エロスな徒然

かめのこたろう

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番外トピック③ パンツ羞恥考 ~女の子がパンツを恥ずかしがるようになったワケ~

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 「果たして女性は何時からパンツを恥ずかしいと思い始めたのか」。


 少しでも女性下着に愛着を持つ人間ならば抱いて当然の、そして実態を把握することが明らかに至難な命題に挑んだ名著が皆さんご存知、井上章一氏の「パンツが見える。羞恥心の現代史」。
 パンツ愛好家にとって必読というかもはや知ってて当たり前の基本テキストなので、今更こうしてさも新奇な話題かのように名前を出すのも気が引けるくらいですが、たまにはこの手の「語るまでもない共通認識的、暗黙の了解的な有名作品」をあえて取り上げてみるのも悪くはありません。


 随分昔に読んだのをふと思い出し、今回改めて読み返したからなんとなくネタにしないと勿体無いような気もするし。
 というのも、こないだ「パンツ二重履きJK問題」というものを取り扱ったときに、「パンツに寄せる日本人の意識の変遷」をおさらいしたくなったというのがその動機だったりします。
 その時は「ジュリアナ世代からギャル世代まで続いたミニスカ生パン文化“見えてもしょうがない主義”が廃れて二重履き文化“絶対見られたくない主義”が台頭したみたい」って適当に吹いてみたんですが。
 ここら辺の感覚ってそれ以前の近現代日本の服飾史、特にパンツをめぐる精神文化史を把握しているかいないかで捉え方が全然変わってくるような気がしました。
 知らない、把握していない人なんてまず存在しないと思いますが、万が一もありますし。
 そんな不測の事態だって想定して備えておくのがデキル男の証明なんでしょうし。


 勉強不足の不届き者がいたら教え諭して啓蒙する使命を帯びているのが選ばれし紳士階級の業というもの。
 そこでみんな知ってて当然の一般知識であるパンツをめぐる精神史、その歴史的変遷を代表的テキストを参考にざっぱにまとめてみると。


・明治初頭、ズロースという呼称でパンツが日本に登場、でも全然普及しなくてみんな基本的にノーパン、当時はパンツどころかアソコを見られることも「恥ずかしいけどある程度はしょうがない」という価値観

・1920年代あたりから都市部のカフェ店員(女給)が履き始める、当初は「質(たち)の悪い客から身を守るため」という貞操帯的な機能を期待しての需要だったらしく重ね履きも行われていた、当然パンツそのものを見られることに対する特別な羞恥心は確認されない

・1932年「白木屋デパート火災事件」が発生、直後から「性器を見られることを躊躇して逃げ遅れた女性が多く死傷した」と伝聞が広まりマスコミを中心にパンツを履くことを推奨する声が高まる、実際には未だ性器を見られることに対する禁忌性は薄く直接的にこれが原因での死傷と認められるものは確認できないため事実とは異なる都市伝説の類、ただしその後のパンツ普及にこのデマが影響を齎した可能性は否定できない

・30年代から40年代にかけて洋装文化の浸透に合わせてパンツの普及も進んでいく、それに伴い性器を見られることに対する禁忌性もまた高まっていく、一部でパンツに性的価値を見出す傾向が見られ始めるがあくまでも特異で単発的なもの

・戦後の混乱期を経て高度経済成長期を迎えて洋装が主流に、併せてパンツを履くことが一般的になり若い女性の間では性器を見られることが完全にタブーになる、パンツを見られることの羞恥心が生まれ始める

・60年代末から70年代前半にかけて最初のミニスカートブームが発生、より一層のパンツ普及に拍車をかけると共にパンツに対する羞恥心と性的嗜好対象としての価値を決定付ける、パンチラ的概念が一般的になりはじめるのもこのときから

・70年代80年代の若者文化の隆盛、完全にパンツそのものが隠蔽して秘匿するべき性的象徴になる、従来は貞操帯機能として行われたパンツの重ね履きが羞恥の観点から行われるように

・80年代末のバブル絶頂期、歓楽遊興文化が極まった一部の女性の間で「ボディコン」ファッションに象徴される性的魅力を肯定的に受け止めて露骨に押し出す文化的潮流が発生、ミニスカートでパンツを見られかねない格好を嗜好するようになる、「半世紀の時を経て性的羞恥の対象として認知されたパンツをあえて見せ付ける」感性はかつてパンツ自体に性的価値がなかった時代の無頓着さとは全く異なるもの

・90年代~00年代中盤までミニスカ生パンが主流、性的対象であるパンツを見られかねない格好をそうとしりながらあえてする嗜好が続く

・00年代後半からギャル文化の衰退に従ってパンツを見られることに対する心理的抵抗を重視する風潮が発生、ミニスカートにパンツ二重履きという組み合わせが主流に


 ああ、疲れた。。。

 バブル云々以降は自分の主観ですが、そのほかはだいたい井上氏の著作に依拠させていただいてます。(解釈とか理解が間違ってたらごめんちゃい)
 そうとう大雑把だとは思いますが、女性の性器やパンツに関する男女それぞれの価値観の変遷が大体お分かりいただけたんじゃないでしょうか。
 もしわかんなくても、メンドクサ=ガリヤ民族のワタクシがこんなにがんばったんだから文句は言わせません。



