上 下
46 / 60

46 暗黒竜

しおりを挟む
 そこは広大な空間だった。
 洞窟と言うのは間違っているような広さがあった。
 おそらくアナイアスの街がそのまま幾つも入ってしまうであろう周囲の広さに、サイクロプスが全力ジャンプしても届かない天井の高さ。
 ほの暗い空間に、山があった。

 否、山のような大きさの竜だった。

 黒い塊から、首が伸びる。巨大すぎて全景が分からない。

 漆黒の鱗に、黄金の瞳。
 頭部だけでもサイクロプスに匹敵するような。
 生物として存在していていいのかと思うほどの、馬鹿馬鹿しいまでの巨体。

 暗黒竜バルス。

 視線だけで、一行は動きを止められた。
 心臓の動きが、肺の動きが止められる。死んでしまう。死ぬ。

「すまぬ」

 言葉が圧力となり、一行を地面にひれ伏させた。

「楽にするがよい」
 その言葉で、圧力がなくなった。体が動く。死から遠ざかる。
 しばらくは酸素を肉体に送るだけで時間が過ぎた。
 リアでさえ、金縛りにあったように動けなかったのだ。

「定命の者と相対するのは久しぶりなのでな。加減を忘れていた」
 普通に喋るだけでも、生あるものを殺してしまう。それだけの力を持っている。それが神竜。
 太古の神話の時代、天地を滅ぼそうとする神々の争いを終わらせた、絶対的な世界の守護者。
「しばし待て」
 抑えきれぬ力。そう言われれば待つしかない。
「人に合わせるのは、難しくてな」

 山が蠢いた。

 うねる。渦巻く。
 黒い塊が、徐々に小さくなっていく。



 いつの間にか腰の刀に伸ばしていた手を、リアは離した。
 本当に、いつの間に。自分でも気付かなかった。
 こんな化け物――否、神を相手に、自分は戦うつもりだったのだろうか。

 いつの間にか、山が消えていた。
 薄暗い空間の先から、足音が聞こえてくる。

 やがてリアの視界に入ったのは、美しい女だった。
 黒髪に、黄金の瞳。肌の色は白く、黒い布で、無造作に裸身を覆っていた。
 顔の造りは、リアに似ていた。
 いや、リアがあと数年すれば、このような顔になるだろうかという、造作だった。
「ようこそ、我が住処へ」
 人間の、女の声だった。先ほどまでの圧力はみじんもない。
「違った。我らが住処だな。人間の言葉は少しずつ変わるからな。……間違っておらんよな?」
 意外と腰が低い。
 偉ぶる必要がないほどの圧倒的な存在だからだろうか。
 バルスが振り返る。洞窟の壁面には、多くの窪みがあり ――。

 そこに無数の竜がいた。

 息を呑む。およそ体長は100メートルほどもあるだろうか。それが壁に穿たれた無数の壁の中で、眠っている。
 数百? 数千?
 それ以上?

「我々が本当に目覚めるのは、世界に破滅が迫った時のみ。千年紀程度では、本来動くはずもないのだが、リュクレイアーナとの約束でな。黒竜では我のみが特別に、人の味方をしている」
 もちろんこのリュクレイアーナとは、武帝のことであろう。 
 バルスが手を振る。そこに人数分の椅子が、床から生み出された。
「座るがいい。我にも、人の力を借りねばならぬことが出来たのでな」
 そう言って自分も座る。円周状に椅子は作られているのだが、リアが正面に座ってから、ようやく他の者も座っていく。

「さて、何から話すか。まずはクラリスの件からか」
 バルスの眉根に皺が寄せられる。感情表現の仕方は、人間と同じようだ。
「ついこの間、人が ―― いや今は我々もだが、クラリスと呼ぶ神竜が消滅した」
 一ヶ月以上前を、ついこの間と言う。どうもタイムスパンが人間とは違うらしい。
「原因は分からん。いや、分かるのだが、お前たちに説明する言葉を持たない。人の言葉では、その概念が無いのだ。とにかく、強力な魔王と勇者、その両方が協力すれば、それも可能だろう」
 ありえないことをバルスは言った。
 魔王と勇者が協力する?
「おかげで世界は歪み始めている。幸いこの状況をある程度予知していたので、その対策は取ってあった。我とクラリスの間に、新たな神竜が生まれた。だが、その者はまだ幼い」
 バルスが指差したのは、門番の幼竜であった。
「その者を育てねばならない。そのためには、我らが住処より出さねばならない。幼子を守り育てるのが、お前の役目だ」
 次に指したのは、リアであった。
「竜の血脈を持つ者よ。異界の神々の祝福を受けし者よ。神々を殺す者よ」
 リアだけを見つめている。最初から、他の人間のことなど眼中にない。
「お前が世界に選ばれたのは、まず一つはそのためだ」

「わ ―― たしは!」
 声が出た。出せた。
「自分で祝福を選んだ。世界に選ばれたのなんて知らない!」
 頭を振る。
 これは支配の力だ。
 暗黒竜の言葉が、そのまま力となってリアを縛っている。そうに決まっている。
「使う言葉を間違えたのかもしれんな。とにかくおまえは『宇宙の因果律』に従ってこの世界に来た」
 ぴくりとサージが体を震わせた。
 暗黒竜の使った言葉の中に、日本語が含まれていたからだ。
 ラビリンスがそうであったように、暗黒竜も転生者だというのか?
 違うと確信する。根拠は何も無いが、違うと思う。

