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71話
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「たしかに。だけど、勝ってもらわなきゃ困る」
マスターが携帯の画面を見せてくる。なにやらデカい数字と、その横に『BET』と書かれている。そして笑う。
「なるほど」
覗き見て、頬杖をつきながらシシーは視線を外した。しょうもないことを。
マスターは込み上げてくる笑いを押し殺すのに精一杯。
「キミにオールインしてる。僕の全財産。負けたら次の日から公園生活」
どう考えても無茶で無謀な賭け。プロやグランドマスターがひしめくトーナメントで、まさか女子高生が勝ち上がるなんて、誰も思わないだろう。ゆえの約六〇〇倍。名前を聞いたことがある人はいないはず。
再度コーヒー飲み、満足そうにシシーは左耳のイヤリングに触れた。
「プレッシャーかけるね。まぁいい。五八四倍だ。死ぬまでに使い切れるのか?」
マスターの全財産がいくらかわからないが、もし一〇〇万ユーロもしあるとしたら、五億八四〇〇万ユーロ。プロの金満スポーツチームが、超大型の大量な選手補強でも、そんなに使わないだろう。たしかプレミアリーグでチェルシーが約五億ユーロ使い、その時も世界が揺れに揺れた。それ以上。
「いいね。死ぬ前に一花咲かせるか、パッと散るか。ギャンブルの本質だ」
負けたらビールが飲めなくなるというのに、マスターはどこか楽しそうに話す。むしろ、生き生きとしている。安定した生活よりも、負ける可能性のある刺激的な日々を求める。そんなイカれた男。
「それと約束だけど」
と、思い出したように追加する。
しかし、言いたいことはシシーにはわかっていた。
「命は賭けない。全世界に中継されるしな。だが、相手がプレッシャーで死んだら、それは知らんぞ」
自分からは殺さないし、死ぬつもりもない。だが、ハプニングは知らん、と言い切る。さすがにそこまで責任は持てない。自分の快楽のためには、命を賭けるほうがいいのだが、それは禁止すると約束した。
マスターは、うんうんと頷く。
「あと、その通り全世界に中継されちゃうわけだけど、顔はどうするの? 隠す? ちなみに、選手それぞれへの投げ銭もある。公正に分配されるけど、若い女の子なら結構もらえるかもね。美人だし」
「論外だな。一応、学校では優等生で通ってる。バレたくない。仮面でも被るか。怪しい女ってのも悪くないだろ」
表向きはなんらやましい大会ではないはずなので、出場自体がダメなことはないのだが、あまり学校に迷惑をかけたくはない。できればシシーとしては、正体不明で通したいところだ。
それを先読みしたマスターが、ゴソゴソとカバンから取り出す。
「そういうと思って、ほら。『森』をテーマにしてる喫茶店があるんだけど、そこのイベントで使ったマスク。狐。日本の職人に作ってもらった」
顔の上半分を覆った狐のお面。たしかにこれならバレないだろう。女性的な美しさもある。
だが、肝心のシシーは不満気な表情を見せる。
「……俺って『毒蜂』って名前で出てるんだよな?」
見るからに種類が違う。昆虫と哺乳類。早い段階で道が分かれている。視聴者からツッコまれてしまうだろう。
「狐のお面て、五穀豊穣や家内安全、商売繁盛を祈願するんだって」
マスターが豆知識、いや狐知識を披露し、なんとか宥めようとする。個人的にはオススメなものだ。なんだかセクシーじゃない?
はぁ、と呆れたようにシシーはため息を吐いた。
「してどうする。そんなおめでたい存在じゃないぞ俺は」
相手は金銭的に大損するかもしれないんだから。なにが商売繁盛だ、と悪態をつく。むしろ疫病神だ。
眉を曇らせたマスターは、納得いかず反論する。
「だってリアルの蜂の顔って怖いし。可愛く作ったら絶対にビーネちゃん、着けてくれないし。他にはクマとかシカとかリスとかタヌキとか。オススメはフクロウ」
ジャラジャラとテーブルの上に披露し、店を広げる。店長の子は喜んでつけてくれたのに、と文句を続ける。
「……普通のはないのか」
ひとつひとつ持ち上げて確認しながら、顰めっ面のシシーは違うものを要求する。というか、自分でこのあと買いに行くか悩む。この人のセンスに任せていたら、たぶんずっと決まらない。
ふふふ、と笑いながらさらにマスターはカバンから取り出す。
「他にはエジプトで買った、レプリカのツタンカーメンマスク、アボリジニの原住民からもらった木彫りのトーテムマスク、日本の能面てのもある。ちょっと怖いね」
「……」
さすがにそろそろシシーは言葉がなくなってくる。期待せず一応確認するが、その中のものでひとつ、本意ではないが気に入った。それを手に取る。
「……これでいい」
ヴェネチアンマスクのなかでも、コロンビナと呼ばれる種類のもの。顔の上半分を覆い、装着すると右上あたりに蝶の小さな装飾がされている。
「蜂じゃないよこれ。イタリアで買ったヤツなんだけど……あ、そういうこと」
蜂と蝶。なるほど、とマスターが納得する。
「『蝶のように舞い、蜂のように刺す』、モハメド・アリだな」
シシーも鼻で笑う。自分自身に、なにやってるんだか、と。
(さて、どんなヤツと当たるかね。ぶっ飛んだヤツだと嬉しいが)
