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一章

スタートライン

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「ふぅ、もう少しで今日の仕事も終わりかな」

 夜のロマルゥ食堂は酒の提供もしているため、昼よりも熱気と活気が凄まじい。
 もともと魔物討伐帰りの荒くれ者どもを受け入れていた店でもあるため、そういう連中は酒癖が悪いのも理由の一つである。
 だが、閉店時間も間近にせまり、店内の空気もようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。

 洗い終わった食器をしまい、水回りの片付けを続ける。
 明日は接客のほうもうまくできるといいな。
 そうだ、リーシャにコツなんかを聞いてみてもいいかもしれない。
 
「まあ、あまり参考になるような答えは返ってこなさそうだけど……」

 正直、面倒くさがられてはぐらかされる気しかしない。

「さてと。とりあえずこんなもんかな。………ん?」

 ──ふと。
 食堂を覆う空気の流れが変わったことに気づいた。
 気温とか湿気とかそういうのではなく、店内の雰囲気の方だ。

 わたしは顔を上げ、そちらを見る。

 ……なんだ?緊張感?
 さっきまで和気あいあいとした和やかな空気だったはずの店内が、いっきに張り詰めた糸のような空気に変わっている。

 残っている客の視線が集中する先──。
 目で追っていくまでもなく、その原因がすぐに理解できた。


「──おい、いいから酒をつげって言ってんだ!」
「当店ではそのようなサービスは行なっておりません」


 見ると、食堂フロア真ん中のテーブルで、大柄な男が一人。
 澄まし顔の小柄な猫耳メイドの前に、持っているグラスを突き出している。

 冒険者か傭兵か。
 いずれにせよ、その類の職であるのは間違いない。
 いかにも肉体派といった感じで、目の前の少女との体格差も物凄い。
 筋骨隆々なその男とリーシャでは、側から見るとまるで熊と小人である。
 
 ……まずい。
 わたしは舌打ちする。
 相手の男は完全に泥酔モードだ。
 どうみても口で言ってわかる状態じゃない。

 対して、リーシャはあの性格上、絶対に引いたり逃げたりするたちじゃない。
 下手したら300倍くらいに濃縮還元して言い返すタイプだ。

 どうしよう、どうしたら……。

「そうだ、ロマさんとルゥドゥルさん……は、今倉庫に食材とりにいってるし……!」

 台所の方に目を向けるが、あいにく彼らの影は見えない。
 そろそろ閉店時間だったこともあり、間の悪さも重なった。
 どうする?今からダッシュで助けを呼びに行けばあるいは──。
 
 そこまで考え、わたしははっとする。


「はぁ……、もうっ!違うでしょ!」

 さっき決めたばかりじゃないか。

 この騒ぎだ。
 わたしがわざわざ呼びに行かなくても大丈夫。
 ロマさんたちならすぐに戻ってくる。

 だから、わたしが今やらなければならないことは、リーシャの味方になることだ。
 止められなくてもいい。
 少しでも彼女をかばいつつ時間を稼げれば、彼女もわたしも無傷でいられるのだから。

「なぁ、ダンスタンさん!揉め事はよそうぜ、な?」
「猫耳ちゃんだって今日が初仕事なんだ。それにあんた今日は飲み過ぎだよ」

「うるせぇ!」

 ガシャン、と皿の割れる音。
 見ると、男はがしっと無骨な掌でリーシャの頭を掴み、上を向かせた。
 客たちの間に緊張が走る中、猫耳少女はつまらなそうに男を見上げる。

「抵抗できない相手に暴力ですか。ずいぶん男らしい行為ですね」
「ああ?」
 
 なんで挑発するかな……。
 それに、これはまずい。
 リーシャは隷属契約により、一般人に危害を加えることはできないし、やられたらやり返すこともできないのだ。

「口の減らねえガキだな」

 男の口から、ふぅ、と怒り混じりの吐息がもれる。
 そして、男は彼女の顔を見下すように、その言葉を吐き捨てた。
 

「いいから立場わきまえて大人しくいうこと聞いてろや!『奴隷』のくせによぉ!」


「───!!」



 その言葉を聞いた瞬間──。
 なぜか自分でも不思議なくらい頭に血が上った。

 気がつくと、わたしは勢いのままにリーシャと男の間にわりこんでいた。
 彼女に触れていた手を払いのけ、大きく息を吸い込む。
 

「わ、わたしの友達に気安く触んないでください!」

 思わず、そんな言葉を口走っていた。



********************



「なんだてめぇ。この奴隷の主人か?」
「いや、その……と、ともだちです、けど!」

「「……は?」」

 目の前の大男と猫耳少女が、同時に間の抜けたような声をあげる。

「何言ってやがる。気でもふれてんのか?」
「頭の病院にでも行ってきたらどうですか」

 リーシャはいったいどっちの味方なんだよもう!

