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四章 ラストピース
46 傷だらけの彼女
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千歳はずっと怒っていた。
それは自分の運命にであったり、何も吐き出すところがない自分にであったり、ただ普通の人間である自分に対してであったり。
歌が上手いと言われても、そこまでのものではないと思っていた。
何かを変えたくて、高校では軽音部に入った。
親切な先輩がいて、歌を誉めてくれて、ライブハウスで歌ってみようとまで言ってくれたのだ。
時々自分を見る目に、ちょっと分かりにくい感情を感じたが。
そして初めてのステージ。
間違いばかりしている演奏に、京子が言ったのだ。
もうギターはやめて、全力で歌えと。
歌に集中した瞬間、ギターの音が全力で、千歳の背中を押してきた。
すると押し出されて、感情の乗った声が出てきたのだ。
軽音部で歌っていたよりも、さらに強い声。
怒りが爆発したかのような、自分のもっと奥深くから、叫びのように出てきたもの。
それが何かは、分かっている。
泣かなかった代わりに、叫ぶことも出来なかった。
突如として失われてしまった、自分の当たり前の生活。
ずっと続いていくはずはないとは知っていたが、断絶するようなものでもないと思っていた。
ドラマやマンガの中では、いくらでもそれを見てきたのに。
どうして!
どうしてあたしが!
どうしてあたしがこんな目に!
お父さんとお母さんを返せ!
そんなどろどろとしたものを吐き出させたのが、暁のギターであった。
普段教えてもらっているのとは、明らかに違うギター。
優しいものではなく、魂に刻み付けていくような。
その後の展開も、流されるようなものであった。
袖で聴いていた、ノイズの圧倒的な演奏。
そして何より、あのボーカルだ。
ハイトーンでクリアでありながら、迫力が違う。
こういう人がプロになるのでは、などと思ったものだ。
だからこそ驚いた。
アンコールに自分を連れ出そうとする、ノイズのリーダーに。
歌える曲を並べていったら、まさかあれを採用するとは。
「ノイズってロックバンドじゃないんですか?」
「魂がロックだったら、何を歌っても弾いてもロックになるんだよ」
まあ確かに、初対面の自分を、いきなり共演させるなど、本当にロックであると思う。
アンコールに応えるため、ステージに戻ってきたノイズ。
西園と信吾はさほど問題ではない。
だが暁は微妙に、エフェクターの設定をいじる必要がある。
(いきなりだけど、そんなに凄かったのかな?)
千歳にはギターは教えていても、その歌を聴くことなどはなかった。
だが俊がこれだけ固執するのは、必ず何かを感じたからだ。
ギターパートも、それほど難しいわけではない。
むしろ一番大変なのは、俊であろう。
ピアノから始まる上に、電子音で補わなければいけないところもある。
ただやはり一番不安が残るのは、ボーカルであろうか。
俊は前から準備をしていたと言っていたが。
その俊が一同を見て、準備確認をしてからMCを始める。
「それじゃあアンコールに応えて。若いお客さんが多いけど、夏は特別な季節だから、ちょっと時期的には早いかもしれないけど、名曲いきます』
ある意味において日本のMVでは伝説的なこの曲。
映画の主題歌になりながらも、その出来によってMVが本体、とまで言われてしまったこの楽曲。
『打上花火』
俊は音をピアノにして、慎重に弾き始めた。
この曲は繊細に始めなければ、簡単に台無しになってしまうのだ。
静かなピアノの音の中に、電子音とかすかなギターの音が混じっていく。
そして抑制された、月子の透き通った歌声が響く。
ライブハウスであるのに、その声を聴きたいと思うがゆえに、雑音がどんどんと減っていく。
人の心を支配するような、心の防壁を突破してしまうクリアボイス。
本当に大丈夫なのか。
信吾は俊の直感を、まだそれほど信じてはいない。
この曲はギターでオーディエンスを支配出来るようなものではない。
本来なら男女のツインボーカルで、またもしやるとしても、月子こそが男声パートを受け持つべきではないのか。
さほど難しくもない、ベースのパートが続く。
ただギターは何をやっているのかと思ったが、何かエフェクターをいじったらしい。
(演奏だけじゃなく、設定の技術まであるのか)
新たな暁の実力の発見であるが、そういえば普段から色々とやってはいた。
男声パートが混じる。
それと同時にドラムが始まる。
(合うはずだ)
そして千歳が歌いだす。
見事に月子の声と、ハーモニーとして成立していた。
そして男声パートへと。
落ち着いた千歳の声は少年が歌っているような色から、また少し変化している。
月子の場合は何を歌っても、月子の歌としてしまう。
支配的な歌声と言ってしまっていいのかもしれないが、アレンジすれば原曲を上回ってしまう。
だが千歳の声は、原曲に寄りながらも、自分の歌として成立させている。
タイプの違うボーカルが二人。
それなのにコーラスの部分ではしっかりと合っている。
(見つけたぞ! 六人目!)