心躍る。ようやく、ようやくだ。そして一度仮面を装着し、付け心地を確かめた。
マスターが携帯の画面を見せてくる。なにやらデカい数字と、その横に『BET』と書かれている。そして笑う。
「なるほど」
覗き見て、頬杖をつきながらシシーは視線を外した。しょうもないことを。
マスターは込み上げてくる笑いを押し殺すのに精一杯。
「キミにオールインしてる。僕の全財産。負けたら次の日から公園生活」
どう考えても無茶で無謀な賭け。プロやグランドマスターがひしめくトーナメントで、まさか女子高生が勝ち上がるなんて、誰も思わないだろう。ゆえの約六〇〇倍。名前を聞いたことがある人はいないはず。
再度コーヒー飲み、満足そうにシシーは左耳のイヤリングに触れた。
「プレッシャーかけるね。まぁいい。五八四倍だ。死ぬまでに使い切れるのか?」
マスターの全財産がいくらかわからないが、もし一〇〇万ユーロもしあるとしたら、五億八四〇〇万ユーロ。プロの金満スポーツチームが、超大型の大量な選手補強でも、そんなに使わないだろう。たしかプレミアリーグでチェルシーが約五億ユーロ使い、その時も世界が揺れに揺れた。それ以上。
「いいね。死ぬ前に一花咲かせるか、パッと散るか。ギャンブルの本質だ」
負けたらビールが飲めなくなるというのに、マスターはどこか楽しそうに話す。むしろ、生き生きとしている。安定した生活よりも、負ける可能性のある刺激的な日々を求める。そんなイカれた男。
「それと約束だけど」
と、思い出したように追加する。
しかし、言いたいことはシシーにはわかっていた。
「命は賭けない。全世界に中継されるしな。だが、相手がプレッシャーで死んだら、それは知らんぞ」
自分からは殺さないし、死ぬつもりもない。だが、ハプニングは知らん、と言い切る。さすがにそこまで責任は持てない。自分の快楽のためには、命を賭けるほうがいいのだが、それは禁止すると約束した。
マスターは、うんうんと頷く。
「あと、その通り全世界に中継されちゃうわけだけど、顔はどうするの? 隠す? ちなみに、選手それぞれへの投げ銭もある。公正に分配されるけど、若い女の子なら結構もらえるかもね。美人だし」
「論外だな。一応、学校では優等生で通ってる。バレたくない。仮面でも被るか。怪しい女ってのも悪くないだろ」
表向きはなんらやましい大会ではないはずなので、出場自体がダメなことはないのだが、あまり学校に迷惑をかけたくはない。できればシシーとしては、正体不明で通したいところだ。
それを先読みしたマスターが、ゴソゴソとカバンから取り出す。
「そういうと思って、ほら。『森』をテーマにしてる喫茶店があるんだけど、そこのイベントで使ったマスク。狐。日本の職人に作ってもらった」
顔の上半分を覆った狐のお面。たしかにこれならバレないだろう。女性的な美しさもある。
だが、肝心のシシーは不満気な表情を見せる。
「……俺って『毒蜂』って名前で出てるんだよな?」
見るからに種類が違う。昆虫と哺乳類。早い段階で道が分かれている。視聴者からツッコまれてしまうだろう。
「狐のお面て、五穀豊穣や家内安全、商売繁盛を祈願するんだって」
マスターが豆知識、いや狐知識を披露し、なんとか宥めようとする。個人的にはオススメなものだ。なんだかセクシーじゃない?
はぁ、と呆れたようにシシーはため息を吐いた。
「してどうする。そんなおめでたい存在じゃないぞ俺は」
相手は金銭的に大損するかもしれないんだから。なにが商売繁盛だ、と悪態をつく。むしろ疫病神だ。
眉を曇らせたマスターは、納得いかず反論する。
「だってリアルの蜂の顔って怖いし。可愛く作ったら絶対にビーネちゃん、着けてくれないし。他にはクマとかシカとかリスとかタヌキとか。オススメはフクロウ」
ジャラジャラとテーブルの上に披露し、店を広げる。店長の子は喜んでつけてくれたのに、と文句を続ける。
「……普通のはないのか」
ひとつひとつ持ち上げて確認しながら、顰めっ面のシシーは違うものを要求する。というか、自分でこのあと買いに行くか悩む。この人のセンスに任せていたら、たぶんずっと決まらない。
ふふふ、と笑いながらさらにマスターはカバンから取り出す。
「他にはエジプトで買った、レプリカのツタンカーメンマスク、アボリジニの原住民からもらった木彫りのトーテムマスク、日本の能面てのもある。ちょっと怖いね」
「……」
さすがにそろそろシシーは言葉がなくなってくる。期待せず一応確認するが、その中のものでひとつ、本意ではないが気に入った。それを手に取る。
「……これでいい」
ヴェネチアンマスクのなかでも、コロンビナと呼ばれる種類のもの。顔の上半分を覆い、装着すると右上あたりに蝶の小さな装飾がされている。
「蜂じゃないよこれ。イタリアで買ったヤツなんだけど……あ、そういうこと」
蜂と蝶。なるほど、とマスターが納得する。
「『蝶のように舞い、蜂のように刺す』、モハメド・アリだな」
シシーも鼻で笑う。自分自身に、なにやってるんだか、と。
(さて、どんなヤツと当たるかね。ぶっ飛んだヤツだと嬉しいが)
心躍る。ようやく、ようやくだ。そして一度仮面を装着し、付け心地を確かめた。
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