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石榴の種、水仙の雫
しおりを挟む夫とセックスをすることが出来なくなった。
結婚して十五年、四十になったばかり。
一緒になってすぐに授かった子供は中学生になったとはいえ、枯れるには程遠い、むしろ一般的には最も女の性欲が高まる時期だろう。
でも私は夫が求めてきても全く応えられなくなってしまった。
夜、寝室の暗闇の中、一緒に入った布団の中で最も愛しい慣れ親しんだ手が触れてきても。
どれだけ思いやりと欲求に基づいたやさしい愛撫をしてくれても。
私の心が燃え上がることは無く、女の器官はどこまでも乾ききっていて。
しまいには煩わしささえ感じてしまう始末。
そんな自分を心底申し訳ないとも思っていたから、謝り続ける私を前に夫はそういう時もあると理解を示してくれて。
数回それを繰り返すと、しまいには求めてくることすらなくなった。
場合に寄ればこんなことになったら浮気や不倫が始まって夫婦の関係は破綻することにもなりかねないのだろう。
しかし私たちは少なからず肉体だけではない心のつながり、積み重ねと歴史に裏打ちされた揺ぎ無い関係を持つことが出来ていたようで。
性生活がなくなってからも夫は私以外の女性に興味を示す様子もなく、それ以外は特に問題も無く毎日は続いている。
だからこそ余計に夫に対する後ろめたさや申し訳なさ、負い目が蓄積していく。
そしてこうなった原因はわかっていた。
はっきりと明瞭に何が発端となってこの結果が齎されたのかをよく理解してはいたのだが。
たとえどれだけわかっていようと理解していようとどうにかなるものではない。
世の中の大半は正にそういうことであり、私が直面しているのはその特性を最も如実に露にさせているものの一つなのだと私は嫌と言うほど思い知らされた。
身に染みた。
その頭ではわかっていてもどうにもならない、私が女としての機能を発揮できなくなった原因。
それは義父の介護に他ならなかった。
………
末期の病で病院で寝たきりになっていた義父を引き取ろうと言ったのは私だった。
先に亡くなった義母共々、結婚の報告で夫に初めて紹介されてから一度も悪い扱いをされた覚えはない。
常ににこにこと穏やかに、私たち夫婦を何かと気にかけてくれた義父には良い印象しかなかった。
だから余命半年、ご家族とお過ごしになれればご本人も喜ばれることでしょうと言われたときには、なんの抵抗もなく受け入れて余人の手を煩わせることなく最後まで看取ろうという覚悟が固まったのだ。
そうして始まった義父の介護。
さすがに綺麗事だけではない、数々の試練が襲ってくる。
食事や着替え。
排泄に入浴。
子供の面倒を見るのとはまるで違う。
もうほとんど自力では動けない話すことも満足にできない、ガリガリの骨にたるんでところどころどす黒く変色した皮だけを纏った姿の義父。
その身体のどことも問わず、全身に力を込めて触りつかみ握り押さえて一つ一つこなしていく。
初日が終わったときには、心も体も疲れきってぐったりしてしまった。
正直、後悔した。
ここまで大変なことだとは思っていなかった。
投げ出してしまいたい衝動に襲われる。
でも自ら申し出た意地もあり、夫も子供も私のそんな苦境を察して自分たちのことは極力私の手を煩わせないよう陰に日向に支えてくれたこともあり、なんとか続けていった。
今は健在の自分の両親にも将来訪れるだろう、その予行練習とも思えたし。
何より、あれだけ良くしてくれた義父への感謝の気持ちが確固として私の中にあったのだ。
そうして音を上げたくなる自分を叱咤して、折れそうになる心をいろんなものに支えられて介護を続けて行くうちに、小さくしかし確実に進む自分の変化に気がつき始めた。
初めは一日が終わる度にあれほど私を打ちのめしていた苦痛と疲労が徐々に少なくなっていったのだ。
やがて2ヶ月ほど経つころには、介護とそれ以外の家事をしても余暇の時間を持てるようにすらなっていた。
