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15 かつて二人は、勇者と魔王であった
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迷宮から脱出した悠斗と雅香は、林を囲む壁の中で、外との出入り口とは反対の場所に来ていた。
春希たちは警備のいる出入り口に向かったはずなので、そこで悠斗がまだ脱出していないと知るかもしれないが、そこは雅香がどうとでも言い含めてくれると断言した。
実際のところ彼女であれば、あの程度のスタンピードは処理できたはずなので。
「ここがいい。ここにしよう」
乾いた落ち葉が敷き詰められた地面に、雅香は腰を下ろす。悠斗もそれに倣った。
「おそらくそちらが聞きたいことが多いだろうから、先に私の方から少し尋ねたい。どうして転生出来たんだ?」
この世界では、事前準備なしでの転生はありえない。一族の常識としてはそうであるの。雅香の前世知識としてもそうらしい。
「元々こちらの世界の出身なのが関係しているのかもしれないし、勇者としての力なのかもしれない。俺には分からない」
「……勇者召喚の魔法は、異世界に存在する中で、大きな素質を持ちながら、それを発揮していない者を召喚するというものだからな。勇者としての力とは関係ないはずだ」
「そうなのか? まあ勇者召喚の魔法については、人間側もよく分かっていなかったらしいけど」
「間違いない。あの魔法は、私が人間に渡したものだからな」
その情報に、悠斗は正しく絶句した。
雅香の言葉が正しいとしたら、魔王は自分を倒すための手段を、わざわざ人間に教えたということになる。
その悠斗を見て魔王は――元魔王は得たりと、会心の笑みを浮かべる。
「私の目的というのは、強さを手に入れることと、強い者を探し出し、さらに強い者へと鍛えること。それと、世界の進歩だ」
「……人間を滅ぼそうとするのが、その目的に合致するのか?」
とても信じられないと悠斗は指摘するが、雅香は彼女にとって当然の理屈を述べた。
「戦争が強さを求め、文明を進歩させるのは分かっているだろう? それにまあ、前の世界では人間が魔族を迫害する傾向にあったから、バランスを考えて共存が出来るぐらいにまでしたつもりだ」
「魔族が迫害?」
「お前は人間が劣勢になってから召喚されたから実感出来ないだろうが、戦争以前はほとんどの人間以外の種族は、人間にとって迫害か隷属させる対象、もしくは生存競争の対象だったんだよ」
魔王の言葉は理性と知性を感じさせる。それにどこかしら一つの物事に熱中する者に特有の、目的に対する一途さも。だが病的な熱狂はない。
「……魔族と人間が共存とも言ったな?」
「あの最終決戦で、人間の最大戦力である勇者は死んだし、最初の邂逅時に二度と召喚が出来ないように資料や魔法具は破壊しただろう? わざわざ魔王の都ではなく前線の要塞を決戦場にしたのは、魔族の戦力を温存させるためだった」
つまり、全ては魔王の掌の上ということか。そういえばあの時の戦いにおいて、砦には魔王の側近である四天王は一人もいなかった。
「……お前は結局、魔族の中ではなんの種族だったんだ?」
圧倒的な力ゆえに、その弱点を探ったこともある。だがその努力は実らなかった。
「薄々気付いているんだろ? 人間だよ」
その事実は、確かに全ての証拠から求められる結果であるった。
人間が魔族の王となり人間社会と敵対する。
あちらの世界の常識では考えられないことであった。
確かに人間軍は戦略上見殺しにした集落や町もあったが、人間が魔族と和平を結ぶことはありえないし、もし魔族の中で人間がいるとしたら、それは労働力兼非常食でしかありえないはずだった。少なくとも支配者階級ではない。
「お前たちの見える範囲ではなかったが、魔王軍には人間もいたよ。それに幹部にも。魔族が人間を圧迫しても、滅ぼすことはない」
「人間と魔族を、最終的には共生させるつもりだったのか? だが魔族の中には、人間を食料とした種族もあったぞ。吸血鬼はまだしも、グールは人間の肉以外からたんぱく質を摂取出来なかったはずだ」
「昔の話だな。既にグールに向けた品種改良した家畜は遺伝子操作で開発しておいた。グール自体もあと数世代後には人間以外の肉を食えるようになるよう組み替えておいたしな」
