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わたしのスクール水着が盗まれました
しおりを挟む臨時の全校集会から戻って教室の自分の席に座ったときに、その違和感にはすぐに気がついた。
机にかけているプールバック、透明なビニールがベースでそこに色とりどりの鮮やかなデザインが描かれているお気に入りのそれから覗く色彩に何かが足りない。
紺色の水着が明らかに無かった。
学校指定で可愛げの欠片もないけど、特に気にもならない、他の体操着や部活のユニフォームと同じだけの存在。
下着よりは厚手だけど、他の衣類とは比べ物にならないほど薄く滑らかで良く伸びる紺一色の、いわゆるスクール水着といわれるそれ。
使った後は目立たないようにタオルで包んで入れているけど、水気を吸うように重ならないように折るといつも少しはみ出すから、あるか無いかは一目でわかる。
周囲に気取られぬよう、何気なくバックの口を開いて確認するけどやっぱり無い。
タオルの湿り具合が先ほどまで確かにそこに水着が挟まれていたことを示しているから。
どこかに置き忘れてきた可能性はすぐに捨てた。
たぶん。
盗まれたんだと思う。
こういうことがあるのは友達に話を聞いたりしていたから知っていた。
だけどまさか自分がそんな目に遭うなんて。
自分が被害者のはずなのに、何故か恥ずかしくて後ろめたい。
何かえづきたくなるような不快な塊が喉まで上がってきて落ち着かない。
ちらりと半年前から付き合い始めた彼氏の後頭部に視線を向ける。
冗談めかして言ってみようか。
いや、やっぱり恥ずかしい。
エッチな話題をやっと出来るようになってきたばかりなんだ。
こんなの話しても気まずくなるだけだと思う。
友達にだって話したくない。
内心を漏らさないように平静を保とうとした努力は結ばれたようだった。
周囲に感づかれることはなく、特に何事もなく授業が始まる。
耳には聞こえているけどまるで頭に入ってこないセンセイの声が流れていくうちに少しずつ落ち着き始めると。
いつしか盗んだ犯人のことを考え始めていた。
一体誰なのか。
何故わたしなのか。
どうやって盗んだのか。
何故こんなことをするのか。
怒り半分恐ろしさ半分の心でつらつらと思い続けるうちに。
斜め後ろの空白の席の持ち主の顔が唐突に思い浮かんだ。
病弱で大人しい暗い顔。
特に好かれても嫌われてもいない、クラスの中でも目立たない存在。
休みと早退が多いことだけが、印象のクラスメート。
頭はいいらしいけど、特に親しい友達もガールフレンドも思いつかない。
わたしもときどき雑事で話したり、学校生活における最低限度の接触はあるけどいつも人の目を見て話さない、だけど不愉快さとか不潔さはないから気にならないっていうだけの同級生。
そんな彼がお昼前から保健室に行っていて、今はいない。
何故かそれだけの事実だけにも関わらず、ぴたりとパズルが嵌るように直感する。
犯人はあいつだ。
………
その後、数日かれは休み続けた。
例によって体調が悪いという理由は誰も気にする人はいない。
たぶんこんなにも彼の登校があるのか気にしているのは、このクラスで……。
ううん、この学校でわたしだけだろうと思う。
なんとなく親に言うのも嫌だったから、新しい水着は自分のお金ですでに買った。
最も今年使うのはあと1、2回だけだろうけど。
洗濯物に水着がないのを母親は全く気付きもしなかった。
だから部屋にあるプールバックには水着とタオルがきちんと準備されていて、次の授業の時にはなんの問題もなく使える状態にある。
表面上はわたしは何も盗まれていないし、親も彼氏も友達も全然かわらない。
淡々と続く日常はなにものにも乱されてなんかいない。
あとは……。
わたしとあいつだけの問題だ。
そう心を決めていたから、その日とうとう彼が登校してきたときも自分でも驚くほど落ち着いていた。
先に席に座っていたわたしは、ひょろひょろした人影が誰にも気にされずにそろりと教室に入ってきたのを認識する。
