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二章 ギターヒーロー
21 選曲
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安藤暁は本名を安藤・アシュリー・暁という。
アシュリーというのは、男の子だったら暁という意味のアスランと名付けるはずだったのを、女の子の名前に変えたのである。
ただこのアスランというのが暁という意味であるというのは、よく知れ渡った間違った知識である。
本来は夕暮れ付近を示すのが、アスランという言葉であるそうな。
両親は幼少期に離婚していて、実母は現在カナダにいて、他の家庭を持っている。
面識はないが父親の違う弟妹がいるという、けっこう複雑な家庭環境なのだ。
また父親が現在お付き合いしている女性は、父よりもずっと年下で、むしろ暁の方が年齢は近い。
暁との関係は悪くなく、むしろなんでまだ結婚しないのだろうとも思うが、あちらはあちらで今は仕事に専念したいのだとか。
自分の存在が二人の関係を邪魔しているのでは、と考えることもある。
複雑な家庭に育っているのは、俊や月子だけではない。
その見た目の赤毛などで、子供の頃にはからかわれたり、奇異の目で見られたこともある。
そんな時に自分を慰めてくれたのは、常にギターである。
「というわけで、俊さんのところに行きますので」
「そうか。俺も一度顔を出してみるかな」
「俊さんも挨拶に来るとか言ってたけど、いらないよね?」
「話を聞いている限り、随分と忙しそうだしな。俺たちの時代は、そんなに忙しいなら学校なんてやめちまえ、っていう流れがまだあったけど」
「お父さんたちは大学時代にデビューしてるから……」
メジャーデビューと同時に、在学していたメンバーは退学してしまったが。
その後はバンドが解散して、作詞作曲の大部分を手がけていた俊の父は、主にプロデュースする方に回った。
安藤はレーベル所属のスタジオミュージシャンとなり、暁が大きくなってからは、バンドのバックミュージシャンとして出張することも多くなった。
岡町は大学で講師をしているし、他のメンバーは音楽で稼いだ金で、店を持った者もいる。
「あのさ、お父さん」
「ん~?」
「俊さんのお父さんって、自殺だったんだよね?」
「う~ん……」
「調べても自殺説と事故説、両方あったからこそ、正確に知っておきたいんだけど」
「あ~……」
あるいはこのことも、考えておいた方が良かったのかもしれない。
暁はギター馬鹿ではあるが、頭がおかしいわけではないのだ。
下手に隠すよりは、分かっていることをしっかりと教えておくべきだろう。
「正直なところ、よく分からないんだ。確かに一時的に、精神的に不安定な状態になっていたことはあった。だがあの時期は、一番ひどい時期は脱してたからな」
ただ薬物を使用していたことは、絶対に間違いようのない事実である。
過剰摂取ならば自殺なのか、それとも事故なのかは判断が難しい。
ただそこまで自分を追い込む時期は、あの頃は終わっていた。
あるいは殺されたのかも、という予想を安藤はしていた。
俊の父親が死んだことによって、彼のプロデュースしたアルバムなどが、今さら売れたりしたわけでもあるし。
当時は既にマーケットが配信に移行していたため、異例の売り上げとなった。
ただ芸能界のそこまで黒い話を、娘に聞かせるつもりはない。
「事故だった、と思う。少なくともそう思っていないと、遺族は救われない」
「俊さんの、お母さんは何をしてるの?」
「最近はアメリカとかヨーロッパを回って、何かボランティアの活動をしてるそうだけどな」
なので俊は、一人でいるというわけだ。
暁は俊の見せる、硬質な表情が気になっていた。
精神力の強さのような、それでいてどこか繊細そうな、複雑な人間ではないか、と思ったのだ。
一緒に音楽をやっていく上では、親戚のお兄ちゃんのような感覚がある。
馴れ合いは芸術の敵だなどとも言うが、逆に親密だからこそ、最後に残る絆もあるかもしれない。
「それでお父さん、次にやるライブのチケット買ってくれる?」
「ああ、何枚かほしいな」
「おお~。無理してない?」
「今の音楽業界、耳のいい人間は、ネットもしっかり見てるからな」
安藤は自分のスマートフォンの画面を見せる。
