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王子の策略(ペドロル視点)
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部屋の扉がノックされた。
「来たか」
わたしが催促するよりもはやく、アルダタが「どなたでしょうか?」と声をかけながら扉に近寄っていく。
「マリルノです。王子に呼ばれたので参りました」
「失礼しました」
アルダタが扉を開けると、マリルノはパッと明るい顔を彼に向けた。
「ごきげんよう、アルダタさん」
アルダタの憂いを帯びた目に驚きの色が浮かぶ。彼は胸に手を当てて敬礼した。
「お名前、覚えてくださっていたのですね。光栄です」
マリルノはくすくす笑った。
「何度もお会いしているではありませんか。アルダタさんは、わたしの名前をまだ覚えてくださってないのですか?」
「とんでもありません、マリルノ様」
「ふふっ。ありがとうございます」
なんだ、既にいい感じじゃないか。二人のやりとりに幸先の良さを感じて、思わずほくそ笑む。この様子だと、アルダタにそれほど積極的なアプローチをさせる必要はないかもしれん。
「ごきげんよう、ペドロル様」
部屋に入ってきたマリルノがわたしに向かって言う。
「うむ」
「今日はどうかなさったのですか」
「いや、大した用じゃないんだが。ちょっと君に頼みたいことがあってね」
マリルノは小さく首を傾げた。
「何でしょうか」
「まぁ、座りなさい」
「失礼します」
マリルノが椅子に腰かけるのを待って、私は言った。
「君に頼みたいことというのは、このアルダタの教育についてなんだ」
「はい」
「単刀直入に言うと、彼に簡単な読み書きと計算を教えてやって欲しい」
マリルノは背筋をぴんと立てて、私の話を聞いていた。
「これからは使用人にも教養が求められる時代だという話を聞いてね。
以前から考えてはいたんだが、私が教えるというのも変だろう? かといってこの者のために家庭教師を雇うというのも、他の家の者に知られたら『よほどの変わりものだ』なんて、私が笑われるかもしれない」
私はテーブルに肘をついた。
「そこで思い出したんだ。マリルノ、君は以前、ダパス地方に住む孤児たちのところへ、わざわざ勉強を教えにいっていたことがあったね」
「ええ、そうです」
マリルノは昔を懐かしむように目を細めた。
「でも紛争が始まってから、いけなくなってしまいました」
「残念なことだ」
私は彼女の気持ちに寄りそうように、ため息をつき、首を振った。
「しかしあの当時の君は、孤児たちの様子をよく聞かせてくれたね。みんなとても熱心だから教え甲斐があるって。君がとても嬉しそうだったのを覚えているよ」
「そうですね」
マリルノは昔を懐かしむような目をし、微笑んだ。
「それで私は思いついたんだ。アルダタの教育係には、君が適任なんじゃないだろうか、とね」
「私ですか?」
「ああ。もちろん君が嫌じゃなければの話だが。使用人に物を教えるなんて、普通はあり得ない」
マリルノの目に、燃えるような光がともった。
「嫌だなんてとんでもありません。
それに、物事を教えたり、学んだりすることに身分は関係ないと私は思っています」
マリルノは嬉しそうに笑った。
「ペドロル様も同じ気持ちだったのですね」
「もちろん。ただ、表立ってやるようなことはしたくないんだ。時代は進んでいると言っても、それを良くは思わない老人たちはまだまだ多くいらっしゃるからね。分かってくれるかい?」
「分かります」
マリルノは力強く頷いた。
「良かった。ではこのことはしばらくの間、三人だけの秘密にしてくれ。教える場所だが……そうだな、この屋敷の別館の端に図書室があるから、そこを使ってくれ。君とアルダタがいる時間は、部屋には誰もいれないようにしよう。
『私の婚約者マリルノがこの屋敷の図書室にある本を使って、しばらく学園に提出するための課題論文を書くことに専念したいと言った。邪魔しないよう一人にしてあげて欲しい、何かあればアルダタを付き添わせているから大丈夫だ』という話にでもしておこうか」
マリルノは何度か頷いた後、「あの……」と小さく手を挙げた。
小さく手を挙げるのは、彼女が何か言いたいことがあるときにやる癖だ。
何か私の話におかしなことがあっただろうか。
私は平静を装って、「どうした?」とマリルノに尋ねた。
「アルダタさんは、この話についてどう思われているのでしょうか」
扉の横に立っていたアルダタが、顔を上げる。
「どうとは?」
「学びたいという気持ちがあるのなら、私は誰にでも、自分が与えられた知識を共有したいと思っています。でも本人にその気持ちがないのなら、無理強いはしたくないです。アルダタさんの気持ちをお聞きしても構いませんか」
なんだ、そんなことか。本人の気持ちも何も、こいつは「やります」と言うに決まっている。そうでなければ、自分の母親が救えなくなるのだから。
「アルダタ。お前の気持ちを教えなさい」
マリルノは振り返り、アルダタの顔を見た。
「私、私は……」
おい、何をためらっているのだ。お前の答えは一つしかないだろう。
するとアルダタは、マリルノの前に跪いた。
「どうか私に、教養をお授けください」
「分かりました。私で良ければ、協力させてください」