相変わらずぜんぜん力が感じられない、弱弱しい歩き方。
下を向いたまま顔を上げることなく、すべてを拒絶して避けるようにこちらに向かってくる。
やがてわたしの前を通り、その先にある自分の席へと赴く道順の途中。
数歩の距離まで近づいたその時、一瞬だけその視線が上がった。
初めて正面からその目を見た。
向こうもわたしをきちんと視線をあわせて見るのは初めてのはず。
瞬間、激しい理解の応酬が凄まじい速度と密度で行われた。
言葉も振舞いも超えた、テレパシーのようにありえない効率で互いの意識がやり取りされ。
もう何もかもをわたしは確信したし、彼もわたしがそうしてすべてを察したことを完全に思い知ったのだろう。
ただでさえ悪い顔色をさらに真っ蒼にして、視線を逸らし。
足をもつれさせながら、通り過ぎた。
見なくてもわかる、激しい恐怖と怯え。
座ろうとして引いた椅子が机にぶつかる大きな音が聞こえて、卑怯者の追い詰められた心境をわざとらしいほど教えてくれた。
………
そのまま毎日は何事も無く過ぎ去っていった。
水着が盗まれたことについて、別に誰かに言いつけるわけでもない。
本人に何かを言ったりやったりするつもりも無い。
ただ、わたしは「そういうことをする人」という意識で彼を見るようになったというだけだった。
特にその後何かが盗まれるようなことはなかったけど。
彼が視界に入るたび、座っているのだろう斜め後ろの存在を思い浮かべるたびに、ただ気持ち悪いという思いが浮かび続けた。
そんなわたしを前に彼は怯えたような態度をありありと見せたり、断続的に休むことを繰り返した。
しかしそれもしばらくすると、時々わたしの視線に気がついたときだけ後ろめたいような暗い顔で逃げるように避けるだけの態度に落ち着いていった。
それ以外はとても普通で楽しい、学校生活だった。
成績で一喜一憂するのも、友達と遊んではしゃぐ時間も、彼氏と仲を深めていくのも大切な青春の輝かしい日々。
どこにでもいる学生のありふれた幸せな日々を送り、そのまま大人になった。
……つまり。
彼はわたしにとって全く関係ない人間だったのだ。
恐らくいてもいなくてもなんら自分の人生はかわらなかったと思う。
水着が盗まれたということさえ、わたしにとっては気持ち悪いという思いと僅かな出費以外には何も齎してはいない。
いま、かつて付き合っていたカレとは違う、夫のための夕食を作っているときにふと思い出すまでは、あんなことがあったことすらすっかり忘れていた。
刻もうとしたナスの中身と皮の間を彩る紺色の色彩が記憶を喚起しなければ、ひょっとしたらそのまま一生思い出すこともなかったのかもしれない。
そんな風に自分の人生に僅かほども影響を与えない存在が、わざわざ盗むほどわたしの水着をほしがった。
その事実の奇妙さ、一方的に寄せられる人の想いの強さ。
そして報われるはずが無いことを我慢できずにしてしまう業の深さ。
幾多ある人生の一瞬の交差が齎したもの。
その時には間違いなくお互いにとって重大事だったのは間違いないけれど。
彼にとってもあの出来事はとても些細でどうでもいいことだったのではないか。
運命付けられていた一生の過ごし方に決して致命的な影響など与えることなどなく、やってもやらなくても特に変わらない道筋を歩んでいたのではないか。
人それぞれが持つ固有の加速度と慣性によって描かれる緩やかなカーブ。
その道筋の途中、すぐに修正されて元の軌道へと容易く復帰して行く程度の僅かな誤差。
他にある幾多の人生の岐路に比べたらとても脆弱で微小な一瞬の霍乱。
そんなものだったのではないかと思う。
それとも……その後の人生を大きく変えてしまうほどのことだったんだろうか。
わたしはずっと忘れていた同級生の顔を思い出そうとしたけど、やっぱりだめだった。
了
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