「10日で140万再生レベルの曲があれば、普通に注目される。それに歌い手の方は突然出てきたからな。いったいどこから見つけてきたんだ?」
「そういえばそれは聞いてない」
まだこれから、仲良くなっていく過程である。
暁は本当に友達がいない。
小学生ぐらいまではまだ、髪の色をからかわれるぐらいで、普通に友達がいたはずである。
中学に入った頃から、どうやら孤立し始めたのだとか。
別に苛められているわけでもなく、そしてギターという逃げ場があったのが、逆に悪かったのかもしれない。
「仲良くなれそうか?」
「ん~、多分」
歌っている時以外は、どこかおどおどした雰囲気があった。
「でもそれより、本当に歌が上手かった。聴いてみる?」
あの日、岡町はデータでくれたのだ。
「ノイジーガールか」
「それのロックアレンジ」
「また君はなんでもロックにしちゃうから……」
「だってこっちの方が良かったから」
ナチュラルに上からものを言っているが、事実であるので性質が悪い。
ヘッドフォンを持ってきて、娘の演奏したノイジーガールを聞いてみる。
当然のようにロックになっているが、それが悪くはない。
聴き終えてから考え込む父に、暁は伝える。
「元々ロックっていうか、ギターパートは不足してたんだって。上手い人じゃないと弾けないのを、もう一回あたしがアレンジしたの」
「そのまま録音してこの音か……」
ドラムがものすごく下手くそで、リズムはベースがかろうじてキープしていた。
ただドラムの責任と言うよりは、ギターとボーカルが共鳴するように、走りすぎたように思える。
バンドとしては明らかにアンバランスだ。
ボーカルとギターが相互に爆発を起こしていて、かなり暴走しかけている。
「このベースは岡町か?」
「うん、それでドラムは俊さん」
「それじゃ仕方がないか」
俊が幼い頃を、安藤は憶えている。
周囲には天才だの神童だの持て囃す人間もいたが、あれは単に器用で、上達が早かっただけだ。
まともに話すよりも早く、ギターに没頭していた娘を見ている安藤は、才能というもののあやふやさが分かる。
暁の持っている演奏技術と、そして歌うように鳴らされるギター。
どこまでが才能なのか、どこまでが練習の結果なのか。
もっとも暁はギターに関しては、ひたすら遊んでいたように思う。
どういった音が出せるのか、どう演奏したらいいのか。
細かいところを微調整するテクニックなどはともかく、ギターに対するフィーリングは、もう自分を超えている。
だが、バンドの中で弾くには、決定的に足りていない部分があるが。
(俊が気づくかどうかで、バンドが成立するかどうか決まるな)
出来れば、暁には居場所があってほしい。
別に性格が悪くもないし、会話が下手ということもないのに、あまり人間関係を築けない。
時々率直過ぎることが、おそらくは問題なのだろうが。
「あ、そうだお父さん、選曲手伝ってくれない?」
「選曲? ライブでカバーするのか?」
「ノイジーガール以外は合わせてもないから、三曲はカバーなんだけど、あと一曲が決まってないの」
「どうせギターの目立つ曲ばっかりやりたいんだろ」
「でもロビンソンもするよ」
「……ロックアレンジするなよ?」
「しないよ!」
このあたり、父親にさえ信用されていない暁であった。
世田谷にある俊の家の最寄り駅は多摩川駅である。
渋谷から乗り換えなしの線もあり、少し向こうは田園調布という高級住宅地。
「俊さんの家、そんなにお金持ちなの?」
「親がな」
駅まで迎えに来た俊は、月子と一緒の暁からケースを預かる。
ギターは誰かに任せない暁も、エフェクターボードにはそこまでの愛着はないらしい。
確かにギターに比べたら、特別に高いものは使っていなかったが。
そして徒歩10分ほどで、高く白い壁に囲まれた家に到達する。
「デカ! 何で!? そんなにお金持ち!?」
「俊さん、何も説明してないの?」
「少しは説明したけどな」
本当に少しなのだろうな、と暁は思う。
同じバンドのメンバーではあったが、作詞作曲の多くの部分を手がけたので、それだけ俊の父は金を残したのだ。
またバンドの解散以降も、かなりの楽曲を提供し、それがたくさんヒットした。
暁は少し二人の顔を交互に見たが、俊に囁く。
「あたしが説明しようか?」
「まあ、詳しすぎないように」
あの父親を持っているということの意味を、暁も分からないでもない。
