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陰火乃呪

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 私にとってその人は物心ついたときにはそばにいるのが当たり前の存在だった。

 母の弟。
 つまり叔父。

 生まれたばかりの親戚の女の子をいたく気に入ったようで、赤ん坊の頃から何くれと面倒を見てくれていたらしい。
 だから私自身、あるのが当然と受け入れて世話をしてもらうことに何の違和感も持たないで成長していった。

 やがて言葉を話すようになり、幼稚園に入ってもその関係は変わらない。
 小学生になって少しずつ思春期に足を踏み入れても、私の成長に応じた振る舞いにあわせて話す内容とか一緒に時間を過ごす方法とかが変わっただけで、他に代わるものが無い特別な存在のまま。

 同世代の男の子達とは明らかに違う成熟とか余裕とかを感じさせつつ。
 それでいて父や祖父を初めとする保護者のような存在とも違う年上の男性がそばにいるのは女の子にとって貴重なのは間違いなかった。

 そんな風に「数少ない気安い年上の男の人」だった叔父。
 中学生になってもしばらくはそんな関係が続いて、このまま自分が結婚しておばさんになっても私たちの付き合いは変わらないんだろうなと思うようにすらなっていたその時。


 叔父と私の間にある決定的で深刻な隔絶が露になってしまった。
 これ以上一緒にいることは出来ないと確信させる致命的な齟齬を抱えていることをはっきりと認識してしまった。


 ある日突然、現れて突きつけられた叔父の中にあったもの。
 そこに実の姪に向けられるはずのものではない、男が異性を求める確かな本能を見出してしまったのだ。

 かといって特段、変なことをされたわけではない。
 急に言い寄られたり、ましてや体を触られたりということではない。

 単に「かわいい」と言われただけなのだ。

 それまでにもそういわれることはいくらでもあった。
 気にするまでも無い、ただのたわいない親戚の女の子をあやす一言でしかなかった。

 でもその時は全く違っていた。

 もしかしたらそれまでも同じものが含まれていたのかもしれない。
 幼かった私がわからなかっただけで、ふとした瞬間にいたるところで漏れ出てしまっていたのかもしれない。

 だけどその時私はとうとうわかってしまった。
 異性の視線を意識して、女として目覚め始めた自分にはそこに含まれたものを感じ取らずに気がつかないでいることはもう出来なかった。

 思春期らしい悩みで自分の外観で不満を持っているところを上げて、「もっと可愛くなれたらなぁ」と自嘲気味につぶやいた私に対して何時に無く真摯で真面目な眼差しで言った叔父の一言。

 その響き。
 そこには心と体を分かち合い、対になる相手を求める切実な想いが。
 恋焦がれる大切なものを独占してすべてを貪ろうとする渇望が。
 それでいて安易な手段で台無しにしないようにと己を律するストイックな抑制が。

 男が女を求めるときの響きが確実に存在した。

 それは聞くものによっては全くわからない、実際の音や抑揚など普段の声の響きとの違いなどほとんどないようなものだったであろう。
 後になってその出来事を振り返る度に、もしかしたら気のせいであったのかもしれないと自信がなくなった。

 しかしその時の私は生々しい確かな実体を感じさせる圧倒的な臨場感で激しい衝撃とともに、未だほとんど未知の存在である筈の「男」というものをそこに発見してしまっていた。


 急に別の存在になった叔父を前に、一切を表に出さないようにしながら適当に話を切り上げる。
 もし察せられたら何か恐ろしいことが起こるような、本能的な切実さがそこにはあった。
 そんな風に自分としてはなんらの不自然さも出さなかったつもりだったが、所詮子供の浅知恵。
 大人の男には少女の中に起こった理解と変質がその時点で十分に伝わってしまったのだろう。

 それから新たな関係が静かに、そして速やかに始まっていった。

 傍目には全くそれまでと変わらないやり取り。
 でも確実に違う、その中に含まれたよそよそしさ。
 距離感。
 他人行儀な思いやり。

 余人にはわからないささやかさでごくごく密やかに、確実に積み重ねられていく。

 私が高校に入る頃にはかつてあれほど親しい特別な存在であったはずの叔父は、すっかり「ただの親戚」になっていた。

 
 その後、叔父とたまに顔を合わせたり、家族との話題でその名が挙がる度にそのことを思い出した。
 そしてあれは本当に「そういうこと」だったのだろうか、思春期の感じやすさで私が創り出した幻想だったのではないだろうかと自問自答する。

 結局、答えは出ないままに何か後ろめたい罪悪感とか大切なものを守れた安堵とか、あるいは失ってしまった喪失感に包まれて居心地の悪い胸苦しさを覚えさせられ。
 やがて人並みの恋愛を始めて、異性の存在に胸を熱くするたびに突然冷や水をかけられるようにその時の心のしこりが蘇るようになる。
 勿論、その瞬間に私は何時でも何処でもついさっきまで夢中になっていた瑞々しく甘酸っぱいときめきなど無くなってしまい、荒漠として乾ききった冷めた心持が相手に伝わらないようにするので精一杯だった。

 初めて告白された放課後、そのまま一緒に歩いた帰り道でも。
 奥手な相手にやきもきして自分から恋人繋ぎをしたあのときも。
 かすかに触れるだけの初めてのキスのときも。
 抱き合った瞬間に寒さなんか吹き飛んだ、満天の星空の下でも。
 

 何の前触れもなくそれはやってきて、果たしてあれはどういうことだったのかという答えの出ない問いが無限に繰り返され。
 ただ私の心を何か生々しい人間の業のようなものに捕らえてしまうのだった。


 実の叔父によって初めて目の当たりにして感じた「男」の強烈な印象。
 しつこく心の隅にこびりついて離れずに永らく思い悩まされたそれはまさに。

 呪い。

 思春期の少女が年頃の恋愛感情に心を委ねようとするたびに現れて何もかもを凍りつかせて動きを封じ、あらゆる感情の起伏を殺して沈めてしまう、意図せずかけられた呪いに他ならなかった。


 そして今。
 それらが正しく叔父にかけられた恐ろしい呪いであったと、そう理解して答えを見出したのは。
 心から愛する相手、その人に初めて抱かれたベッドの中。

 名実共に「女」になったことで私はやっとあの時の直感が気のせいなんかじゃない、間違いなく男が女を求める視線と声であったのだと確信を持てたのかもしれない。 
 本当に愛する男を受け入れたことであの現象を完全に把握するとともに、呪縛であったのだと理解できたのかもしれない。


 交わった後の充足感と高揚、肉体と精神が共に満たされた幸福感の只中で。
 まるで憑き物が落ちたかのように、自分が解放されたことを知る。


 それからは一切あの想いに悩まされることは無くなった。
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