それは俊の中で確信となっていた。
フロントラインの三人が、全員女性というのは、ちょっと不思議な感じもしたが。
永遠に夏が続けばいいという曲。
何度も夏を繰り返すという曲。
選択によって変化が起こる現実。
一度聴いたときから、そしてバンドを組んだ時から、絶対にカバーしたいと思っていたのだ。
だが月子一人に歌わせるには、原曲のイメージが強すぎる。
他にも現在の月子には、発声の早いペースの曲は難しいという弱点があった。
それはいずれ、練習して克服すればいいと思っていたが、もっと短縮する手段を発見した。
まだギターは下手くそだが、リズムギターで少し音を厚くしたいとも思っていたのだ。
これまでは打ち込みによって、それをやっていった。
だがライブ中の化学反応は、直接楽器を操作することで発生する。
もちろん俊のやっていることも、立派な演奏の一部ではある。
電子音でしか出せない音というのはあるし、電子音で代用できる音もたくさんあるのだ。
曲が終わりへと収束していく。
暁も含めた三人が、ラララと歌っていく。
女声三人のコーラスというのは、こういうものになるのか。
(本人は気づいてないけど、暁もかなり歌は上手いんだよな)
ただギターの演奏と同時にするのは、とても難しいのだ。歌うのを忘れてしまう。
終わり、を感じさせる曲であった。
夏の切なさを、この夏の開始の時点で。
しかし夏はまだこれから始まる。
そして俊はノイズが、ここで本当のスタートラインに立ったと思ったのだ。
オーディエンスに静かな高温の熱を残して、ライブは終了した。
深々と頭を下げる京子。
「本っっっっっ当にありがとうございました」
俊は心底どうでもよさげに、それを無視した。
実際にどうでも良かったのだ。
タイムテーブルの変更なども、上手くいった。
子供のやったことに、いちいち怒りを持続させておくほど、彼は暇ではなかった。
どこかぼんやりと、千歳は目の前の光景を見ていた。
そんな千歳に対して、俊が向き合う。
「君の名前は」
「香坂千歳……」
「君には才能がある。歌で食べていくつもりはあるか? ついでにギターもやってくれるとありがたい」
「俊、話を進めるのが早すぎるだろう」
西園が俊の拙速さを咎めるが、俊としては時間など、いくらあっても足りない。
それにもう一つ、俊としては大事なことがある。
「栄二さん、これで俺の、最強の六人がそろいましたよ」
その言葉に、西園は沈黙する。
俊の中で夢として出現する直感。
彼の理想とするような、バンドの形。
そのためには西園も必要だった。選ばれていた。
それをただの空想、あるいは妄想だと笑い飛ばすのは、もう難しくなっている。
いきなり、今日出会ったばかりで、練習もしていないのに、あそこまで合ってしまった。
もちろん支える側が高度な技術を持ち、俊がいずれはやりたい曲として準備していたというのもある。
それでもこれは、あまりに運命的過ぎた。
西園は答えを持たない。
単純にメジャーデビューしたいだけなら、普通にジャックナイフにいたままで良かった。
メジャーデビューしても、三年後に残っているバンドがどれだけあるか。
そんなところに、妻子を持ってしまって、行けるはずがなかったのだ。
この奇跡的な可能性を見ても、将来の保証などはどこにもない。
西園には背負っているものが多すぎる。
まだ何者でもない他のメンバーと違い、既に夫であり父であるのだ。
「……次の練習は予定通りにな」
そして去っていく西園。
次の約束があるので、俊はそれを追いかけることはない。
今はこちらと話すべきだろう。
千歳は混乱していた。