子供の頃には暁も、父親が芸能人ということで、しかし全然名前が知られていないということで、変に周囲の注目を浴びたものだ。
バンドで現役であった頃は、相当に知られていた存在で、だからこそ今もミュージシャンとしてやっていられるのだが。
「ツキちゃん、東条高志って知ってる?」
「昔すごく売れてた作曲家の?」
「すごくざっくりした憶え方だけど、それが俊さんのお父さんなの」
「え」
全盛期はとっくに過ぎていたが、まだそれでも多くの歌手をプロデュースなどはしていた。
そう、作曲家というだけではなく、作詞家、プロデューサーとしての業績が大きい。
「それでお金持ちなんだ」
「まあ、相続税が大変だったけどな」
「あれ、亡くなってる……の?」
これは暁に囁いたもので、それに暁は無言で頷いた。
芸能人であっても、その死が全て注目されるわけではない。
ただ俊の父の場合は、まだそこそこ若かったということもある。
ムーブメントは大きく、TTプロデュースというのが、一時代を築いたこともある。
だがそのムーブメントを、アメリカ育ちの天才が完全に粉砕した。
数年間の活動ながら、新たなムーブメントを作り出し、それが過ぎ去った頃にはもう、父は時代遅れとなっていた。
それでもまだ仕事はあって、散発的ながらヒット曲は出ていたのだ。
そこで事故のような死。
実はかなりセンセーショナルな出来事であったのだが、その頃の月子はあまり記憶がはっきりしていない。
自分もまた、両親を失った頃であったからだ。
「名字が違うのは?」
「芸名もあったけど、離婚もしてるんだよね」
こそこそと話す二人だが、俊にはしっかりと聞こえている。
知ってる人間なら、大量にいるものだ。
「セキュリティが入ってるから、すぐに鍵を渡すことは出来ない。地下がスタジオになってるんだ」
広いリビングを通りながら、俊は説明する。
「格差社会……」
「否定はしない」
地下への階段は二つあり、もう一つはガレージの方に続いている。
そちらはまた別の鍵があるのだ。
地下は三つに分かれていて、書斎のような部屋、楽器を保管している部屋、そしてレッスンスタジオの部屋となる。
その真ん中にある、シートの上に布団が敷かれていたりする。
「ここで寝てるの?」
「色々作業してから寝ると、上まで行くのが面倒なんだ」
月子の問いに対する答えは、なんとも天才肌の言い分である。
俊としては、ただ効率を重視しているだけだが。
案内をした後、一行は上に戻る。
そしてリビングで、残り一曲の選曲に入るのであった。
「俺が提案するのは千本桜だ」
「ギターアレンジ楽しそう」
「かなり早い弾き方になるけど、まあアキなら弾けるだろうな」
ちょっと省略したアレンジを、朝倉には渡した。
だが暁なら、そのままで弾けるであろう。
「わたしは「夏祭り」を提案します」
「ちょっと季節的に早くないか?」
「あたしは悪くないと思うけど、他に本命を持ってきました」
そして暁は、音源をスマートフォンから鳴らし始めた。
ゴリゴリのハードロックというか、ジャンル的にはメタルになるのか。
「これは……」
「歌えなくはないけど……」
「歌えるのか?」
「歌詞に感情移入できる」
「そうか」
あまり月子のイメージには合わないのだが、この歌詞に共感出来るというのか。
なんというか、月子のこともまだ、よく分かっていないなと俊は反省する。
ただこれは、原曲は相当に古かったはずだ。
「これって外国人のカバーが多いんだよね」
「そうなのか?」
Yourtubeを開くのに、俊はノートパソコンを使う。
検索すれば確かに、カバー演奏がたくさん出てくる。
「攻撃的ないい曲だとは思うけど、どうしてこんなにカバーされてるの?」
「アニメで世界中に知られたんだろうな」
「アニソンなの? これが?」
まあ女子である月子が知らないのは無理もないだろう。
ただ暁が持ってきたのも、意外と言うしかない。
「お父さんの世代だしね」
「なるほど」
それは納得出来る。
これまでにカバーしてきたものとは、かなり曲調が違う。
ただしロックアレンジのノイジーガールには、かなり近いイメージもある。
なぜか月子もやる気になっているので、俊としてもそれならそれでいい。
もっとも千本桜と同じで、打ち込みが大変そうだとは思ったが。
「月子もじゃあ、これでいいのか?」
「うん」
