからない。もしイマイチだったら、ポーレットにとっての店の評価が決まってしまう気がして、申し訳なさがある。何気ないフリして、チラチラと見ながら彼女が食べる瞬間を待つ。
「一応、試食はしてもらってるけど、みんなの評判がよかったらお店の試食用に出すよ。同じ機材と手順のはずだから」
平静を装ってはいるが、少しドキドキする。ちょくちょくこうやってプレゼントすることはあるが、何度やっても慣れない。案外小心者だな、という自分に気づいた。
「充分美味しいと思うけどね。てか、うまっ! 店のより美味しいってことない?」
ひと口サイズの金柑を頬張りながら、ポーレットは驚嘆した。オレンジのオランジェットは食べたことはあるが、金柑は初めて。こっちのほうが好きかも、と彼女の好きなショコラランキングに変動があった。しかもまだ見習いというけれど、充分に戦力だ。独立してもいいんじゃないか、と飛躍した考えも浮かぶ。
ほっと胸を撫で下ろしたジェイドは、ベンチに深く座り込んだ。
「ないない。でもそう言ってくれると嬉しいね」
苦笑しながらも本心を打ち明ける。店のより美味しかったらいいなぁ、と希望を持つ。
全て平らげ、ベンチの後ろに立ちながら、ポーレットは噴水を見つめた。キラキラと光が乱反射して眩しい。目を細めながらジェイドに問う。
「そのまま働き続けるの? それとも卒業したら製菓学校に行く?」
なんとなく、聞いてみたくなった。やりたいことを努力しながら続けるジェイドが、光のように感じたのかもしれない。乱反射しながら光が、どの道を進んでいくのか。私だったら、どうしたいのだろうか。
同じく、ジェイドも光を見つめた。自分のこれからを照らし続けてくれるのだろうか。
「どうかな。まだなにも考えていない。本当にショコラティエールになりたいのかも、わからなくなるときあるし。いや、こんなに色々やらせてもらっといて、何言ってんだって話だけど」
音もなく、自分と空気の境界が曖昧になるような瞬間、ふと考える。わざわざベルギーからショコラを学びに、そして努力をして有名ショコラトリーで働かせてまでもらって。そんな恵まれた環境を、全て捨て去ってしまったら私はどうなるのだろう。どんな生き方を選ぶのだろうか。むしろ、そんな時に選んだことこそが、自分のやりたいことなんじゃないのか?
でも、その一歩は踏み出せない。せっかくここまでこれた。まだ、スタートラインなのかもしれないが、そこに立つ資格は得た。ジェイドは外側から物事を見て、冷静に判断する。このまま憧れの道に進んでいいのかと。
フランスでは、食に重きを置くお国柄だからなのか、昼食の時間が二時間以上ある学校も多い。自宅へ帰って食事をする者もいるほどだ。
中央には人口大理石を使った噴水が立ち上り、その周りには等間隔で八つの長い木製ベンチが取り囲む。石畳にはゴミひとつなく、雇われた清掃業者がしっかりと仕事をこなしている。そしてその周りには大小様々な花が植えられており、秋の優雅なひとときを演出している。
そのなかのベンチのひとつ。そこでジェイド・カスターニュは空を見上げているが、なにも思考していない。どちらかといえば眠い。食後だからしかたない。そして彼女はひとりでこうすることを好む。雲ひとつない晴天、あ、いや、ちょっとあったわ。なんかクロワッサンみたいな形だ、とその程度しか脳がまわらない。
水曜日以外は、学校が一八時近くまであるため、あまり働くことができない。閉店近くに行って、練習させてもらう程度だ。そういったこともあり、
「ジェイド、いつものある?」
そう、後ろから声をかけてきたのは、同じ普通科に通うポーレット・バルドー。ジェイドと空の間に入り、さっきまで空で満たされていた彼女の瞳が、ポーレットでいっぱいになる。
三秒ほど遅れて、ジェイドは乾いた笑みを浮かべた。
「なんかよくないものでも販売してるみたいな言い方だね。今日はオランジェットを作らせてもらったから。食べたことある?」
そう言ってジェイドがカバンから袋詰めにしたオランジェットを取り出す。乾燥して輪切りにされたオレンジにショコラがかかったものと、細長い棒のような形状のもの。それらが数個ずつ入っている。WXYでは両方販売しており、練習のかいもあって、見た目は店売りのものと遜色ない。
「ありがと。ないけど、WXYの味なんでしょ? 美味しいに決まってる」
老舗ショコラトリー『WXY』。パリのショコラ激戦区である七区で、不動の地位を築いており、海外からの認知度も高く、諸外国のデパートなどでも店舗が入っている。ポーレットが疑う余地はなにもない。
自信はあるが、実際に販売はさせてもらっていないこともあり、ほんの少しジェイドはソワソワする。自分で食べても美味しかったが、他人の評価はわからない。もしイマイチだったら、ポーレットにとっての店の評価が決まってしまう気がして、申し訳なさがある。何気ないフリして、チラチラと見ながら彼女が食べる瞬間を待つ。
「一応、試食はしてもらってるけど、みんなの評判がよかったらお店の試食用に出すよ。同じ機材と手順のはずだから」
平静を装ってはいるが、少しドキドキする。ちょくちょくこうやってプレゼントすることはあるが、何度やっても慣れない。案外小心者だな、という自分に気づいた。
「充分美味しいと思うけどね。てか、うまっ! 店のより美味しいってことない?」
ひと口サイズの金柑を頬張りながら、ポーレットは驚嘆した。オレンジのオランジェットは食べたことはあるが、金柑は初めて。こっちのほうが好きかも、と彼女の好きなショコラランキングに変動があった。しかもまだ見習いというけれど、充分に戦力だ。独立してもいいんじゃないか、と飛躍した考えも浮かぶ。
ほっと胸を撫で下ろしたジェイドは、ベンチに深く座り込んだ。
「ないない。でもそう言ってくれると嬉しいね」
苦笑しながらも本心を打ち明ける。店のより美味しかったらいいなぁ、と希望を持つ。
全て平らげ、ベンチの後ろに立ちながら、ポーレットは噴水を見つめた。キラキラと光が乱反射して眩しい。目を細めながらジェイドに問う。
「そのまま働き続けるの? それとも卒業したら製菓学校に行く?」
なんとなく、聞いてみたくなった。やりたいことを努力しながら続けるジェイドが、光のように感じたのかもしれない。乱反射しながら光が、どの道を進んでいくのか。私だったら、どうしたいのだろうか。
同じく、ジェイドも光を見つめた。自分のこれからを照らし続けてくれるのだろうか。
「どうかな。まだなにも考えていない。本当にショコラティエールになりたいのかも、わからなくなるときあるし。いや、こんなに色々やらせてもらっといて、何言ってんだって話だけど」
音もなく、自分と空気の境界が曖昧になるような瞬間、ふと考える。わざわざベルギーからショコラを学びに、そして努力をして有名ショコラトリーで働かせてまでもらって。そんな恵まれた環境を、全て捨て去ってしまったら私はどうなるのだろう。どんな生き方を選ぶのだろうか。むしろ、そんな時に選んだことこそが、自分のやりたいことなんじゃないのか?
でも、その一歩は踏み出せない。せっかくここまでこれた。まだ、スタートラインなのかもしれないが、そこに立つ資格は得た。ジェイドは外側から物事を見て、冷静に判断する。このまま憧れの道に進んでいいのかと。
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