我ながら人間とはすごいものだと思った。
どんなことでもやり続けるうちに、慣れることができるのだ。
その適応力が及ぼした自分の変化に率直な驚きと自尊心が湧き上がり、こうもやりこなせるようになった自分をうれしく思った。
そんな風に心と身体に余裕が出てきたせいなのだろう。
それまでは全く気がつかなかったことが意識されてくる。
目を向ける余裕が無くてわからなかったことが認識されてくる。
義父の身体のあちこち、そこに現れているあらゆる変調、恐らく終末を向かえようとしている人体特有の哀しくもグロテスクな象徴に気を向け始めるようになっていた。
それは私が介護を始めるときからそうだったものもある。
あるいは続けているうちに、現れ始めたものもある。
どちらにしろ、そういったものが出てくるのは当たり前で当然なのだという理解はあったから、それが理由で介護をするのが嫌になるなどは今更ない。
ただ幾多のそういった変調を間近で見せられて直接触れて、ありありとその存在を認識させられるたびにやるせない気持ちになったのだ。
哀しくておぞましくてやりきれなくて。
それでいて惹きつけられるように目をそらせなくなるような。
抗い難い恐ろしくも蠱惑的な声で誘われるような。
匂いと色と感触。
それは「死」だった。
冥界からの使者、その存在が義父の身体を通じてこの現実の世界に顕現しようとしている、その足音であった。
医者が本人にも家族にも運命を受け入れるよう語る以外に何も為しようがないほど理不尽なくらい強く早く迫り来る、その死が義父の身体を通して私に染み込んでくる感触に他ならなかった。
そうして毎日少しづつ確実に私の中にそれは蓄積されていった。
勿論、夫を初めとする周囲の人間には僅かにも漏らすことはなく。
傍から見ている分には、私は自ら進み出た義理の父の末期の世話を初めこそ苦労したものの立派に努めている良妻にでもみえていたかもしれない。
自分でも普段ははっきりと意識することなど無かった。
ただ、時々ふと何気なく、生命の瑞々しさとは対極にある荒漠として静かな彼岸の風景のようなものが心に去来して。
ぼんやりと意識が囚われていくことが増えていった。
………
介護を始めて数ヶ月。
いよいよ義父の死はもう間近だと意識せざるを得なくなった、そんな時だった。
深夜、夫と二人のリビング。
互いに言葉はなく、ただぼうっと視線を向けていたTVでは世界の名画を紹介する番組が流れていた。
特に興味も思いいれも無い、とても素晴らしくて価値があるのだろう絵画の数々がピアノと弦楽器の音楽と共に映っては消えていく。
と、何枚目かに映し出された絵に突然引き込まれるように意識を奪われた。
全体的に暗い画面に、男が美しい女性を腕に抱えて奪い取っていこうとしている正にその瞬間だと一目でわかるような構成。
引き止めるように女性に追いすがっているのは母親であろうか。
絵を描くことはおろか、観賞する習慣も無い私には単に人攫いの絵なんだろうというひどく単純な理解しかできなかったのだが。
何故かその人攫いの絵に強く私は惹き付けられた。
その女性のあまりに瑞々しく若々しい様子と。
男のかもし出している暗く陰鬱で暴力的な雰囲気に。
とても強く感じるものがあって、気がついたら解説も聞き入るように確認していた。
レンブラントの「ペルセポネの略奪」という作品らしい。
素人の私でも聞いた事がある有名な画家だ。
そしてその絵のモチーフはギリシアの神話。
豊穣と生命の象徴である女神が死を司る冥界の死神に連れ去られるところなのだと聞いて。
自分がこうも惹き付けられた理由が少しわかったような気がした。
私が今現在、日々直面している死の印象。
それを強く感じ取ってしまったのだろうか。
夫もやはり同じような感想を抱いて、その絵から想起されるイメージのままに口を開いたのかもしれない。
義父のことについて、そろそろ覚悟をしなくてはいけない、最後までおまえには苦労をかけるがどうか頼むと。
視線をTVに向けたままポツリと言った。
私も同じように視線も顔も動かさずに曖昧な返事を返すと。
