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淑女だろうとビッチだろうと。純愛だろうとパパ活だろうと。
しおりを挟む女という生き物と付き合うのにきっかけは何でもいいと想っている。
偶然まっとうな出会いから始まっても楽しいだろうし、あるいは金で買うような形だろうとあんまり関係はない。
普通の仕事についてる身持ちの堅い女だろうと、性的サービスを生業として毎日身体を張って生きている女だろうとどこでどう始まるかというのはあまり重要ではない。
それから積み重ねるものの質と量の問題なのである。
最初の始まりがなんであれ、その道行と到着地点を楽しめればそれでいいのだ。
言うなれば「きっかけ以外のすべて」が大切なのだと思う。
その辺、よく結果とプロセスどちらが大切かなんて話をいろんな分野で耳にしたりするけど、こと異性関係についてはナンセンスな問題提起だとは思う。
片一方だけでは不完全なのは明らか、どちらが欠けても駄目で可能な限り両方満足いくだけ堪能できるように追求していくのが当然。
両立できるならそれに越したことはない。
経過が良くても結果が駄目なら目も当てられない悲惨である。
仮にそれまで破綻すれすれの酷い道程を経緯して結果的にうまくいったとしても、「これですべて終わり良し」って風に単純なものでもなさそうである。
彼女とはもうどこでどう出会ったのかも思い出せない。
知人の紹介だったような気もするし、場末の飲み屋でひっかけたような気もする。
あるいは興が乗って衝動的に使った風俗のお相手だった可能性もあるのかもしれない。
当然ながら今さら本人に聞くこともできない。
例え己がどれだけ鈍くて察しが悪い感受性の乏しい男だとしてもそれくらいはわかるもの。
もしかしたら笑って済ませてくれるかもしれないけれど、そんな女のやさしさに一方的に甘えるようなことを自覚的にわざわざする必要もメリットも特に思いつかない。
だから明示的に確認することはしないし、思い出せる可能性もほぼ皆無。
彼女との始まりはすっかり記憶の奥深く、白く霞掛かった曖昧の彼方。
間違いないのは、今現在この瞬間自分の横にいて愉しみ悲しみとか、快不快とかの多くの感覚感情を共有している……しているとこちらが想える状態になっていることだろう。
精神的なものも肉体来なものも同じ方向のベクトルを持って、補い合えるというのは幸いである。
同じことをして一緒に気持ちよくなれるのが何よりである。
諸々の雑事を忘れてひたすら快感に浸ろうとする。
体中を使って気持ちよさを追求しようとする。
過去も未来もなく、今のこの瞬間だけがある。
ことここに至ってはプロセスと結果すら関係なくなってしまう。
ならば最初の出会い云々など言わずもがな。
きっかけなどどうでもいいのだと、あらためてそう想った。
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