混乱の中でも、己の中のものを吐き出すことが出来た。
しかしその空白の中へ、さらに俊は踏み込んできた。
「歌でって、プロ? あたしに? いや、あたしはただお母さんが……」
そんな千歳の肩に、手をかけたのは京子であった。
「千歳、貴方はたぶん、プロになるだけの力がある」
そのために京子は、色々と無理を通したのだから。
「今日のライブで確信した。わたしと違って、安藤さんと同じ世界の人間」
あたしかよ、という顔を暁はした。
そんな暁に、京子は吐露する。
「安藤さん、ごめんなさい。ずっと謝りたかった」
何か謝られることなどあったろうか。
「貴方のギターを聴いて、わたしは嫉妬してしまった。だからあんな反応をして、貴方を軽音部から遠ざけてしまった。本当に、今さらだけど……」
「え、なんの話です?」
暁は全く見に覚えがなかった。
「その、貴方のギターに何も賞賛を送らなくて、それで来なくなったんでしょ?」
「いや、あたしは単に、その……合わせるなら他の人と合わせればいいかと思っただけで」
どうやら色々と誤解があるらしい。
ただ京子の暁に対する罪悪感が、今日の横紙破りな行動になったというのか。
それならば千歳を発見できた俊としては、結果よければ全て良しで、広い心で許してしまうしかないのだが。
もっともそういった空気を、千歳は分からない。
それでも理解するなら、自分の中の気持ちと、俊の言葉を合わせて反応するしかない。
「なんで、あたしはただ……なんで今さら」
そこで言葉の詰まった千歳は、その場から駆け出した。
ドアを開け放って、このライブハウスという特殊な空間から、いつもの場所へと。
いや、いつもの場所はもう、失われてしまった。
それでもどうにか、帰る場所は作られた。
歌が上手いから、千歳は歌手になれるかもね。
そう言ったのは誰であったか。
でも、もっと上手くないとなれないよ。
そう言った母とは、よく歌っていたものだ。
かつての自分の場所であった家ではなく、まだ仮住まいの感覚があるマンションへ。
戻ってきた千歳を迎えたのは、もう病院から戻ってきていた叔母の文乃であった。
「お帰り、って何があったの?」
そう問うてくる声は、千歳を見ても平静なものである。
ライブの終わりから逆算して、普通に帰って来たはずだ。
ただギターを持っていない。
千歳は自分の感情を、上手く順序だてて話すことなど出来ない。
この叔母のようには、上手く言葉を紡げないのだ。
それを言うなら文乃も、別に言葉を使うのは上手くない、と言うだろう。小説家であるのに。
「あたしが! プロになれるって! なんで今さら!」
そう叫ぶ千歳に、文乃は声をかけない。
ただ面白そうだとも思わず、一人の人間として彼女に対するのみ。
「千歳、私は貴方の叔母で保護者だけど、親でもなく優しくもないから、適当に慰めてあげることは出来ない」
しかし文乃は、誠実ではあった。
「出来るのはせいぜい、話を聞いて、助言がほしいなら実務的なことを説明するだけ」
両親を失ったばかりの姪っ子にも、甘くはない。だが厳しくもなく、一人の人間として接する。
「千歳、やっと泣けたのね」
その言葉で千歳は、自分がやっとあの日から初めて、泣いているのを知った。
目の前で両親が死んでから、もう四ヶ月。
空っぽの何かに、ずっと穴は空いたままだった。
けれど今は、それに溢れる涙が注がれたのだ。
千歳を観察する文乃は、作家としての冷徹な観察も行っている。
だがそこから出る言葉は、実務的に大切なことだ。
「それで、貴方ギターはどうしたの?」
「あ、置いてきちゃった」
「誰かに持っていかれたりは?」