「で、ギターイントロとかリフを、アレンジしろということになるんだな?」
「あたしはもう、いくつか考えてきた」
にこにこと笑う暁は、早くもギターをケースから取り出していたのであった。
アシュリーというのは、男の子だったら暁という意味のアスランと名付けるはずだったのを、女の子の名前に変えたのである。
ただこのアスランというのが暁という意味であるというのは、よく知れ渡った間違った知識である。
本来は夕暮れ付近を示すのが、アスランという言葉であるそうな。
両親は幼少期に離婚していて、実母は現在カナダにいて、他の家庭を持っている。
面識はないが父親の違う弟妹がいるという、けっこう複雑な家庭環境なのだ。
また父親が現在お付き合いしている女性は、父よりもずっと年下で、むしろ暁の方が年齢は近い。
暁との関係は悪くなく、むしろなんでまだ結婚しないのだろうとも思うが、あちらはあちらで今は仕事に専念したいのだとか。
自分の存在が二人の関係を邪魔しているのでは、と考えることもある。
複雑な家庭に育っているのは、俊や月子だけではない。
その見た目の赤毛などで、子供の頃にはからかわれたり、奇異の目で見られたこともある。
そんな時に自分を慰めてくれたのは、常にギターである。
「というわけで、俊さんのところに行きますので」
「そうか。俺も一度顔を出してみるかな」
「俊さんも挨拶に来るとか言ってたけど、いらないよね?」
「話を聞いている限り、随分と忙しそうだしな。俺たちの時代は、そんなに忙しいなら学校なんてやめちまえ、っていう流れがまだあったけど」
「お父さんたちは大学時代にデビューしてるから……」
メジャーデビューと同時に、在学していたメンバーは退学してしまったが。
その後はバンドが解散して、作詞作曲の大部分を手がけていた俊の父は、主にプロデュースする方に回った。
安藤はレーベル所属のスタジオミュージシャンとなり、暁が大きくなってからは、バンドのバックミュージシャンとして出張することも多くなった。
岡町は大学で講師をしているし、他のメンバーは音楽で稼いだ金で、店を持った者もいる。
「あのさ、お父さん」
「ん~?」
「俊さんのお父さんって、自殺だったんだよね?」
「う~ん……」
「調べても自殺説と事故説、両方あったからこそ、正確に知っておきたいんだけど」
「あ~……」
あるいはこのことも、考えておいた方が良かったのかもしれない。
暁はギター馬鹿ではあるが、頭がおかしいわけではないのだ。
下手に隠すよりは、分かっていることをしっかりと教えておくべきだろう。
「正直なところ、よく分からないんだ。確かに一時的に、精神的に不安定な状態になっていたことはあった。だがあの時期は、一番ひどい時期は脱してたからな」
ただ薬物を使用していたことは、絶対に間違いようのない事実である。
過剰摂取ならば自殺なのか、それとも事故なのかは判断が難しい。
ただそこまで自分を追い込む時期は、あの頃は終わっていた。
あるいは殺されたのかも、という予想を安藤はしていた。
俊の父親が死んだことによって、彼のプロデュースしたアルバムなどが、今さら売れたりしたわけでもあるし。
当時は既にマーケットが配信に移行していたため、異例の売り上げとなった。
ただ芸能界のそこまで黒い話を、娘に聞かせるつもりはない。
「事故だった、と思う。少なくともそう思っていないと、遺族は救われない」
「俊さんの、お母さんは何をしてるの?」
「最近はアメリカとかヨーロッパを回って、何かボランティアの活動をしてるそうだけどな」
なので俊は、一人でいるというわけだ。
暁は俊の見せる、硬質な表情が気になっていた。
精神力の強さのような、それでいてどこか繊細そうな、複雑な人間ではないか、と思ったのだ。
一緒に音楽をやっていく上では、親戚のお兄ちゃんのような感覚がある。
馴れ合いは芸術の敵だなどとも言うが、逆に親密だからこそ、最後に残る絆もあるかもしれない。
「それでお父さん、次にやるライブのチケット買ってくれる?」
「ああ、何枚かほしいな」
「おお~。無理してない?」
「今の音楽業界、耳のいい人間は、ネットもしっかり見てるからな」
安藤は自分のスマートフォンの画面を見せる。
「10日で140万再生レベルの曲があれば、普通に注目される。それに歌い手の方は突然出てきたからな。いったいどこから見つけてきたんだ?」
「そういえばそれは聞いてない」