そのひと時だけ一旦途切れた、神話の解説の続きが再び聞こえてくる。
死と再生。
そんな言葉を何度も繰り返していたのがいやに心に残った。
………
宣告どおり、半年ほどで義父は逝った。
実際に当人がどうだったのかなど余人にはわかりようが無い事ではあるが、看取っていた分には安らかに眠るように見えたのが救いではあった。
日々目の当たりにしてきて覚悟を固めていたこともあり、激しく泣き喚き慟哭することなど私も夫もしなかったが。
深く透き通るような純粋な悲しみの中、淡々と葬儀を済ませて、その他の死後の諸々をこなしていき、義父に関する全てを無事済ますことができた。
そうしてそれ以前の日常へと徐々に戻っていったはずだったのだ。
でも義父が亡くなってからちょうど一ヶ月目のその日。
やっとお互い落ち着いて、本当に久しぶりに夫婦の営みをしようと夫が求めてきたその時に。
私は自分の女の機能が全く動作しなくなっていることを理解した。
それからまた半年経っても相変わらず私のあらゆる性的な機能は死んだままで治る見込みも全く無い。
そういった問題に関する専門書などをあたってみたり、医者にかかったりもした。
しかし肉体的にはなんの問題も無く、精神的な処方も効果を齎すものは特に無く。
明るい期待は何もできない状態が続いている。
ただそんな私を夫は一切なじるようなことも無く、特に気にしている様子もないことが救いではあった。
パートナーのやさしさに甘え続けることをよしとはしたくなかったが。
必要以上に自分を追い込むのも害悪しかもたらさないであろうことは頭では理解できていたので、今の状況を受け入れて毎日を過ごすしかなかった。
せめて性行為以外のことで夫を満足させたいと、その他のあらゆることで誠心誠意尽くそうとする。
そんな日々が続いていたのだが。
解放は突然やってきた。
その日、うだるような暑さの夏の夜。
普段はきっちりと服を着る夫が、いつになく汗をかいたと私の目の前で着替え始めたのだ。
几帳面な性格で、たとえ自分の妻であろうと悪戯に肌を見せることなど無い。
お風呂に一緒に入らなくなった今では、まさに夜の交わりの時くらいしか見ることなど無い。
ましてや蛍光灯の明るい光の下でなど。
だから本当に久しぶりに夫の裸をはっきりと明瞭に見た。
下着は着ていたが、細身で筋肉質の上半身は全て露になり。
日々の通勤で盛り上がった脹脛(ふくらはぎ)を初めとする脚もすべて。
その時初めに感じたのは義父とよく似ているということだった。
介護を通じて恐らく本人よりも隅々まではっきりと把握しきった義父の身体。
その骨格とか肉付き、少し猫背気味な様子などあらゆるところが確実に親子なのだと確信させるくらいよく似ていることに気がつく。
そして同時に全く異なるところがあった。
全体的に形や雰囲気が似ているから余計にその差異は大きく鮮やかに私の中に飛び込んでくる。
その肌の色艶と張り、控えめながらも確実に描き出すしなやかな筋肉の模様、動き出したときの瑞々しい挙動を想起させる間接の締まり。
世間的には中年と呼ばれる年齢ではあるはずなのだから、殊更若々しいわけではない。
むしろところどころには衰えが現れ始めている場所もある。
だがそこにははっきりと生命の輝きがあった。
未だ増やし満たす本能の衝動を遺憾なく発揮できると力強くうねりながら主張する瑞々しい脈動があった。
それまで毎日さんざん目の当たりにしてきた静寂と荒漠、冥(くら)く枯れいき、ただ終わりだけを予感させる死の姿との、そのあまりに対照的な在り様に鮮烈な衝撃を受けて魂が根底から揺さぶられ。
私の中にずっしりと横たわっていたものが一気に吹き飛んでいった。
唖然と凝視している私に夫が気付く。
何を見てるんだ?と笑いかけてきたその胸に。
静かに身を寄せた。
……その日、久方ぶりの交わりで得た女の歓喜、悦びはとても強く激しいものだった。
了
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