そう言われて、涙の跡もそのままに、千歳は慌てだす。
だがポケットからスマートフォンを取り出して、とりあえずは安心する。
「友達が持っていてくれるって」
「そう。他に何か忘れ物は?」
「ううん、他には」
忘れ物はないが、話の途中で飛び出してしまった。
感情が爆発するのを、見られたくなかったからだが。
激情をコントロールするのは、高校生の女の子には難しい。
文乃はその激情を、全て文章として発散していた。
その結果が、社会不適応者に近い、文筆業の人間としてどうにか生計を立てることに成功していた。
表面的には冷たい、合理的な人間として見えるようにもなれた。
昔からの友達や、仲間には本音を洩らせるのだが。
「とりあえず、食事はする?」
「する。今日は丼の日だっけ」
「忙しかったから、ピザを頼んだけど」
日常が戻ってくる。
この非日常的な存在の叔母は、それでもリアルな感触であった。
千歳にやってきた非現実は、それとは全く別の方向から、彼女自身の特徴へと働きかけてきたのであった。
「フミちゃん、あたし歌手になれるかなあ?」
「……私が言えるのは、貴方がとても歌は上手いという事実だけなんだけど」
彼女のこの言い方を聞いて、千歳は自分の日常が戻ってきたのを感じた。
それは自分の運命にであったり、何も吐き出すところがない自分にであったり、ただ普通の人間である自分に対してであったり。
歌が上手いと言われても、そこまでのものではないと思っていた。
何かを変えたくて、高校では軽音部に入った。
親切な先輩がいて、歌を誉めてくれて、ライブハウスで歌ってみようとまで言ってくれたのだ。
時々自分を見る目に、ちょっと分かりにくい感情を感じたが。
そして初めてのステージ。
間違いばかりしている演奏に、京子が言ったのだ。
もうギターはやめて、全力で歌えと。
歌に集中した瞬間、ギターの音が全力で、千歳の背中を押してきた。
すると押し出されて、感情の乗った声が出てきたのだ。
軽音部で歌っていたよりも、さらに強い声。
怒りが爆発したかのような、自分のもっと奥深くから、叫びのように出てきたもの。
それが何かは、分かっている。
泣かなかった代わりに、叫ぶことも出来なかった。
突如として失われてしまった、自分の当たり前の生活。
ずっと続いていくはずはないとは知っていたが、断絶するようなものでもないと思っていた。
ドラマやマンガの中では、いくらでもそれを見てきたのに。
どうして!
どうしてあたしが!
どうしてあたしがこんな目に!
お父さんとお母さんを返せ!
そんなどろどろとしたものを吐き出させたのが、暁のギターであった。
普段教えてもらっているのとは、明らかに違うギター。
優しいものではなく、魂に刻み付けていくような。
その後の展開も、流されるようなものであった。
袖で聴いていた、ノイズの圧倒的な演奏。
そして何より、あのボーカルだ。
ハイトーンでクリアでありながら、迫力が違う。
こういう人がプロになるのでは、などと思ったものだ。
だからこそ驚いた。
アンコールに自分を連れ出そうとする、ノイズのリーダーに。
歌える曲を並べていったら、まさかあれを採用するとは。
「ノイズってロックバンドじゃないんですか?」
「魂がロックだったら、何を歌っても弾いてもロックになるんだよ」
まあ確かに、初対面の自分を、いきなり共演させるなど、本当にロックであると思う。
アンコールに応えるため、ステージに戻ってきたノイズ。
西園と信吾はさほど問題ではない。
だが暁は微妙に、エフェクターの設定をいじる必要がある。
(いきなりだけど、そんなに凄かったのかな?)