「ま、待て待て。あちらの世界で遺伝子操作なんか可能だったのか? 魔法の中にあるのかもしれないが……」
「私の前世のそのまた前世の――まあとにかくいつかの記憶に、遺伝子を操作する技術の記憶があった」
「……」
それはつまり、魔王の転生はやはり今回が初めてということではなく――。
「お前は……魔王はいったい『何』なんだ?」
そんな抽象的な質問が出るのも無理はない話で――。
「私はただ、転生を繰り返すだけの存在だよ。一部の記憶は失っていると言っただろう?」
「俺と同じ、向こうの世界に召喚された人間じゃないのか? オクタヴィアって名前は、こちらの世界の名前だ。あちらでは他に聞いたことがない」
「残念ながらハズレだ。こちらの世界の人間は、アルビノ以外に瞳が赤いことはない。私はあちらの世界の平民に生まれ、前世の記憶を取り戻し、貴族から無体に体を求められ、人間を減らすことを決意した人間にすぎない」
悠斗はまた絶句せざるをえなかった。
元魔王との会話には、悠斗はおろか月氏一族の人間でさえ垂涎の的となるような、様々な情報が含まれていた。
一番悠斗が驚いたのは、彼女が魔族を制御可能な亜人と見ていることであったが。
「でもさすがにゴブリンは無理だよな?」
「上位種のゴブリンは知能も上がり、生殖力が落ちる。あちらの世界では無理だったが、かなり前の世界では文明化に成功した記憶があるな。しかし詳しい部分を覚えてないので、前世では上手く行かなかったが」
あるのかよ、と思わず叫びそうになる悠斗である。
魔王は強大な力を持った絶対者であったが、それが単に表面的なものであったことを知る。
彼女の言葉を信じるならば、その存在は魔王と言うよりもむしろ――神に近い。
「さて、鈴宮の姫が援軍を連れて戻ってくる前に、帰るとするか」
まだ知りたいことはいくらでもあったが、雅香はそれを切り上げるらしい。
「スマホは持ってるかな? 連絡先を交換しよう」
「ああ、それは助かるな」
雅香は悠斗との関係を続けるつもりらしい。確かに彼女の言動や行動には、既に悠斗に敵対する意思は見えない。
むしろ好意的であるとさえ言えるだろう。するとあの前世での魔王としての行動は、全て理性的になされたことだということだろうか。
それはむしろ悪よりもひどい狂気に近いとも思えるが、あくまでも彼女は一貫した意志の元に行動しているように見える。
悠斗自身も、転生してから12年経過している。魔王に対する憎しみはあるのだが、それはすぐに燃焼するようなものではない。
「今更だがすごいな。昔の私が生きていた地球型世界の一つでは、確か携帯電話が一般に普及する前に、異世界に召喚されたんだ。あれから20年も経っていないのに、ネットもコンピューターも発展しすぎだ」
「ちょっと待て。今サラっと重要なこと言わなかったか?」
悠斗のツッコミに雅香は応えず、ただその背中が笑っていた。
春希たちと再会したのは、森の入り口の兵士が詰めている拠点だった。
大人の一族らしき者10名あまりを連れて、何やらトランクなどを持っていた。おそらくスタンピードに向けて作った魔法具だったのであろう。
そんな春希たちと顔を合わせた悠斗は、少なからずバツの悪い思いをしたものだ。
「あんた、なんで彼女といるのよ!」
逃げろと言われて逃げたはずの悠斗が、御剣雅香と一緒にいる。そこに何らかの政治的な意図を考えてしまうのが、鈴宮家の春希という少女であった。
「いやあ、姫様。丁度スタンピードを狩ろうと思ってね。彼には見物をさせていたんだ」
いけしゃあしゃあと悠斗の手柄を自分のものにする雅香だが、それは悠斗も了解している。
春希たちが撤退した後、すれ違いに入った雅香がスタンピードを鎮めた。普通なら一人では不可能な、ましてや未成年で女ということでありえないと判断されることだが、御剣雅香は既に一族でその才覚を顕している。
春希たちの判断は妥当であったが、規格外が一人いるだけで、その判断が間違っていたものとなってしまう。いや、間違いとまでは言わないのだが。
春希たち4人でも、あの程度の質のスタンピードであれば、遅滞戦闘に務めればかなりの時間を稼ぎ、余裕をもって退却することが出来た、だがさすがにオーガジェネラルにまでは届かない。