まだこれから、仲良くなっていく過程である。
暁は本当に友達がいない。
小学生ぐらいまではまだ、髪の色をからかわれるぐらいで、普通に友達がいたはずである。
中学に入った頃から、どうやら孤立し始めたのだとか。
別に苛められているわけでもなく、そしてギターという逃げ場があったのが、逆に悪かったのかもしれない。
「仲良くなれそうか?」
「ん~、多分」
歌っている時以外は、どこかおどおどした雰囲気があった。
「でもそれより、本当に歌が上手かった。聴いてみる?」
あの日、岡町はデータでくれたのだ。
「ノイジーガールか」
「それのロックアレンジ」
「また君はなんでもロックにしちゃうから……」
「だってこっちの方が良かったから」
ナチュラルに上からものを言っているが、事実であるので性質が悪い。
ヘッドフォンを持ってきて、娘の演奏したノイジーガールを聞いてみる。
当然のようにロックになっているが、それが悪くはない。
聴き終えてから考え込む父に、暁は伝える。
「元々ロックっていうか、ギターパートは不足してたんだって。上手い人じゃないと弾けないのを、もう一回あたしがアレンジしたの」
「そのまま録音してこの音か……」
ドラムがものすごく下手くそで、リズムはベースがかろうじてキープしていた。
ただドラムの責任と言うよりは、ギターとボーカルが共鳴するように、走りすぎたように思える。
バンドとしては明らかにアンバランスだ。
ボーカルとギターが相互に爆発を起こしていて、かなり暴走しかけている。
「このベースは岡町か?」
「うん、それでドラムは俊さん」
「それじゃ仕方がないか」
俊が幼い頃を、安藤は憶えている。
周囲には天才だの神童だの持て囃す人間もいたが、あれは単に器用で、上達が早かっただけだ。
まともに話すよりも早く、ギターに没頭していた娘を見ている安藤は、才能というもののあやふやさが分かる。
暁の持っている演奏技術と、そして歌うように鳴らされるギター。
どこまでが才能なのか、どこまでが練習の結果なのか。
もっとも暁はギターに関しては、ひたすら遊んでいたように思う。
どういった音が出せるのか、どう演奏したらいいのか。
細かいところを微調整するテクニックなどはともかく、ギターに対するフィーリングは、もう自分を超えている。
だが、バンドの中で弾くには、決定的に足りていない部分があるが。
(俊が気づくかどうかで、バンドが成立するかどうか決まるな)
出来れば、暁には居場所があってほしい。
別に性格が悪くもないし、会話が下手ということもないのに、あまり人間関係を築けない。
時々率直過ぎることが、おそらくは問題なのだろうが。
「あ、そうだお父さん、選曲手伝ってくれない?」
「選曲? ライブでカバーするのか?」
「ノイジーガール以外は合わせてもないから、三曲はカバーなんだけど、あと一曲が決まってないの」
「どうせギターの目立つ曲ばっかりやりたいんだろ」
「でもロビンソンもするよ」
「……ロックアレンジするなよ?」
「しないよ!」
このあたり、父親にさえ信用されていない暁であった。
世田谷にある俊の家の最寄り駅は多摩川駅である。
渋谷から乗り換えなしの線もあり、少し向こうは田園調布という高級住宅地。
「俊さんの家、そんなにお金持ちなの?」
「親がな」
駅まで迎えに来た俊は、月子と一緒の暁からケースを預かる。
ギターは誰かに任せない暁も、エフェクターボードにはそこまでの愛着はないらしい。
確かにギターに比べたら、特別に高いものは使っていなかったが。
そして徒歩10分ほどで、高く白い壁に囲まれた家に到達する。
「デカ! 何で!? そんなにお金持ち!?」
「俊さん、何も説明してないの?」
「少しは説明したけどな」
本当に少しなのだろうな、と暁は思う。
同じバンドのメンバーではあったが、作詞作曲の多くの部分を手がけたので、それだけ俊の父は金を残したのだ。
またバンドの解散以降も、かなりの楽曲を提供し、それがたくさんヒットした。
暁は少し二人の顔を交互に見たが、俊に囁く。
「あたしが説明しようか?」
「まあ、詳しすぎないように」
あの父親を持っているということの意味を、暁も分からないでもない。
子供の頃には暁も、父親が芸能人ということで、しかし全然名前が知られていないということで、変に周囲の注目を浴びたものだ。