「次の話だ。竜殺しが生まれた」
 バルスの話題が変わった。こちらの混乱を、分かっているのだろうか?
「人の身には過ぎた力だ。我々はどうということもないが、お前たちには重要なことだろう」
 さほど気にもしていないという態度をバルスは取っていた。
「竜殺しは竜以上の力を持つ者。勇者や魔王に匹敵する者。扱いを間違えれば、千年紀の秩序は失われ、大崩壊へとつながる」
 バルスは記憶を辿る。かつて生まれた竜殺し、リュクレイアーナの記憶を。
 神をも殺す力を持ちながら、それを捨てて人としての生を終えた、敬すべき人間を。
「自らの身を守るために、全力を尽くせ」
 目の前の人間たちは、果たしてどのような結論を出すのだろうか。

「三つ目だが。これも世界の秩序に関してだ」
 ここでバルスは、疲れたような溜め息をついた。
「我が魂は、間もなく摩滅する」
 それは人にとっての死を意味する。
「その後の、この世界を守護する役割を、お前に求める」
 バルスが見ているのは、リアだけだ。他の誰にも求めていない。
「それが、お前が世界に選ばれた二つ目の理由だ」
 勝手な話だ。
 しかもそれは、既に終わってしまった話として語られている。



 誰も何も喋らなかった。
 ここは人の居るべき場所ではない。命知らずの探索者のいるべき場所ではない。
 本来人が生きる場所ではないと、矮小な人間たちは分かっていた。
「さて、我ばかりが喋ってしまった。お前たちの話を聞こう」
 圧倒された人間は、話すことさえ忘れたかのように、ただ生きるのに必死だった。
 一人を除いて。
「訊きたい事が一つと、お願いしたいことが一つある」

 リアだけは、この場の圧力に抗することが出来た。
「あなたたち竜は子供を作るとき、片方が男になるという。その方法を教えて欲しい」
「自然のままに」
 即答だった。
 リアが必死で、決死の思いで発した問いに、答えは完全な形で返ってきた。
「季節が満ちたとき、お互いが心から愛し合えば、繁殖は可能だ。人間と変わらない」
 その時のリアは、ひどく変な顔をしていただろう。
 竜というのは、愛という感情を知っているのか。
 そもそも愛とはなんだ?
「お前は、誰かを心から愛したことがないのか?」

 無い。
 強いて言えばマールであるが、これはアガペーであろう。
 愛でなく、情愛である。空や海や大地を愛するように、マールのことは愛している。
 もちろんマツカゼのことも愛している。ルドルフのことも愛している。
 だがそういうことではないのだろう。
「人間は愛情なしでも繁殖する生物だぞ……」
 力なくリアは応えた。どうしようもない脱力感でいっぱいだった。
 自分の全てを否定されたような気がしていた。もちろん被害妄想だが。
「だが我とアナイアは、心から愛し合っていたぞ」
「ああ、そうですか……」
 泣きそうだったが、涙は見せない。だって心は男の子だから! ……多分。
 後でサージに相談しよう。そう決めた。

 決めたからには、もう後は振り向かない。どうしようもないことだ。
 質問は終えた。次は、願いを口にする。
「私は、あなたの力を貸して欲しい」
「我の力を何に使う?」
「この地に住む人々の力を併せて、千年紀を乗り切るため」
 そう、元々はそのために来たのだ。
 だがバルスの話を聞いた後だと、その望みがなんと矮小と思えることか。

 いや、それは違う。
 リアは違うと言える。
 人がひたすらに生きようとすることは、小さいことではあっても、卑しいことではない。
「よかろう。だが我が人の世のつながりに干渉することは出来ぬ。それは竜の牙をもって、蟻一匹を潰すことに等しい」
 バルスが立ち上がった。リアに歩み寄る。
「我が牙を与えよう」
 空間に出現した、リアよりも巨大な黒い牙が、床に突き刺さる。
「お前の力ならば、お前の望むカタナに鍛えられるだろう」
 その牙は確かに鉱物の色をしていた。
「それと、お前の力を解放しよう」
 その優美な手を、リアの額に伸ばす。
 避けようと思えば避けられた。だが避けたら負けのような気がした。
 危機感知が働かなかったこともある。確かにバルスに悪意は無かった。

 指先が触れ、電撃が走った。
 麻痺耐性を持っているはずのリアが、全く動けず倒れ伏した。
 あまりにも呆気なく、リアは意識を手放していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

「クズスキルの偽者は必要無い!」と公爵家を追放されたので、かけがえのない仲間と共に最高の国を作ります

古河夜空
ファンタジー
「お前をルートベルク公爵家から追放する――」それはあまりにも突然の出来事だった。 一五歳の誕生日を明日に控えたレオンは、公爵家を追放されてしまう。魔を制する者“神託の御子”と期待されていた、ルートベルク公爵の息子レオンだったが、『継承』という役立たずのスキルしか得ることができず、神託の御子としての片鱗を示すことが出来なかったため追放されてしまう。 一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。 どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。 ※他サイト様でも掲載しております。

怖いからと婚約破棄されました。後悔してももう遅い!

秋鷺 照
ファンタジー
ローゼは第3王子フレッドの幼馴染で婚約者。しかし、「怖いから」という理由で婚約破棄されてしまう。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...