御剣雅香の規格外というのは、同年代であるだけによく知っているのだ。
一族が一人前と見なされ、危険度の高い戦場に投入されるのは14歳からだが、彼女は5歳の時点で既に複数の魔物を相手に危なげなく勝つことが出来ていた。
それはゴブリンとオーガを倒した悠斗も字面だけでは同じなのだが、雅香の場合は調整されてない危険な戦域での戦いである。
彼女が出来たと言うなら、春希たちはもちろん大人の一族でさえ、それを疑うことはない。
禁足地の出口で、雅香は別れる。そこに至るまでに春希の追及が始まった。
「先に逃げろって言ったのに、どうしてあの子といたわけ? ちゃんと従ってくれないと危ないんだけど。あんたの価値は一族にとっても、重要なものなの」
以前にアルが言っていた、種馬としての遺伝子的価値というものだろうが。
「俺もちゃんと逃げようとしたんだけどな。あの子が折角だから集団相手の戦闘を見せてやるって言ったから。ほら、お前もあの子が化物みたいに強いって言ってたろ?」
春希の言葉を逆手に取った言い訳だが、それで納得出来るかというと……現実に無事であるだけに、強くは言えない。
文句を口の中に留めて、春希はぷいと顔を反らした。
「やれやれ。じゃあ私は行くよ。スタンピードの狩り残しの確認はよろしく」
権威においては上にあたる宗家の姫にも遠慮なく、というか彼女が集めてきた大人たちに対して、雅香は手を振って去っていった。
後の処理は一族が秘密裏に行うというので、悠斗もそこで解放された。
少しは手伝ってもいいかと思うのだが、春希は雅香に付き合わされた悠斗を気遣ってくれたらしい。
実際のところはあの程度のスタンピードなど、前世でならいくらでも経験しているのだが。
だがそれに甘えることにする。春希たちとの合流前に雅香から伝えられた、その日一番驚いた情報に。
「うちの本家の当主とその弟は本当に、今の私より強い」
おそらくこの時点で、元魔王は悠斗より強い。だがそれが断言したのだ。
月氏十三家。やはり侮れる存在ではない。
寮に戻った悠斗は、この日の出来事と雅香からの情報について、整理する必要があった。
魔物のスタンピード。魔物は迷宮の奥から湧いてくるということだ。異世界に繋がっている可能性は高いが、あの世界ではないかもしれない。雅香も同意見であった。
常人なら初めてのスタンピードがトラウマになってもおかしくはないが、悠斗は常人ではないし、それよりも重要なのは御剣雅香のことである。
前世における魔王。魔族を支配下に置いた、人間。転生を繰り返す者。
彼女の言葉には一理あった。あちらの世界において魔族との戦いが激化したことによって、人間側の社会も変化せざるをえなかった。
まず第一に挙げられるのは、力への信仰である。それと、徹底的なリストラ。そして血縁による相続ではなく、実力が物を言う社会。
かつては専制君主であった各国の王は、軍事力を手にした将軍や、経済力でそれを補佐する商人に実権を奪われていた。
悠斗が死んだ後に起こるのは、おそらく戦国時代である。しかし魔族の脅威自体が完全に消えたわけではないので、人間同士の反目はある程度抑えられるだろう。あるいは人間と魔族が結ぶこともあるだろう。おそらく雅香はそのように指示を残した。
それに決戦近くになってくると、軍の要職の人間は、下からの要望で選ばれることが多くなっていた。兵士に限るが、これは民主主義に発展するかもしれない。
つまりあの魔王は――魔王ではあり非道な行いもたくさんしたが、邪悪な存在ではなかったのだ。再会してみて少し話しただけでも、理性的であるのは分かったし、独自の価値観を持ってはいるが、むしろ善良に近い存在なのかもしれない。
過ぎたことは仕方がない、と言ってしまうのには過去の被害は大きすぎたが、それでも目の前の現実を直視すべきだろう。
御剣雅香が語った、彼女の正体。転生を繰り返す、神をも滅ぼす存在。
神が眠っているこの地球において、その彼女よりも強いという一族の兄弟。
一族の内部事情も、春希よりたくさん教えてくれそうではある。自分を殺した存在に対して、彼女は非常に友好的だ。
それにしても、悠斗は今後どのように行動すればいいのか。
情報が足りない。味方が足りない。力は……これでもまだ足りない。
