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11章 タイアップ

180 師走

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 時間の経過していくのが早い。
 世間を歩けば、クリスマスソングが聞こえてくる。
 やることが多いと、時間の経過を早く感じるのは当然だ。
 俊はひたすら、曲を作り歌詞を書き、練習をしていく。
 レコーディングは一通り終わり、あとはアルバムに何を入れるのかを考えるだけだ。
 12月のワンマンライブに間に合わせるためには、ジャケットのデザインなども考えなければいけない。
 正直なところそのあたりまでは、さすがに創造性を出せない俊である。

 アルバム自体のタイトルも考えなければいけないが、それは選曲が終わってからである。
 とりあえず雷をまだ入れることが出来ないのは、契約の関係上仕方のないことだ。
(あと半年以上も先になるわけだ)
 ただアニメーションで周知されてから、発表した方がいいのも確かだ。
 アメリカはサブスクで音楽を聴くのが一般化しているので、霹靂の刻と雷だけは、そちらで配信してもいいかもしれない。
 あとの問題はオリバーが、どれほどの作品を作ってくれるか、というものだろう。

 最低でも二週間に一度は、ノイズはライブを行っている。
 ただ高校生組の予定に縛りがあるので、限界はあるのだ。
 俊としては大学の課題用に、いくつか曲も作っている。 
 最近提出するような楽曲は、多くがネタに走ったようなものとなっている。
 ノイズのサリエリとは、イメージの違う曲ばかりなのだ。

 こしあんPとして出した久しぶりのネタ曲は、かなりPV数が回転している。
 ある程度ちゃんと、アニメーションをつけたのも大きいだろう。
 一枚絵のバージョン違いを、上手く組み合わせるだけでも、充分に面白い音楽にはなる。
 だがネタに走った曲というのは、映像もネタを組み合わせておかなければ面白くない。
 サリエリとして活動するためには、こしあんPとしての活動も、プラスには働いているらしい。

 音源自体はミックスまで、俊がしっかりとやってみた。
 マスタリングについては、俊ではなくエンジニアにもう任せてしまう。
 そのために収録曲をどうするか、決めなければいけないのだが。
 そしてジャケットに関してなどは、メンバー全員の案を出してもらう。
 もっともジャケットというのは、そのアルバムの顔となるものだ。
 有名なCDアルバムは必ず、そのジャケットも知られているものである。
 レッドツェッペリンなどはシンプルであったりして、ビートルズもシンプルなものが多かったりはするが。

 収録曲のイメージに合わせて、ジャケットは決めるべきであろう。
 ここをクリアしなければ、そもそも次の工程に進めない。
「荒天はさすがに入れた方がいいと思う」
 三味線が目立つ曲を、暁が推してくる。
 確かにあれは、霹靂の刻のイメージを持っているため、目立つ曲にはなっている。

 他に新曲で評判がいいのは、『暗き水の底から』『パッチワーク』『レジスタンス』あたりとなる。
 だがこの中でキラーチューンと呼べるような、万人に受けやすいものはない。
 レジスタンスは派手な曲であるが、暗き水の底からやパッチワークは、グランジ系で陰鬱なイメージがある。
 もちろんそういう曲が、悪いわけではないのだが、俊は案外そういう曲は上手く作れていない。
「いっそまた、カバー曲少し入れるか?」
 栄二が言ってくれるが、確かにそれは悪くないアイデアだ。



 ノイズは一応ロックバンドであるが、ほとんどポップスのようなものである。 
 時折強烈なロックテイストの楽曲があるので、一応はロックの分類にしてあるが。
 そもそもロックフェスなどと言っても、最近はアイドルなども普通に出ているため、音楽にわざわざ垣根を作ること自体が、傲慢でありナンセンスであるとも言える。
 俊もロックの中でも、おそらくプログレに分類されるような、難解な曲を作ったりする。
 実際のところはプログレは、あまり好きな系統ではない。
 俊は音楽が好きといってもポピュラーなもの、分かりやすいものを好む。
 もちろんそれが、単に安易なだけではいけない、とも考えている。

 音楽というものに、果たして何を求めているのか。
 それを自分の中で、明確にしておかなければいけない。
 社会的に、あるいは商業的に考えるなら、売れればそれでいい。
 自分らしさなどというものは、あまり考えていない。おそらくノイズでそれを備えているのは、月子と暁だけだろう。
 他の人間は技術や、感情をそのままダイレクトに乗せている。
 信吾などはビジュアル系に近いタイプで、そのくせベーシストとしてはしっかりとリズムを取っている。
 栄二なども安定感が、その魅力であるのだ。