千歳にはギターは教えていても、その歌を聴くことなどはなかった。
だが俊がこれだけ固執するのは、必ず何かを感じたからだ。
ギターパートも、それほど難しいわけではない。
むしろ一番大変なのは、俊であろう。
ピアノから始まる上に、電子音で補わなければいけないところもある。
ただやはり一番不安が残るのは、ボーカルであろうか。
俊は前から準備をしていたと言っていたが。
その俊が一同を見て、準備確認をしてからMCを始める。
「それじゃあアンコールに応えて。若いお客さんが多いけど、夏は特別な季節だから、ちょっと時期的には早いかもしれないけど、名曲いきます』
ある意味において日本のMVでは伝説的なこの曲。
映画の主題歌になりながらも、その出来によってMVが本体、とまで言われてしまったこの楽曲。
『打上花火』
俊は音をピアノにして、慎重に弾き始めた。
この曲は繊細に始めなければ、簡単に台無しになってしまうのだ。
静かなピアノの音の中に、電子音とかすかなギターの音が混じっていく。
そして抑制された、月子の透き通った歌声が響く。
ライブハウスであるのに、その声を聴きたいと思うがゆえに、雑音がどんどんと減っていく。
人の心を支配するような、心の防壁を突破してしまうクリアボイス。
本当に大丈夫なのか。
信吾は俊の直感を、まだそれほど信じてはいない。
この曲はギターでオーディエンスを支配出来るようなものではない。
本来なら男女のツインボーカルで、またもしやるとしても、月子こそが男声パートを受け持つべきではないのか。
さほど難しくもない、ベースのパートが続く。
ただギターは何をやっているのかと思ったが、何かエフェクターをいじったらしい。
(演奏だけじゃなく、設定の技術まであるのか)
新たな暁の実力の発見であるが、そういえば普段から色々とやってはいた。
男声パートが混じる。
それと同時にドラムが始まる。
(合うはずだ)
そして千歳が歌いだす。
見事に月子の声と、ハーモニーとして成立していた。
そして男声パートへと。
落ち着いた千歳の声は少年が歌っているような色から、また少し変化している。
月子の場合は何を歌っても、月子の歌としてしまう。
支配的な歌声と言ってしまっていいのかもしれないが、アレンジすれば原曲を上回ってしまう。
だが千歳の声は、原曲に寄りながらも、自分の歌として成立させている。
タイプの違うボーカルが二人。
それなのにコーラスの部分ではしっかりと合っている。
(見つけたぞ! 六人目!)