よし。
堪えようとしても、頬が緩むのを止められない。
これで舞台は整った。
「来たか」
わたしが催促するよりもはやく、アルダタが「どなたでしょうか?」と声をかけながら扉に近寄っていく。
「マリルノです。王子に呼ばれたので参りました」
「失礼しました」
アルダタが扉を開けると、マリルノはパッと明るい顔を彼に向けた。
「ごきげんよう、アルダタさん」
アルダタの憂いを帯びた目に驚きの色が浮かぶ。彼は胸に手を当てて敬礼した。
「お名前、覚えてくださっていたのですね。光栄です」
マリルノはくすくす笑った。
「何度もお会いしているではありませんか。アルダタさんは、わたしの名前をまだ覚えてくださってないのですか?」
「とんでもありません、マリルノ様」
「ふふっ。ありがとうございます」
なんだ、既にいい感じじゃないか。二人のやりとりに幸先の良さを感じて、思わずほくそ笑む。この様子だと、アルダタにそれほど積極的なアプローチをさせる必要はないかもしれん。
「ごきげんよう、ペドロル様」
部屋に入ってきたマリルノがわたしに向かって言う。
「うむ」
「今日はどうかなさったのですか」
「いや、大した用じゃないんだが。ちょっと君に頼みたいことがあってね」
マリルノは小さく首を傾げた。
「何でしょうか」
「まぁ、座りなさい」
「失礼します」
マリルノが椅子に腰かけるのを待って、私は言った。
「君に頼みたいことというのは、このアルダタの教育についてなんだ」
「はい」
「単刀直入に言うと、彼に簡単な読み書きと計算を教えてやって欲しい」
マリルノは背筋をぴんと立てて、私の話を聞いていた。
「これからは使用人にも教養が求められる時代だという話を聞いてね。
以前から考えてはいたんだが、私が教えるというのも変だろう? かといってこの者のために家庭教師を雇うというのも、他の家の者に知られたら『よほどの変わりものだ』なんて、私が笑われるかもしれない」
私はテーブルに肘をついた。
「そこで思い出したんだ。マリルノ、君は以前、ダパス地方に住む孤児たちのところへ、わざわざ勉強を教えにいっていたことがあったね」
「ええ、そうです」
マリルノは昔を懐かしむように目を細めた。
「でも紛争が始まってから、いけなくなってしまいました」
「残念なことだ」
私は彼女の気持ちに寄りそうように、ため息をつき、首を振った。
「しかしあの当時の君は、孤児たちの様子をよく聞かせてくれたね。みんなとても熱心だから教え甲斐があるって。君がとても嬉しそうだったのを覚えているよ」
「そうですね」
マリルノは昔を懐かしむような目をし、微笑んだ。
「それで私は思いついたんだ。アルダタの教育係には、君が適任なんじゃないだろうか、とね」
「私ですか?」
「ああ。もちろん君が嫌じゃなければの話だが。使用人に物を教えるなんて、普通はあり得ない」
マリルノの目に、燃えるような光がともった。
「嫌だなんてとんでもありません。
それに、物事を教えたり、学んだりすることに身分は関係ないと私は思っています」
マリルノは嬉しそうに笑った。
「ペドロル様も同じ気持ちだったのですね」
「もちろん。ただ、表立ってやるようなことはしたくないんだ。時代は進んでいると言っても、それを良くは思わない老人たちはまだまだ多くいらっしゃるからね。分かってくれるかい?」
「分かります」
マリルノは力強く頷いた。
「良かった。ではこのことはしばらくの間、三人だけの秘密にしてくれ。教える場所だが……そうだな、この屋敷の別館の端に図書室があるから、そこを使ってくれ。君とアルダタがいる時間は、部屋には誰もいれないようにしよう。
『私の婚約者マリルノがこの屋敷の図書室にある本を使って、しばらく学園に提出するための課題論文を書くことに専念したいと言った。邪魔しないよう一人にしてあげて欲しい、何かあればアルダタを付き添わせているから大丈夫だ』という話にでもしておこうか」
マリルノは何度か頷いた後、「あの……」と小さく手を挙げた。
小さく手を挙げるのは、彼女が何か言いたいことがあるときにやる癖だ。
何か私の話におかしなことがあっただろうか。
私は平静を装って、「どうした?」とマリルノに尋ねた。
「アルダタさんは、この話についてどう思われているのでしょうか」
扉の横に立っていたアルダタが、顔を上げる。
「どうとは?」
「学びたいという気持ちがあるのなら、私は誰にでも、自分が与えられた知識を共有したいと思っています。でも本人にその気持ちがないのなら、無理強いはしたくないです。アルダタさんの気持ちをお聞きしても構いませんか」
なんだ、そんなことか。本人の気持ちも何も、こいつは「やります」と言うに決まっている。そうでなければ、自分の母親が救えなくなるのだから。
「アルダタ。お前の気持ちを教えなさい」
マリルノは振り返り、アルダタの顔を見た。
「私、私は……」
おい、何をためらっているのだ。お前の答えは一つしかないだろう。
するとアルダタは、マリルノの前に跪いた。
「どうか私に、教養をお授けください」
「分かりました。私で良ければ、協力させてください」
よし。
堪えようとしても、頬が緩むのを止められない。
これで舞台は整った。
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