(考えても仕方ない、か)
結局その日悠斗は、それほど疲れてもいなかったが安らかな眠りに就いた。
春希たちは警備のいる出入り口に向かったはずなので、そこで悠斗がまだ脱出していないと知るかもしれないが、そこは雅香がどうとでも言い含めてくれると断言した。
実際のところ彼女であれば、あの程度のスタンピードは処理できたはずなので。
「ここがいい。ここにしよう」
乾いた落ち葉が敷き詰められた地面に、雅香は腰を下ろす。悠斗もそれに倣った。
「おそらくそちらが聞きたいことが多いだろうから、先に私の方から少し尋ねたい。どうして転生出来たんだ?」
この世界では、事前準備なしでの転生はありえない。一族の常識としてはそうであるの。雅香の前世知識としてもそうらしい。
「元々こちらの世界の出身なのが関係しているのかもしれないし、勇者としての力なのかもしれない。俺には分からない」
「……勇者召喚の魔法は、異世界に存在する中で、大きな素質を持ちながら、それを発揮していない者を召喚するというものだからな。勇者としての力とは関係ないはずだ」
「そうなのか? まあ勇者召喚の魔法については、人間側もよく分かっていなかったらしいけど」
「間違いない。あの魔法は、私が人間に渡したものだからな」
その情報に、悠斗は正しく絶句した。
雅香の言葉が正しいとしたら、魔王は自分を倒すための手段を、わざわざ人間に教えたということになる。
その悠斗を見て魔王は――元魔王は得たりと、会心の笑みを浮かべる。
「私の目的というのは、強さを手に入れることと、強い者を探し出し、さらに強い者へと鍛えること。それと、世界の進歩だ」
「……人間を滅ぼそうとするのが、その目的に合致するのか?」
とても信じられないと悠斗は指摘するが、雅香は彼女にとって当然の理屈を述べた。
「戦争が強さを求め、文明を進歩させるのは分かっているだろう? それにまあ、前の世界では人間が魔族を迫害する傾向にあったから、バランスを考えて共存が出来るぐらいにまでしたつもりだ」
「魔族が迫害?」
「お前は人間が劣勢になってから召喚されたから実感出来ないだろうが、戦争以前はほとんどの人間以外の種族は、人間にとって迫害か隷属させる対象、もしくは生存競争の対象だったんだよ」
魔王の言葉は理性と知性を感じさせる。それにどこかしら一つの物事に熱中する者に特有の、目的に対する一途さも。だが病的な熱狂はない。
「……魔族と人間が共存とも言ったな?」
「あの最終決戦で、人間の最大戦力である勇者は死んだし、最初の邂逅時に二度と召喚が出来ないように資料や魔法具は破壊しただろう? わざわざ魔王の都ではなく前線の要塞を決戦場にしたのは、魔族の戦力を温存させるためだった」
つまり、全ては魔王の掌の上ということか。そういえばあの時の戦いにおいて、砦には魔王の側近である四天王は一人もいなかった。
「……お前は結局、魔族の中ではなんの種族だったんだ?」
圧倒的な力ゆえに、その弱点を探ったこともある。だがその努力は実らなかった。
「薄々気付いているんだろ? 人間だよ」
その事実は、確かに全ての証拠から求められる結果であるった。
人間が魔族の王となり人間社会と敵対する。
あちらの世界の常識では考えられないことであった。
確かに人間軍は戦略上見殺しにした集落や町もあったが、人間が魔族と和平を結ぶことはありえないし、もし魔族の中で人間がいるとしたら、それは労働力兼非常食でしかありえないはずだった。少なくとも支配者階級ではない。
「お前たちの見える範囲ではなかったが、魔王軍には人間もいたよ。それに幹部にも。魔族が人間を圧迫しても、滅ぼすことはない」
「人間と魔族を、最終的には共生させるつもりだったのか? だが魔族の中には、人間を食料とした種族もあったぞ。吸血鬼はまだしも、グールは人間の肉以外からたんぱく質を摂取出来なかったはずだ」
「昔の話だな。既にグールに向けた品種改良した家畜は遺伝子操作で開発しておいた。グール自体もあと数世代後には人間以外の肉を食えるようになるよう組み替えておいたしな」
「ま、待て待て。あちらの世界で遺伝子操作なんか可能だったのか? 魔法の中にあるのかもしれないが……」
