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セクハラをされて思い悩む女性の話
しおりを挟むあれは間違いなくセクハラだった。
不意に腰に廻された手。
ぐいっと引き寄せられて間近に迫った赤い顔、アルコールの多量に混じった息。
耳元で囁かれる赤裸々で遠慮のない、親愛というより無礼な言葉。
合意の欠如、身体への接触、とてもプライベートなことに属する内容の言動。
別にその時点で特別な関係というわけでもなく、大きなプロジェクトが終わった打ち上げの二次会という状況。
主観、客観の別を問わず誰がどうみてもそうとしか見えない、思えない。
世にいうセクシャルハラスメントの条件は余すことなく満たしていたのは確実。
まるで「かくあるべき」というお手本のような、様式美すら感じさせる見事なセクハラ。
少なからず世間一般の女性であれば誰もがそう受け止めてしかるべき対応をするべき事案。
ましてや私はこれまで同様のことが自分の身に起こった場合は全て堂々と明るみにして相手の非を訴えてきた。
行為の激しさ、頻度、相手の立場などあらゆる差異や内容の違いを超えて、「セクハラ」という定義に該当することをされたら問答無用で訴え、そしてその悉くで勝利を勝ち取ってきた。
性的いやがらせ、性差を理由とする不快行為に一切の妥協も容赦もない。
「女」を標的とした卑劣な行いには断固として闘う。
たとえ相手が己の上司であろうとも。
取引先のお偉いさんであろうとも。
権力や立場を背景とした不当な抑圧行為には絶対に屈しないし、負けるつもりもない。
主に会社という組織の中で自分が行ってきた闘争は結果として己の名誉を取り戻し、会社風土の改善を齎したと自負している。
さらにはいつしか社内で自分がシンボリックな存在になり、今の地位を獲得することに少なからず寄与したのであろうことも理解はしている。
労働力問題改善のため、営利企業も含めた社会全体に男女平等を徹底させようとしていた国家方針という追い風もあり、あらゆる状況が自分に有利に働いたのは事実である。
だから男性社員の一部には「被害者という立場を利用して出世した女」と見る向きが、表立ってはないものの、巧妙に隠蔽され秘匿されつつ確実に存在しているのはわかっている。
ちょっとした振る舞いや言動、視線や会話の間(ま)など、「雰囲気」としか言いようが無いごくごく微妙で漠然としたもので、男たちの妬みと怒りのこもった感情を読み取るたび。
私はとことん軽蔑してやった。
以前は後ろめたいような気持があったのも否定しない。
だがもとはと言えば私を被害者にするようなことを最初にしてきた方が悪いのだ。
私はただ全うに会社業務をこなしてきただけなのに、一方的に欲情を抱いて手前勝手に満たそうとした男たちが悪いのだ。
だから被害者としてそれを訴えること、名誉を勝ち取るとともに賠償をされることなど当然ではないか。
結果として出世という形で贖われたとしてなんの問題があるのか。
能力的に劣っているつもりはこれっポッチもない。
だから多少、人事評価に影響を与えて有利になったとしても最早何の葛藤も抵抗もない。
正しく全うな大儀ある戦いの報酬。
今ではそう思えるようになっている。
そんな自分であったからこそ、本来ならばこのどう捉えてもセクハラとしか言いようがない行為に対する応酬など決まりきっていた。
打ち上げの二次会、プロジェクトメンバーの中でも比較的関係が良好な数人の中の一人。
僅かに年上の、その男性社員が不意に私にしてきた行為の代償はきっぱりとした拒絶の言葉と、出社してから一連の社内手続き、必要とあれば法的なものも含めた、セクハラ問題としての起案でしかなかった。
間違いなく自分の訴えが受理され、後は機械的に処理がされて勝利が確定し、相手に対する処分がなされるという、ただそれだけの話。
だが今回は何故かそうはならなかった。
形だけならばこれまでの幾多の不快行為と全く同じはずのことが自分に齎したもの。
その時私は不快感以外の感情を抱いてしまったのだ。
アルコールの影響で彼自身想定していなかったかもしれない、不意の行為。
もちろんこっちは全然予想もできない、なんらの予兆的な挙動もないあまりにも突発的な。
抱き寄せられて耳元で赤裸々な言葉を囁かれた瞬間。
はっきりと胸がときめいた。
甘美で切ない気持。
永らく忘れていた本能的な衝動を湧き上がらせられて。
まともに拒絶をすることなどできなかった。
そんな自分が信じられなくてしばらく呆然としてしまい、そのままうやむやにして逃げるように帰宅してしまった。
ショックだったのだ。
いきなりセクハラをされたという事実もさることながら。
何より、それまで自分が全く恋愛感情など抱いていなかった相手にされて受け入れてしまったことが最も衝撃的だった。
これが元々憎からず思っている相手であれば何も問題はなかった。
好きな相手からされるのであればあの程度は「セクハラ」にはならない。
問題は「セクハラをされた瞬間に好きになってしまった」ことなのだ。
それまで全くどうとも思ってなかった男にセクハラとしか思えない行為をされて、結果的に受け入れそうになってしまったことなのだ。
己の自意識がいかに不確かで信用ならないものかをありありと突きつけられたような、これまでやってきたことの正当性とか大儀とかが不意に損なわれたような心許ない不安感。
致命的でやり直しようがないことを突然思い出してしまったような後ろめたく気まずい焦燥感。
一時的にそんな気持に包まれたのもアルコールのせいだったのかもしれない。
しばらくすると、そんな葛藤を持つこと自体が馬鹿らしくなってきた。
「やられた方の胸先三寸」というのが、男たちにどれだけ不誠実で卑怯なことに見えたとしてもだからどうだというのか。
セクハラとはとどのつまり被害者がどう思うか捉えたかでしかないのだ。
被害者たる人間の想い、人格こそが至上で唯一のものなのだ
だから裁くのは規定やルールなどではなく、私自身でいい。
ある種の人治主義的価値観なのかもしれないが、先に理不尽で不条理な抑圧に晒されてきたのは私のほうだ。
なんの違和感も後ろめたさも持つ必要などない。
とりあえず明日、彼の気持を確認することを決めた。
私に想いを寄せていて好きだというならばよし、もしそうではないならば。
そのときには慣れ親しんだいつも通りの対応を粛々とするだけだ。
了
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