それは俊の中で確信となっていた。
フロントラインの三人が、全員女性というのは、ちょっと不思議な感じもしたが。
永遠に夏が続けばいいという曲。
何度も夏を繰り返すという曲。
選択によって変化が起こる現実。
一度聴いたときから、そしてバンドを組んだ時から、絶対にカバーしたいと思っていたのだ。
だが月子一人に歌わせるには、原曲のイメージが強すぎる。
他にも現在の月子には、発声の早いペースの曲は難しいという弱点があった。
それはいずれ、練習して克服すればいいと思っていたが、もっと短縮する手段を発見した。
まだギターは下手くそだが、リズムギターで少し音を厚くしたいとも思っていたのだ。
これまでは打ち込みによって、それをやっていった。
だがライブ中の化学反応は、直接楽器を操作することで発生する。
もちろん俊のやっていることも、立派な演奏の一部ではある。
電子音でしか出せない音というのはあるし、電子音で代用できる音もたくさんあるのだ。
曲が終わりへと収束していく。
暁も含めた三人が、ラララと歌っていく。
女声三人のコーラスというのは、こういうものになるのか。
(本人は気づいてないけど、暁もかなり歌は上手いんだよな)
ただギターの演奏と同時にするのは、とても難しいのだ。歌うのを忘れてしまう。
終わり、を感じさせる曲であった。
夏の切なさを、この夏の開始の時点で。
しかし夏はまだこれから始まる。
そして俊はノイズが、ここで本当のスタートラインに立ったと思ったのだ。
オーディエンスに静かな高温の熱を残して、ライブは終了した。
深々と頭を下げる京子。
「本っっっっっ当にありがとうございました」
俊は心底どうでもよさげに、それを無視した。
実際にどうでも良かったのだ。
タイムテーブルの変更なども、上手くいった。
子供のやったことに、いちいち怒りを持続させておくほど、彼は暇ではなかった。
どこかぼんやりと、千歳は目の前の光景を見ていた。
そんな千歳に対して、俊が向き合う。
「君の名前は」
「香坂千歳……」
「君には才能がある。歌で食べていくつもりはあるか? ついでにギターもやってくれるとありがたい」
「俊、話を進めるのが早すぎるだろう」
西園が俊の拙速さを咎めるが、俊としては時間など、いくらあっても足りない。
それにもう一つ、俊としては大事なことがある。
「栄二さん、これで俺の、最強の六人がそろいましたよ」
その言葉に、西園は沈黙する。
俊の中で夢として出現する直感。
彼の理想とするような、バンドの形。
そのためには西園も必要だった。選ばれていた。
それをただの空想、あるいは妄想だと笑い飛ばすのは、もう難しくなっている。
いきなり、今日出会ったばかりで、練習もしていないのに、あそこまで合ってしまった。
もちろん支える側が高度な技術を持ち、俊がいずれはやりたい曲として準備していたというのもある。
それでもこれは、あまりに運命的過ぎた。
西園は答えを持たない。
単純にメジャーデビューしたいだけなら、普通にジャックナイフにいたままで良かった。
メジャーデビューしても、三年後に残っているバンドがどれだけあるか。
そんなところに、妻子を持ってしまって、行けるはずがなかったのだ。
この奇跡的な可能性を見ても、将来の保証などはどこにもない。
西園には背負っているものが多すぎる。
まだ何者でもない他のメンバーと違い、既に夫であり父であるのだ。
「……次の練習は予定通りにな」
そして去っていく西園。
次の約束があるので、俊はそれを追いかけることはない。
今はこちらと話すべきだろう。
千歳は混乱していた。
混乱の中でも、己の中のものを吐き出すことが出来た。
しかしその空白の中へ、さらに俊は踏み込んできた。
「歌でって、プロ? あたしに? いや、あたしはただお母さんが……」
そんな千歳の肩に、手をかけたのは京子であった。
「千歳、貴方はたぶん、プロになるだけの力がある」
そのために京子は、色々と無理を通したのだから。
「今日のライブで確信した。わたしと違って、安藤さんと同じ世界の人間」
あたしかよ、という顔を暁はした。
そんな暁に、京子は吐露する。
「安藤さん、ごめんなさい。ずっと謝りたかった」
何か謝られることなどあったろうか。