「私の前世のそのまた前世の――まあとにかくいつかの記憶に、遺伝子を操作する技術の記憶があった」
「……」
それはつまり、魔王の転生はやはり今回が初めてということではなく――。
「お前は……魔王はいったい『何』なんだ?」
そんな抽象的な質問が出るのも無理はない話で――。
「私はただ、転生を繰り返すだけの存在だよ。一部の記憶は失っていると言っただろう?」
「俺と同じ、向こうの世界に召喚された人間じゃないのか? オクタヴィアって名前は、こちらの世界の名前だ。あちらでは他に聞いたことがない」
「残念ながらハズレだ。こちらの世界の人間は、アルビノ以外に瞳が赤いことはない。私はあちらの世界の平民に生まれ、前世の記憶を取り戻し、貴族から無体に体を求められ、人間を減らすことを決意した人間にすぎない」
悠斗はまた絶句せざるをえなかった。
元魔王との会話には、悠斗はおろか月氏一族の人間でさえ垂涎の的となるような、様々な情報が含まれていた。
一番悠斗が驚いたのは、彼女が魔族を制御可能な亜人と見ていることであったが。
「でもさすがにゴブリンは無理だよな?」
「上位種のゴブリンは知能も上がり、生殖力が落ちる。あちらの世界では無理だったが、かなり前の世界では文明化に成功した記憶があるな。しかし詳しい部分を覚えてないので、前世では上手く行かなかったが」
あるのかよ、と思わず叫びそうになる悠斗である。
魔王は強大な力を持った絶対者であったが、それが単に表面的なものであったことを知る。
彼女の言葉を信じるならば、その存在は魔王と言うよりもむしろ――神に近い。
「さて、鈴宮の姫が援軍を連れて戻ってくる前に、帰るとするか」
まだ知りたいことはいくらでもあったが、雅香はそれを切り上げるらしい。
「スマホは持ってるかな? 連絡先を交換しよう」
「ああ、それは助かるな」
雅香は悠斗との関係を続けるつもりらしい。確かに彼女の言動や行動には、既に悠斗に敵対する意思は見えない。
むしろ好意的であるとさえ言えるだろう。するとあの前世での魔王としての行動は、全て理性的になされたことだということだろうか。
それはむしろ悪よりもひどい狂気に近いとも思えるが、あくまでも彼女は一貫した意志の元に行動しているように見える。
悠斗自身も、転生してから12年経過している。魔王に対する憎しみはあるのだが、それはすぐに燃焼するようなものではない。
「今更だがすごいな。昔の私が生きていた地球型世界の一つでは、確か携帯電話が一般に普及する前に、異世界に召喚されたんだ。あれから20年も経っていないのに、ネットもコンピューターも発展しすぎだ」
「ちょっと待て。今サラっと重要なこと言わなかったか?」
悠斗のツッコミに雅香は応えず、ただその背中が笑っていた。
春希たちと再会したのは、森の入り口の兵士が詰めている拠点だった。
大人の一族らしき者10名あまりを連れて、何やらトランクなどを持っていた。おそらくスタンピードに向けて作った魔法具だったのであろう。
そんな春希たちと顔を合わせた悠斗は、少なからずバツの悪い思いをしたものだ。
「あんた、なんで彼女といるのよ!」
逃げろと言われて逃げたはずの悠斗が、御剣雅香と一緒にいる。そこに何らかの政治的な意図を考えてしまうのが、鈴宮家の春希という少女であった。
「いやあ、姫様。丁度スタンピードを狩ろうと思ってね。彼には見物をさせていたんだ」
いけしゃあしゃあと悠斗の手柄を自分のものにする雅香だが、それは悠斗も了解している。
春希たちが撤退した後、すれ違いに入った雅香がスタンピードを鎮めた。普通なら一人では不可能な、ましてや未成年で女ということでありえないと判断されることだが、御剣雅香は既に一族でその才覚を顕している。
春希たちの判断は妥当であったが、規格外が一人いるだけで、その判断が間違っていたものとなってしまう。いや、間違いとまでは言わないのだが。
春希たち4人でも、あの程度の質のスタンピードであれば、遅滞戦闘に務めればかなりの時間を稼ぎ、余裕をもって退却することが出来た、だがさすがにオーガジェネラルにまでは届かない。
御剣雅香の規格外というのは、同年代であるだけによく知っているのだ。
一族が一人前と見なされ、危険度の高い戦場に投入されるのは14歳からだが、彼女は5歳の時点で既に複数の魔物を相手に危なげなく勝つことが出来ていた。
