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訴えますからと言われながらもやめられなかった男の話
しおりを挟む押し倒した時も特に抵抗らしいものはありませんでした。
正直なところ、今でもあの時彼女がどう思っていたのかよくわかりません。
「やめてください」とか「嫌です」とか口にはしていましたけど、実際に本気で拒絶を感じさせる挙動は一切なかったんです。
もし本気でそう思っていたんなら、もっと手足をばたつかせたり、力を込めて押し返したり、殴ったりけったりといくらでもやりようはあるはず。
でも彼女はそういったことはせずに、むしろだらりと脱力させるような感じでこちらのするがままになっている……そう確信せざるをえないような感じだったんです。
その時の表情ですか?
嫌悪感のようなものが微塵もなかったかといえば嘘になりますが、やはりどこか虚ろなようすで……。
なんというんでしょう、どことなくどうでもいいような。
そう、なんだか他人事のようなものが漂ってたように思います。
少なくとも本気で抵抗し拒絶しているのであれば必ず伴うはずの懸命さとか必死さがどうも希薄で。
いや、まったくなかったとしか思えません。
それくらい、彼女はだらりと身体の力を抜いたままわずかにゆがめた表情でひたすら「嫌です」「やめてください」と壊れた畜音機械のように繰り返すだけでした。
完全に受け入れているわけではないかもしれないですけど、だからといって本気で嫌がっているわけではない。
こちらがそう感じても、なんらおかしくも異常でもない。
社会通念だとか常識とか、世の中を成り立たせている健全な価値観にどう照らし合わせても、そうとしか言いようがない。
いや、自分の持ってるそういった機軸的感覚が狂っている、ずれている可能性は否定いたしません。
絶対的に無条件で自分が清く正しいまっとうで善良な常識人だと言い張るつもりも、思い込む余裕ももはやありません。
ただ、少なくともこれまで数十年、生まれてからこちら特に問題を起こすことなく教育課程を過ごし、そのまま社会生活を始めてからも過不足なくやってこれ、労働と消費を繰り返し、この国に生きる一人の人間が負うべき義務と責任は最低限果たしてきた自負はあります。
それまで一切おかしなことは試みたり実際にやったりしたことはありません。
だから完璧とまでは言わずとも、最小限の最大公約数的な範囲で自分の社会的感覚、価値判断がそれなりの水準であったと思うのはしようがないことではないでしょうか。
それこそ既存の価値観や世のしきたり、人間集団を司る秩序を頭から否定して破壊をもくろむ反社会的な存在とはまったく別であるはずですから。
自分が知るような「悪い人達」、テレビとか文献資料に見る悪事を働く人間とは根本的に違うと確信しています。
そこは誰がどういおうとどうしても譲る気持ちにはなれません。
例え結果的に取り返しがつかない過ちを犯して一人の女性の人権を完膚なきまでに蹂躙してしまった犯罪者だと断罪されたとしてもです。
いまさら自己弁護をするつもりもありませんが、あの時の彼女にはそう思わせるものが確実にあったと言わざるを得ません。
あとから検察だとか弁護士だとか、当事者ではない数多の無関係な有象無象がいろいろどれだけ言葉を費やしたとしても、自分の中のその真実だけは違えようがありません。
正直に、真実を告げるのが法の下に置かれた我々の責務だというならば、誓って嘘偽りなくそれが本当なのです。
そのまま行為が始まってからも彼女は相変わらずでした。
もうその時にはこちらも夢中になっていたからうろ覚えですけれど、しきりに「訴えますから」とか「許しません」とか、微妙に口にする言葉の内容は違っていたようには思います。
でもゆらりと足を広げてこちらのものを身体の中に飲み込みながら、虚ろに顔を背けて、つぶやくようにぶつぶつとそう続けるだけの彼女にどんな迫真を感じ取ることができるでしょう。
本気と切実を受け取ることができるでしょう。
まあ正直に言えばそんな彼女の様子に否応ない魅力のようなものを感じてしまっていたのは否定いたしません。
口にする言葉と実際の状態のギャップのようなものが心のどこかを刺激したんだと思います。