 楽曲を作るのはともかく、演奏自体にはほとんど興味がないな、と俊は自分のことを理解している。
 ただ演奏の上手下手は分かるので、手を抜くことが出来ない。
 もっとも打ち込みとシンセサイザーを使うのは、演奏以前に音を作ってあるので、少し下手でも誤魔化せる。
 ただそういうことをすると、他のメンバーからツッコミが入ってくる。
 ノイズはリーダー相手でも、忖度をするようなバンドではない。

 そんなノイズがカバーする曲となると、どういうものになるのか。
 正直なところ邦楽でも洋楽でも、おおよそ出来ないものはない。
 打ち込みによる管と弦の追加で、おおよそは成立してしまう。
 EDMを使っていくのは、現代においては普通のことだ。
「カバー曲なら、知名度の高い曲がいいけど」
「マイコーする?」
 千歳はなんだかんだ言いながら、ロックもだがポップスも好む。
 ただ自分で演奏する時は、上手く音に感情が乗っているのだ。

 暁は魂がロックであるが、千歳も表現がロックである。
 人生がロックになってしまったのは、仕方がないと言うべきか。
 それを言うなら月子などは、まさに人生がソウルである。
 その分類ならば俊の場合はむしろ、クラシックの方が近いのかもしれない。
「有名な洋楽とかでいいなら、あたしはEye Of The Tigerなんかやりたいな」
 千歳はそんなことを言うが、歌うのは主に月子になるであろう。
 英語で歌うのはいまだに、まだまだ未熟な月子であるが、それは千歳も同レベル以下だ。

 洋楽カバーというのは、悪いことではない。
 ただどうせなら、二曲ぐらいはカバーして、邦楽と洋楽から一曲ずつ選べばいいのではないか。
「うちらってロックバンドなのに、B'zのカバーってしてないよね? なんか理由あるの?」
 千歳は暁から、洋楽だけではなく90年代ぐらいまでの邦楽も聞かされている。
 ただ80年代ぐらいのものであると、まだちょっと感性が違うと思ってしまう。
 90年代ぐらいに入ると、自分の中でもしっくりとくるのだが。

 逆に洋楽であると、80年代でも普通にしっくりとくる曲がある。
 この間もHolding Out For A Heroなどをやっているが、あれも80年代だ。
 日本のロックバンドというかロックのユニットでB'zよりも実績があるのはいないだろう。
「有名すぎてカバーしてもなあ……」
 いや、だからカバーすればという話になってくるのだが、俊は気が進まないらしい。
 どうせアレンジをするのは俊なので、俊が気に入らないならどうしようもない。
「邦楽でカバーするなら、せっかくボーカルが二人いるんだし奇跡の地球とかやってみたらどうだ?」
 栄二も面白がってそう言うが、考えてみればロックグループの強力なところは、男性ボーカルが多い。
 ノイズの女性ツインボーカルでやれば、それだけで面白いような気もする。



 好き放題に言っているが、レコーディングの残り期間を考えれば、もうほとんど時間はない。
 単に作った曲を入れるだけなら、それでもいいのだが。
 ある程度のコンセプトを持つか、曲の順番にストーリーを入れるなら、確かにカバーを使ってもいいだろう。
「コンペ用に作った曲を入れられないのが失敗だな」
 コンペの応募条件の中に、未発表曲というものがあったのだ。
 ライブなどでの演奏はいいが、音源として流通していると、弾かれてしまうのだ。

 〆切が二月であるのだから、それまでにまた新しい曲を作ってもいいのだが、そもそも原作に合わせた曲を、これ以上上手く作れるのかという問題もある。
 インプットしたからこそ、作られた曲である。
 特に今回は作曲よりも、作詞のほうに力を入れた。
 原作があるのだから、それにイメージを合わせていったのだ。
 俊はそのあたり、商業ロックにも抵抗がない。

 自分のやりたいことと、世間の求めていることは、反発しあうものではない。
 別のことではあるが、両立させることは不可能ではないのだ。
 むしろ両立させてようやく、自分の求めることにたどり着くと言えよう。 
 後の世に評価されればいい、などというたわけたことを言っていてはいけない。
 後の世で評価されるのは、同時代でも評価されて、後の世に残ったものであるのだ。

