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exd5
53話
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卵を割ってみたが、さすがにひとつ。自分ではどうもできない部分。だが、起きて一五分で二つ。あとなにかひとつ。唇がいつもよりぷっくりしている。はい、ハッピー。ハッピーセット完了。ちなみに目玉焼きは美味しかった。
「すぅー……はぁぁぁぁ……」
深呼吸する。いつもの信号が見える位置で、二度、三度。車の往来が激しいが、見逃さないように。シシー様がひとりだったら即行く。誰かと一緒なら、後をつけてどこかのタイミングで。コンパクトミラーで前髪を確認する。うん、大丈夫。緊張するのはわかってた。何個ハッピーがあったとしても、こうなるって。
「昨日はありがとうございました、昨日はありがとうございました、昨日はありがとうございました、昨日は——」
練習も完璧。きっと大丈夫。間違えても乗り切る。大きな声。肺を意識。背骨も。姿勢は大事——
「今日は髪、乾かせたんだね」
「わっ!」
いきなり背後から、声をかけられ、ちゃんと肺から声が出た。一瞬、頭が真っ白になり、そして一気に緊張する。
「あぁ、すまない。見かけたものだから、つい。どう声をかけていいものか迷ったんだけど。全然気づかれなかったみたいで」
少し視線を外し、シシー様はバツが悪そうに理由を説明した。驚かすつもりはなかったが、予想以上反応で、若干困ってしまった。
瞳の焦点が定まらない状態の私は、歯がガチガチと鳴り出す。練習の成果など出せない。心臓が鷲掴みされたように、次の行動に移れない。
「い、いえ……お気に、なさらず……」
まさか、そんな。私を、見つけてくれた……?
「大丈夫? 体調でも悪いのかい?」
心配そうに、紅潮した私の顔を覗き込む。そして、しなやかな指先で顎や首、耳の後ろなどに触れ、思案する。吐息が触れる。香りが触れる。
鼻息荒く、なされるがままの私は、まばたきもせずに呼吸を繰り返す。少し眼球を下に動かすと、シシー様の首元にアザのようなものを確認した。が、そんなことを冷静に判断する余裕もなく、心臓が脈動する。
「風邪などではないようだ。よかった」
観察終了。満足気にシシー様は顔を離し、そして私の髪に触れる。
「髪型、少し変えたんだね。メイクも違うのかな。シェーディングとパウダー? 似合ってるよ、可愛いね」
「そ、そんなッ!」
初めて、大きな声を出すことができた。だが、それは否定の言葉。せっかく褒めてくれたのに。言ったそばから、自分自身に嫌悪してしまう。
だが。シシー様は再度、緊張と動揺で赤らむ私の耳元で。
「好きだ」
無色透明な、水平線の見える世界。そこに足を踏み入れたかのような感覚。
私の中で何かが弾けた。
あぁ、そうか。そういうことなんだ。自分はこの方のために生きたい。報われなくてもいい。この方の見る世界に、私が端にでもいることができれば。
もっと、もっとこの方に相応しい人間にならなければ。好きだと言ってくれたのだから、私は命を賭さなければ。そうでなければ釣り合いが取れない。血の一滴まで役に立てるのなら、それが本望。ライチの香りが鼻腔をくすぐる。それと、柑橘系の香りも混ざっている気がする。全ての香りを残らず平らげる。
とろけた目で、熱を帯びた頬で、濡れた唇で、物欲し気な舌で、シシー・リーフェンシュタールに誓う。あなたの全てを守りたい。
少し押しただけでも倒れてしまいそうな、火照って脱力した私の体。細い首を、腰を、胸を、足を、耳を、唾液に濡れた唇を。それらを視界に捉え、シシー様は——。
「すぅー……はぁぁぁぁ……」
深呼吸する。いつもの信号が見える位置で、二度、三度。車の往来が激しいが、見逃さないように。シシー様がひとりだったら即行く。誰かと一緒なら、後をつけてどこかのタイミングで。コンパクトミラーで前髪を確認する。うん、大丈夫。緊張するのはわかってた。何個ハッピーがあったとしても、こうなるって。
「昨日はありがとうございました、昨日はありがとうございました、昨日はありがとうございました、昨日は——」
練習も完璧。きっと大丈夫。間違えても乗り切る。大きな声。肺を意識。背骨も。姿勢は大事——
「今日は髪、乾かせたんだね」
「わっ!」
いきなり背後から、声をかけられ、ちゃんと肺から声が出た。一瞬、頭が真っ白になり、そして一気に緊張する。
「あぁ、すまない。見かけたものだから、つい。どう声をかけていいものか迷ったんだけど。全然気づかれなかったみたいで」
少し視線を外し、シシー様はバツが悪そうに理由を説明した。驚かすつもりはなかったが、予想以上反応で、若干困ってしまった。
瞳の焦点が定まらない状態の私は、歯がガチガチと鳴り出す。練習の成果など出せない。心臓が鷲掴みされたように、次の行動に移れない。
「い、いえ……お気に、なさらず……」
まさか、そんな。私を、見つけてくれた……?
「大丈夫? 体調でも悪いのかい?」
心配そうに、紅潮した私の顔を覗き込む。そして、しなやかな指先で顎や首、耳の後ろなどに触れ、思案する。吐息が触れる。香りが触れる。
鼻息荒く、なされるがままの私は、まばたきもせずに呼吸を繰り返す。少し眼球を下に動かすと、シシー様の首元にアザのようなものを確認した。が、そんなことを冷静に判断する余裕もなく、心臓が脈動する。
「風邪などではないようだ。よかった」
観察終了。満足気にシシー様は顔を離し、そして私の髪に触れる。
「髪型、少し変えたんだね。メイクも違うのかな。シェーディングとパウダー? 似合ってるよ、可愛いね」
「そ、そんなッ!」
初めて、大きな声を出すことができた。だが、それは否定の言葉。せっかく褒めてくれたのに。言ったそばから、自分自身に嫌悪してしまう。
だが。シシー様は再度、緊張と動揺で赤らむ私の耳元で。
「好きだ」
無色透明な、水平線の見える世界。そこに足を踏み入れたかのような感覚。
私の中で何かが弾けた。
あぁ、そうか。そういうことなんだ。自分はこの方のために生きたい。報われなくてもいい。この方の見る世界に、私が端にでもいることができれば。
もっと、もっとこの方に相応しい人間にならなければ。好きだと言ってくれたのだから、私は命を賭さなければ。そうでなければ釣り合いが取れない。血の一滴まで役に立てるのなら、それが本望。ライチの香りが鼻腔をくすぐる。それと、柑橘系の香りも混ざっている気がする。全ての香りを残らず平らげる。
とろけた目で、熱を帯びた頬で、濡れた唇で、物欲し気な舌で、シシー・リーフェンシュタールに誓う。あなたの全てを守りたい。
少し押しただけでも倒れてしまいそうな、火照って脱力した私の体。細い首を、腰を、胸を、足を、耳を、唾液に濡れた唇を。それらを視界に捉え、シシー様は——。
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