 男はしばらくじっとこちらを見ていたが、やがてバカにするように嘲笑を漏らす。

「友達。ともだち、ねぇ」 

 抑えきれない、というように、彼はクツクツと笑い声をたてる。

「よく言うぜ。ならそいつの首輪はなんなんだよ。言うこと聞かせるためのもんだろ。おまえの都合の良いように、都合の良いときに、そいつをおまえの自由にするためのもんだ。そんなんで友人面とか笑っちまうぜ。なあ奴隷ちゃんよ?おまえもそう思うだろう?」
「……………。」

 リーシャは無言で男を睨み、舌打ちする。

 たしかに、そうかもしれない。
 何をどう取り繕おうと、わたしとリーシャの今の関係は主人と奴隷。そして、人間と魔族だ。
 前提からして、立場が大きく異なる。

 わたしたちはスタートラインから──、平等でも、公平でもない。
 
「もういいからさっさと酌させろよ。おともだちに命令してな。がはははは」
「………。」

 わたしは大きくため息をつき、猫耳少女を見る。

「リーシャ、命令。ちょっとこっちに来なさい」
「………了解。ご主人様」

 彼女は至極当然というように、相変わらずの澄まし顔だ。
 ある意味、ほっとしているようですらある。
 何の躊躇いもなくわたしに歩み寄り、何の文句もないというように頭を垂れる。
 いつものように反抗されることもなく、いままで見たこともないくらいに従順だ。

 それなのに、なぜだろう。
 そんな彼女の言動が──、酷く、気に入らない。

「命じてください、ご主人様。あいつの酌でも閨事でも──」
「黙ってなさい」

 わたしはポケットから鍵を取り出す。
 そして、彼女の首もとに手をかけ──、


 リーシャの首輪を、外した。


「……は?………え?」


 呆然と混乱。
 あっけにとられるリーシャの声。
 そのあとに続くように、投げ捨てられた首輪が地面に落ち、カラン、と乾いた音を鳴らした。

 転がる首輪を一瞥し、唖然としている男を見る。

「これでリーシャはもう奴隷じゃないでしょ。だからあんたなんかの言うこと聞く必要もない。もちろんわたしの言うことも聞く必要ない。なんか文句ある!?」
「………!?てめぇ……っ、このクソガキがっ……」

 彼女とわたしは前提から平等じゃない。
 なら、そんな前提なんてクソ喰らえだ。

 男は顔を真っ赤に染め上げ、はぁあ、と長いため息をつく。

「もういい……。めんどくせぇ!力づくだ!」
「げっ……」

 逆上した大男が、その丸太のような腕を振り下ろす。
 ほんとダサいやつ。
 わたしはリーシャをかばうように前に出ると、来たる衝撃に備えて、ぎゅっと目をつむった。


 ──風を切る轟音。

 そして続く、ぱんっ、という空気を裂いた破裂音。

 その後に訪れる、何かが倒れた重い音と、シンとした不思議な静寂──。


 いつまでたっても自分に降りかかってこない暴力の痛みに、わたしは薄目で目の前を観察する。

「……なんで首輪外すんですか」

 小さな、後ろ姿。

「なんでわたしをかばって前に出るんですか……」

 翻るメイド服のスカートの裾。

 その奥から伸びたリーシャのすらりと伸びた長い脚が。
 彼女の目にも止まらぬ速度の飛び蹴りが、──大男のごつい顎先を、見事に撃ち抜いていた。

「……ほんと、バカなんじゃないですかっ……!」

 ものの一撃で大男の意識を刈り取り、ダウンを奪った猫耳少女。
 いつもの澄まし顔ではない、見たことのない表情で、彼女はわたしにそう問いかけるのだった。

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