目の前でゆらゆらと揺れながら、無感情に物騒なことを口にしている彼女の姿にはっきりと興奮して欲情していたのでしょう。
そういうのがあまりにも非人道的で犯罪的な性的狂人めいた倒錯的感覚だと言われたら、そうですかとしか言いようがありませんが。
でも、人間ならば男にも女にも関わらずそういった一種嗜虐とか被虐とか言われる欲求はあるんじゃないでしょうか。
ある程度、致命的にならない範囲でちょっと苦しそうだったり切なそうだったりする異性の表情とか反応に興味を抱いて興奮するのはそう異常なことでもなく、世にありふれたものなんじゃないでしょうか。
思うに快感と痛みというのは本来同質のもので、例えば受け入れがたいほどに高まった快感というのは痛みとそう変わらないのだと思います。
逆もまたしかり。
だから繁殖行為を宿命づけられて性的欲求を持ってしまった人間は根源的な部分で、愛する存在をなにがしかの方法で追い詰めたい、苦しめたいという感覚を持たざるをえなかったんでしょう。
それは相手の反応をなにがしか求める者であれば誰しもがあってしかるべき、当然といえば当然の欲求なんです。
痛みでも快感でも、こちらが入力したものにゲインが与えてられて出力されるのを求める。
人間のコミュニケーションの充足というのは、突き詰めればそういうことなんです。
まあそれでも違う、そんな感覚は全人類でお前だけだと言われたら何も言うことはありません。
終わったあとですか?
ちょっと息遣いが荒くなっていた以外は、特に普段と変わらない感じで淡々と後始末をしていました。
汚れたところをティッシュで拭って、こちらが剥いだ下着を元通りにまとってから、服を着て。
そのころにはもう、お互い言葉はありませんでした。
自分もなんというか、ある種の放心状態のような感じで。
茫然と彼女がそうするのを見ていたと思います。
そして彼女はそんな自分に一切視線を向けることなく、まるでそこにいないかのような感じでした。
それまでよりもさらに無機質的な雰囲気で、日々なんらの感動もなく行うことを義務付けられているルーティーンをこなすみたいに身支度を整えて。
なんだかすごい孤独感に襲われたのは覚えています。
何か一人だけ取り残されるような切迫感と悲壮感。
性衝動が果たされた後の虚無的な気だるさも相まって余計にそう感じたのかもしれません。
むしろ哀願するような心もちだったと思います。
「待って、置いてかないで」と。
「なんで行っちゃうの、一人にしないで」と。
その孤独を癒してぬくもりを感じたい飢餓感、圧倒的な精神的肉体的充足への渇望は凄まじいものがありましたが、一切を口にも態度にも出すことなく彼女が静かに出ていくのを見送ることしかできませんでした。
あとはもうご存じの通り、彼女は法に訴えて自分を断罪することを求めました。
そして結果は有罪、執行猶予もつきません。
自分はもうただの性犯罪者になったというわけです。
ただ今でもどうもこの状況が信じられないというか、うまく呑み込めないというか。
さんざん「訴える」と言われ続けたのにも関わらず、実際そうなって裁かれた今でも正直ピンと来てないのが本音ではあるんです。
彼女が嫌がってたのは事実かもしれません。
自分は望まぬ女性に無理矢理に性行為を強要した犯罪者なのは間違いないのでしょう。
でもあの時の彼女の様子、あまりにも無感動で心のこもっていない、どうでもよさそうな感じが強烈に心に残っているんです。
どれだけ口では否定的なことを言いつつも、そこに何らの真実も本音も感じられなかったあの姿が。
ここだけの話、弁護士には心からの謝罪と反省に徹するよう厳しくいわれてはいるのですが。
実際、心を尽くしてそういう風に見えるよう、評価してもらえるよう日々がんばってはいるのですが。
でも相変わらず自分の中には、確固とした何かがあるわけでなく薄ぼんやりと霞みにかかった状態でいるのです。
罪悪感も含めた一切の現実感が希薄で、夢とか幻の中をずっと漂っているような気分で過ごしています。
仮にこれが夢だとしたら悪夢……というより、意味の分からない混沌そのものとしか言いようがありません。
了
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