エロスな徒然

かめのこたろう

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2017年 05月26日

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 AVがフィクションだと頑なに主張をする人たちに対して常に警鐘を鳴らし続けて啓蒙し神の道を説いている、まさしくエヴァンジェリストであるところのわたくしですが。
 「あえてフィクションと見做すことによるエロス」までは否定しておりません。

 例えば「時間停止もの」と呼ばれるAV作品。
 コレが正しく本物の時間停止現象を用いた完全犯罪の厳然たる証拠であることは以前述べました。
 そこは疑う余地はどこにもありません。
 しかしあえて「時間停止という”設定”で身動きしないことを要求された女性がずこばこされている間も必死でがんばっている」という見方をすることで、また違ったエロスの形が見えてきます。

 仮に時間停止を演じていると見做すと、金銭なのか脅迫なのか、何かのっぴきならない理由によりそういった演技をしている女性という姿が浮かび上がってきます。
 望んでやっていようが望まずにやらされていようが、間違いなく「すごく卑猥な事をされているのに身動きしてはいけない、感じていることを表に出せない」状況。
 それはまごうことなき「束縛のエロス」の一形態に他なりません。
 自分の意識に反して生殖反応を始める本能との葛藤。
 女性の精神に宿る快感と理性のせめぎ合いを幻視することでまたひとつのエロスの極地に至るのです。

 本当に時間停止している場合はあくまでも催眠姦や睡眠姦と同種の「女性自身が自覚しないまま蹂躙されるエロス」ですが。
 ひとつ見方を変えるだけでこうまで違ったエロスの形が見えてきます。
 そして時間停止以外のジャンルについても同様のアプローチをすることが可能なのは言うまでもありません。
 「女子高生じゃないのに制服を着せられる」「マッサージで感じることを要求される」「変身ヒーローじゃないのに全身タイツで悔しいけど感じちゃうようがんばる」「本当はビッチじゃないのにそう振舞わされる」「催眠術にかかってないのにかかってるように感じてみせる」「わざわざ電車のセットで痴漢を受けることを要求されて粛々と従っている」etcetc。
 もちろんそれぞれれっきとした女子高生であり本当にマッサージを受けて感じちゃってるドキュメントだったりするのは当然なのですが、「あえてフィクションとみなす」ことでどれだけ異なる趣が生まれるのか、その感じがお分かりいただけたかと思います。

 だから真実か否かの是々非々に拘泥せずに、「真実でもあえて嘘だと思ってみる」「嘘だけど本当である体(てい)で愉しむ」事がエロスに無限の広がりと可能性を齎すのです。
 徒(いたずら)に「これは嘘だ」「本当だ」と夢もロマンも無いことを主張するだけでは無味乾燥とした世界しか残らないでしょう。
 概念世界は解釈の数だけ生まれ、その大きさ多様さこそが精神文化の豊かさに他なりません。

 エロスとは世界の解釈。

 今後エロ作品に触れるときにこの言葉を頭の片隅でわずかでも思い起こしていただければ。
 ネトラレウス派の伝道師としてこれ以上の幸せはありません。

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