 俊の考えるアーティストのスタイルというのは、やはり原型がビートルズにある。
 自分たちで曲を作り、詩を書き、演奏して歌う。
 今では当たり前のことを、ほぼ初めてやったのがビートルズの世代である。
 イギリスでデビューしてアメリカで人気が爆発したと思われているビートルズだが、実はドイツのハンブルグなどでも修行をしている。
 ジョンの無茶苦茶さは売れる前から既に存在し、色々と逸話は残されている。
 ロンドンではなくリヴァプールで育ったビートルズだが、実は当時はアメリカからの音楽は、港町リヴァプールに先に入ってきたという事情もある。
 そしてライブハウスのようなホールで、人気を高めていったのだ。

 今でもバンドのスタイルというのは、基本的に変わらない。
 メンバーを集めて、カバーから始まって、やがてそれでは飽き足らずに自分たちで作曲や作詞をしていく。
 ただ演奏などはともかく、作詞と作曲は他からの提供を受けているというパターンもある。
 もっとも自分たちで作詞作曲をしないのであれば、わざわざバンドを組む必要もない、という理屈も存在する。
 80年代は明らかに自分たちでは弾いてもいない、口パクバンドなどというのもレコード会社が作ったりしたものだ。
 それで売れるのならば、何も問題はない。
 だが今の時代は、受け取る側が選ぶコンテンツが多すぎる。
 適当に考えたものであっては、とても売れるものではない。

 もっとも今の売れている音楽が、普遍的なものだとも思わない。
 時代に合ったもの、というのは必ずあるはずなのだ。
 俊が考えているのは、まずは同時代の成功。
 だが少なくとも100年、残る音楽を作りたい。
 クラシック音楽だけではなく、日本の民謡なども少しずつ変わりながら、数百年は続いてきた。
 他の誰かに出来たことなのだから、自分に出来ないということもないだろう。



 レコーティングが終わった後に、マスタリングも終わって、ディスクまでが完成した。
 今回は一万枚、まずはプレスされる。
 最初の頃よりもさらに、まだまだCDショップは減っている。
 かつて俊がアルバイトしていた店も、わずか一年ちょっとで大きく売上を落としているらしいと、かつてのバイト仲間から聞いた。

 いずれ実物というのは、直販と通販でしか手に入らなくなるのだろうか。
 CDショップに入って、過去の名盤や知らない新人を発掘していくという、昔ながらの楽しみ方はもうなくなっていくのか。
 俊は自分のボカロPとしての導線を使って、どうにかノイズを認知させた。
 そしてその人気が高まっていったのは、やはりライブを続けていったことにあると思う。
 あとはキラーチューンのMVであろうか。

 海賊版が出回っている一方で、ノイズのファーストアルバムに、プレミア価格がついていたりもする。
 たったの一年程度であるのに、そんな価値が出ているのか。
 デジタルデータだけで満足するのが、今の一般的な社会であるのだろう。
 だが実体を持つというのは、おそらく贅沢な物となっているのだ。

 俊の場合は父親の影響で、実物を持つことに抵抗がない。
 だがそれは収納空間の大きな家に住んでいるから、とも言える。
 ジョブスが色々と開発したのは、多くの曲を自分で選出して小さなものに入れることが出来るというもの。
 当時の常識としては、いかにも味気ないものであったという感想だったそうだが、実際には携帯するレコーダーなどはその方向に進んでいった。
 本に関してもデータになっていることが多い。
 むしろ本の方にこそ、縮小させる意味があったと言えるであろうか。
 HDD一つに、数千数万の本のデータが入る。
 しかも検索もしやすいとなれば、実物は必要なくなると言ってもいい。

 だが実物を持っておくというのは、重要なことでもある。
 サブスクでいつでも聞けると思っていた曲が、突然に消失するということは、普通に今はあるのだから。
 充分な需要があるのに、そういうことがあるのは、他の形で販売する方が得になる場合であろう。
 俊にしても出来ることならば、全てCDの実体で販売してしまいたいものなのだ。

 ただ東京の住宅事情などを考えた場合、それは現実的ではない。
 今はPCのHDDの中に、多くの情報を入れてしまう時代と言ってもいい。
 さらにネット環境さえあれば、クラウドに保存するという手段もある。
 もっともクラウドの方は、容量のもんだいもあるのだが。

 千歳の父親なども、実物とデータと、両方で色々と持っていた。
 借りたものは、マンガなどに関しては、実本などの方が多かったという。
 だがそのまま画面で見るアニメなどは、パソコンの中に入っていたそうな。
 世界は今も変化し続けている。
 次の社会の形態を予測しなければ、生き残れない時代になっているのかもしれない。
 それでもライブハウスは、変わらず熱狂し続けている。
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