バンドで現役であった頃は、相当に知られていた存在で、だからこそ今もミュージシャンとしてやっていられるのだが。
「ツキちゃん、東条高志って知ってる?」
「昔すごく売れてた作曲家の?」
「すごくざっくりした憶え方だけど、それが俊さんのお父さんなの」
「え」
全盛期はとっくに過ぎていたが、まだそれでも多くの歌手をプロデュースなどはしていた。
そう、作曲家というだけではなく、作詞家、プロデューサーとしての業績が大きい。
「それでお金持ちなんだ」
「まあ、相続税が大変だったけどな」
「あれ、亡くなってる……の?」
これは暁に囁いたもので、それに暁は無言で頷いた。
芸能人であっても、その死が全て注目されるわけではない。
ただ俊の父の場合は、まだそこそこ若かったということもある。
ムーブメントは大きく、TTプロデュースというのが、一時代を築いたこともある。
だがそのムーブメントを、アメリカ育ちの天才が完全に粉砕した。
数年間の活動ながら、新たなムーブメントを作り出し、それが過ぎ去った頃にはもう、父は時代遅れとなっていた。
それでもまだ仕事はあって、散発的ながらヒット曲は出ていたのだ。
そこで事故のような死。
実はかなりセンセーショナルな出来事であったのだが、その頃の月子はあまり記憶がはっきりしていない。
自分もまた、両親を失った頃であったからだ。
「名字が違うのは?」
「芸名もあったけど、離婚もしてるんだよね」
こそこそと話す二人だが、俊にはしっかりと聞こえている。
知ってる人間なら、大量にいるものだ。
「セキュリティが入ってるから、すぐに鍵を渡すことは出来ない。地下がスタジオになってるんだ」
広いリビングを通りながら、俊は説明する。
「格差社会……」
「否定はしない」
地下への階段は二つあり、もう一つはガレージの方に続いている。
そちらはまた別の鍵があるのだ。
地下は三つに分かれていて、書斎のような部屋、楽器を保管している部屋、そしてレッスンスタジオの部屋となる。
その真ん中にある、シートの上に布団が敷かれていたりする。
「ここで寝てるの?」
「色々作業してから寝ると、上まで行くのが面倒なんだ」
月子の問いに対する答えは、なんとも天才肌の言い分である。
俊としては、ただ効率を重視しているだけだが。
案内をした後、一行は上に戻る。
そしてリビングで、残り一曲の選曲に入るのであった。
「俺が提案するのは千本桜だ」
「ギターアレンジ楽しそう」
「かなり早い弾き方になるけど、まあアキなら弾けるだろうな」
ちょっと省略したアレンジを、朝倉には渡した。
だが暁なら、そのままで弾けるであろう。
「わたしは「夏祭り」を提案します」
「ちょっと季節的に早くないか?」
「あたしは悪くないと思うけど、他に本命を持ってきました」
そして暁は、音源をスマートフォンから鳴らし始めた。
ゴリゴリのハードロックというか、ジャンル的にはメタルになるのか。
「これは……」
「歌えなくはないけど……」
「歌えるのか?」
「歌詞に感情移入できる」
「そうか」
あまり月子のイメージには合わないのだが、この歌詞に共感出来るというのか。
なんというか、月子のこともまだ、よく分かっていないなと俊は反省する。
ただこれは、原曲は相当に古かったはずだ。
「これって外国人のカバーが多いんだよね」
「そうなのか?」
Yourtubeを開くのに、俊はノートパソコンを使う。
検索すれば確かに、カバー演奏がたくさん出てくる。
「攻撃的ないい曲だとは思うけど、どうしてこんなにカバーされてるの?」
「アニメで世界中に知られたんだろうな」
「アニソンなの? これが?」
まあ女子である月子が知らないのは無理もないだろう。
ただ暁が持ってきたのも、意外と言うしかない。
「お父さんの世代だしね」
「なるほど」
それは納得出来る。
これまでにカバーしてきたものとは、かなり曲調が違う。
ただしロックアレンジのノイジーガールには、かなり近いイメージもある。
なぜか月子もやる気になっているので、俊としてもそれならそれでいい。
もっとも千本桜と同じで、打ち込みが大変そうだとは思ったが。
「月子もじゃあ、これでいいのか?」
「うん」
「で、ギターイントロとかリフを、アレンジしろということになるんだな?」
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