「貴方のギターを聴いて、わたしは嫉妬してしまった。だからあんな反応をして、貴方を軽音部から遠ざけてしまった。本当に、今さらだけど……」
「え、なんの話です?」
暁は全く見に覚えがなかった。
「その、貴方のギターに何も賞賛を送らなくて、それで来なくなったんでしょ?」
「いや、あたしは単に、その……合わせるなら他の人と合わせればいいかと思っただけで」
どうやら色々と誤解があるらしい。
ただ京子の暁に対する罪悪感が、今日の横紙破りな行動になったというのか。
それならば千歳を発見できた俊としては、結果よければ全て良しで、広い心で許してしまうしかないのだが。
もっともそういった空気を、千歳は分からない。
それでも理解するなら、自分の中の気持ちと、俊の言葉を合わせて反応するしかない。
「なんで、あたしはただ……なんで今さら」
そこで言葉の詰まった千歳は、その場から駆け出した。
ドアを開け放って、このライブハウスという特殊な空間から、いつもの場所へと。
いや、いつもの場所はもう、失われてしまった。
それでもどうにか、帰る場所は作られた。
歌が上手いから、千歳は歌手になれるかもね。
そう言ったのは誰であったか。
でも、もっと上手くないとなれないよ。
そう言った母とは、よく歌っていたものだ。
かつての自分の場所であった家ではなく、まだ仮住まいの感覚があるマンションへ。
戻ってきた千歳を迎えたのは、もう病院から戻ってきていた叔母の文乃であった。
「お帰り、って何があったの?」
そう問うてくる声は、千歳を見ても平静なものである。
ライブの終わりから逆算して、普通に帰って来たはずだ。
ただギターを持っていない。
千歳は自分の感情を、上手く順序だてて話すことなど出来ない。
この叔母のようには、上手く言葉を紡げないのだ。
それを言うなら文乃も、別に言葉を使うのは上手くない、と言うだろう。小説家であるのに。
「あたしが! プロになれるって! なんで今さら!」
そう叫ぶ千歳に、文乃は声をかけない。
ただ面白そうだとも思わず、一人の人間として彼女に対するのみ。
「千歳、私は貴方の叔母で保護者だけど、親でもなく優しくもないから、適当に慰めてあげることは出来ない」
しかし文乃は、誠実ではあった。
「出来るのはせいぜい、話を聞いて、助言がほしいなら実務的なことを説明するだけ」
両親を失ったばかりの姪っ子にも、甘くはない。だが厳しくもなく、一人の人間として接する。
「千歳、やっと泣けたのね」
その言葉で千歳は、自分がやっとあの日から初めて、泣いているのを知った。
目の前で両親が死んでから、もう四ヶ月。
空っぽの何かに、ずっと穴は空いたままだった。
けれど今は、それに溢れる涙が注がれたのだ。
千歳を観察する文乃は、作家としての冷徹な観察も行っている。
だがそこから出る言葉は、実務的に大切なことだ。
「それで、貴方ギターはどうしたの?」
「あ、置いてきちゃった」
「誰かに持っていかれたりは?」
そう言われて、涙の跡もそのままに、千歳は慌てだす。
だがポケットからスマートフォンを取り出して、とりあえずは安心する。
「友達が持っていてくれるって」
「そう。他に何か忘れ物は?」
「ううん、他には」
忘れ物はないが、話の途中で飛び出してしまった。
感情が爆発するのを、見られたくなかったからだが。
激情をコントロールするのは、高校生の女の子には難しい。
文乃はその激情を、全て文章として発散していた。
その結果が、社会不適応者に近い、文筆業の人間としてどうにか生計を立てることに成功していた。
表面的には冷たい、合理的な人間として見えるようにもなれた。
昔からの友達や、仲間には本音を洩らせるのだが。
「とりあえず、食事はする?」
「する。今日は丼の日だっけ」
「忙しかったから、ピザを頼んだけど」
日常が戻ってくる。
この非日常的な存在の叔母は、それでもリアルな感触であった。
千歳にやってきた非現実は、それとは全く別の方向から、彼女自身の特徴へと働きかけてきたのであった。
「フミちゃん、あたし歌手になれるかなあ?」
「……私が言えるのは、貴方がとても歌は上手いという事実だけなんだけど」
彼女のこの言い方を聞いて、千歳は自分の日常が戻ってきたのを感じた。
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