 元々ノーパンでアソコが見られちゃうのも「恥ずかしいけどしょうがない」時代から、パンツの普及とアソコの神聖化、さらにパンツ自体がそうなっていく歴史的過程。
 致命的な羞恥対象ではなかったものが、隠されることで性的対象としての価値が高まっていき、さらに隠すものそのものに性的価値が生まれていく。
 「羞恥心」や「性的価値観」が服飾文化の変化に伴い育っていったというのがよくわかります。

 またそういった心理作用が発達進化先鋭化していく上で男女間での視線の向け合いが重要だったのは間違いありません。
 元々、ノーパンが当たり前の時代には男にとっても「たまに見えちゃう」マンチラ自体に今ほどの価値はなかったようです。
 もちろん、「やったぁ!」「ラッキー!」くらいの好色的喜びはあったんでしょうけど、その程度のもの。
 なんたって「お互い丸見えの男女共用便所」があって「女性が立小便する」のも珍しくなく、「年頃の女学生が遊びに夢中で男性教師の前でアソコを丸出しにしていても気にしない」という時代だったらしいんですから。(※詳しくは上記文献を参照のこと)
 そのまま性衝動に直結するほどの価値があったというわけでもなさそうです。
 見る側も見られる側も共に大変おおらかだったとしか言いようが無い。
 「恥ずかしい」「性的なもの」という意識が無いわけでもないんでしょうけど、たとえあったとしても致命的あるいは決定的なものではない。
 そんな時代。

 それがパンツで隠されたことにより、アソコ自体が神格化されて男たちの性的視線が強くなっていきます。
 そして女性たちのパンツに対する意識が変わっていくにあわせて男にとっての重要性も増していった様子を見る限り、それぞれが相関関係にあったことは疑いようもありません。


 女の子が恥ずかしいから男はエロいと想っちゃうし。
 男がエロいと想うから女の子はまた恥ずかしくなっちゃう。


 そうして男女双方の視線の向け合い、認識の相互作用が繰り返されてパンツに関する価値観は発達変遷していきました。

 だからそのまま順当に行けば、パンツが羞恥対象として定着した80年代から二重履き文化が発達していって、完全にパンツを見せない価値観、文化になっていてもおかしくなかったことを想定すると、80年代末のジュリアナギャル達の登場はやっぱりどう考えても特異点だとしか思えません。

 かつて単に無頓着だった時代とは異なり、彼女達は「性的な羞恥対象として確立したパンツをあえてみせつけることを嗜好し始めた」としか言いようが無い文化的潮流を生み出したのです。
 むしろ男の視線を逆手にとって、セックスアピールをこそ重視する、性的なことの価値を女性側が積極的に利用しはじめた、そんな瞬間だったんじゃないでしょうか。
 もちろん、夜のお商売を生業としている女性たち初め元々そんな雰囲気が一部で脈々と息づいてきたのは間違いありませんが、それを広く一般層にまで押し広げファッションに始まる一連の文化にまで昇華したのがお立ち台ギャルたちだったんだと思います。


 それは明治以降の日本史上唯一と言っていいくらい、男女の価値観が同一の方向で融和した奇跡のような現象。


 左派的イデオロギーに毒されたお題目的女権論などとは根本的に異なる、大衆文化の中でも最も卑俗で生々しい場所から生まれた真なる「性の解放」とでもいうべき現象……とまで言うとさすがに持ち上げすぎでしょうし、実際にはそう理想的なものでもなく美化しすぎなんでしょうけど。
 「ボディコンシャス」というファッションの潮流が元々海外では「女性の自己主張、自主独立の精神を体現する」みたいなフェミ的文脈での展開だったことを思い合わせると偶々日本のパンツ見せたくない文化の発達途中で冷や水を浴びせるようなタイミングで輸入されただけだったというのが実態かもしれないですけど。
 それでもなんとなく漠然と持っている当時の日本の印象、政治経済文化全てが絶頂期だったらしい、何もかもが浮かれて楽しくて賑やかだったみたいなおぼろげな記憶や心証によってある種の郷愁にも似たものを喚起されてしまうのです。
 少なからずそんな価値観を受け入れるだけの「何か」、男の視線を難なく受け入れつつ己の欲求も同時に満たすような生命力に溢れた無尽蔵のエネルギーのようなものが当時のお立ち台ギャル達にはあったのではないかとどうしても思いたくなっちゃうようです。


 その後十数年、「パンツ見えてもしょうがない主義」はギャル文化まで受け継がれていきこの国に咲き誇りました。
 それも諸行無常の理に従って徐々に廃れいき、今やほとんど少数派になりつつある観がある今日この頃。
 現代のJKたちの間ではすっかりマジョリティになって定着しつつあるらしい二重履き文化、「パンツ絶対見せたくない主義」の台頭。

 果たしてこの風潮が一過性のモノなのか否か、再び生パンミニスカ文化の復権はあるのか。
 交差する男女の視線の連鎖が向かう先に一体何があるのか。
 パンツをめぐる心の歴史をこうして振り返ると、なんとなくその先が見えてくるような気が……。



 別にしませんでした。



 ぎゃふん。
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