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スティグマータ

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 それは不慮の事故だった。

 住む者の人格をそのままに造形したような豪華で瀟洒、非の打ちどころのない華麗な玄関を出たすぐ前。
 空間を惜しむことなく使った贅沢な勾配の階段。

 その一段を細くくびれた足首を覗かせる紅いハイヒールが踏みはずすなど。

 前を行く私に向かって身を投げ出すように宙を舞うシックなドレス。
 包まれた肢体の魅力を存分に発揮する夜会用のそれを受け止めようと、己の身体は意識することもなく当然のように動いた。

 インパクト。
 胸に抱くようにして義務を果たす。

 だからその瞬間に女が触れさせてはならないところ、男が触れてはいけないところを掴んでしまったのは全くの偶然。
 事故だったのだ。

 状況に由来する加減の無い私の挙動。
 落とし零すことだけは避けんとする意思だけであった。

 その手の中に収めたものを何の遠慮会釈なく握り締めると。
 想定しない柔らかさと弾力の感覚に襲われる。

 ずぶずぶとどこまでも沈みゆく指。
 心もとない感触と包まれるぬくもりに戦慄が走った。

 刹那の硬直。

 動けないことに焦燥を感じた途端。
 互いにあるべき姿を取り戻し始める。

 穏やかな微笑み。
 心からの感謝の言葉を受けて。
 同じように応える。
 紳士淑女の持つべき余裕と威厳。

 そうしてゆっくりと姿勢の良い立ち姿が復活を果たすと。
 何事も無かったように再び談笑と歩みが始まる。

 今の出来事を露ほども感じさせない怜悧な貌。
 威厳と気丈、気品と艶に満ちた完成された美。

 なにものにも乱されることがないはずの崇高な魂と強い意志。

 だからこそ私は己の中の男が目覚めさせられたことを知る。
 その完璧すぎる姿ゆえにこそ。

 そこだけが赤くなった耳朶を確認して燃え上がる。

 苦しく。
 切ない。

 気高き女が意図せず表出させてしまった証。
 あれほどはっきりと染めているのだから間違いなく自覚があるのだろう。

 秘められるべきものを露出してなす術もなく。
 ただ平静を保たんと努める心の在り様。

 今こうして軽やかに歩を進めているその間も。
 己を焦がし苛立たせるものを必死で抑えているのだ。

 美しく穏やかな微笑みのその下で。
 荒々しい葛藤に心をきしませているのだ。

 抑制された表情と染まった色のコントラストが私に齎す作用。

 自分の中で燃え盛る炎の勢いは益々激しくなっていく。
 感情の昂ぶりが時の流れに干渉をはじめ。
 これからの夜の永さに気が遠くなる。

 思わず。
 聞こえないようにため息をついた。
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