それはゴブリンとオーガを倒した悠斗も字面だけでは同じなのだが、雅香の場合は調整されてない危険な戦域での戦いである。
彼女が出来たと言うなら、春希たちはもちろん大人の一族でさえ、それを疑うことはない。
禁足地の出口で、雅香は別れる。そこに至るまでに春希の追及が始まった。
「先に逃げろって言ったのに、どうしてあの子といたわけ? ちゃんと従ってくれないと危ないんだけど。あんたの価値は一族にとっても、重要なものなの」
以前にアルが言っていた、種馬としての遺伝子的価値というものだろうが。
「俺もちゃんと逃げようとしたんだけどな。あの子が折角だから集団相手の戦闘を見せてやるって言ったから。ほら、お前もあの子が化物みたいに強いって言ってたろ?」
春希の言葉を逆手に取った言い訳だが、それで納得出来るかというと……現実に無事であるだけに、強くは言えない。
文句を口の中に留めて、春希はぷいと顔を反らした。
「やれやれ。じゃあ私は行くよ。スタンピードの狩り残しの確認はよろしく」
権威においては上にあたる宗家の姫にも遠慮なく、というか彼女が集めてきた大人たちに対して、雅香は手を振って去っていった。
後の処理は一族が秘密裏に行うというので、悠斗もそこで解放された。
少しは手伝ってもいいかと思うのだが、春希は雅香に付き合わされた悠斗を気遣ってくれたらしい。
実際のところはあの程度のスタンピードなど、前世でならいくらでも経験しているのだが。
だがそれに甘えることにする。春希たちとの合流前に雅香から伝えられた、その日一番驚いた情報に。
「うちの本家の当主とその弟は本当に、今の私より強い」
おそらくこの時点で、元魔王は悠斗より強い。だがそれが断言したのだ。
月氏十三家。やはり侮れる存在ではない。
寮に戻った悠斗は、この日の出来事と雅香からの情報について、整理する必要があった。
魔物のスタンピード。魔物は迷宮の奥から湧いてくるということだ。異世界に繋がっている可能性は高いが、あの世界ではないかもしれない。雅香も同意見であった。
常人なら初めてのスタンピードがトラウマになってもおかしくはないが、悠斗は常人ではないし、それよりも重要なのは御剣雅香のことである。
前世における魔王。魔族を支配下に置いた、人間。転生を繰り返す者。
彼女の言葉には一理あった。あちらの世界において魔族との戦いが激化したことによって、人間側の社会も変化せざるをえなかった。
まず第一に挙げられるのは、力への信仰である。それと、徹底的なリストラ。そして血縁による相続ではなく、実力が物を言う社会。
かつては専制君主であった各国の王は、軍事力を手にした将軍や、経済力でそれを補佐する商人に実権を奪われていた。
悠斗が死んだ後に起こるのは、おそらく戦国時代である。しかし魔族の脅威自体が完全に消えたわけではないので、人間同士の反目はある程度抑えられるだろう。あるいは人間と魔族が結ぶこともあるだろう。おそらく雅香はそのように指示を残した。
それに決戦近くになってくると、軍の要職の人間は、下からの要望で選ばれることが多くなっていた。兵士に限るが、これは民主主義に発展するかもしれない。
つまりあの魔王は――魔王ではあり非道な行いもたくさんしたが、邪悪な存在ではなかったのだ。再会してみて少し話しただけでも、理性的であるのは分かったし、独自の価値観を持ってはいるが、むしろ善良に近い存在なのかもしれない。
過ぎたことは仕方がない、と言ってしまうのには過去の被害は大きすぎたが、それでも目の前の現実を直視すべきだろう。
御剣雅香が語った、彼女の正体。転生を繰り返す、神をも滅ぼす存在。
神が眠っているこの地球において、その彼女よりも強いという一族の兄弟。
一族の内部事情も、春希よりたくさん教えてくれそうではある。自分を殺した存在に対して、彼女は非常に友好的だ。
それにしても、悠斗は今後どのように行動すればいいのか。
情報が足りない。味方が足りない。力は……これでもまだ足りない。
(考えても仕方ない、か)
結局その日悠斗は、それほど疲れてもいなかったが安らかな眠りに就いた。
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