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高校一年生・春
1 最後の試合と新しい始まり
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最終七回裏、得点差は二点。
表のピッチングを終えてベンチに戻った直史は、どっかりと腰を下ろした。
「よっしゃ、まだまだー!」
監督が声を上げて士気を鼓舞する。チームメイトにも悲壮感はない。
だがそれは最後まで試合を諦めていないとか、そういったポジティブな理由ではない。
直史の所属する中学校は千葉県の山間にある、過疎化が進んだ学校だ。
野球部の部員数は10人。三年生が引退したら、一年生が新しく入ってくるまで助っ人なしでは練習試合も出来ない、弱小校以前の超弱小校である。
練習試合もままならず、そもそもここ数年一回戦を突破したこともない。合同チームで公式戦に出たことさえある。
特にこの試合は、相手が悪い。部員数で3倍以上という、地区大会では毎年優勝を狙い、県大会まで突破することもある強豪校だ。
単に、人数が多いから、選手層も厚いだけだ。
勝てると思っていた部員はいないだろう。直史だって勝てるとは思っていなかった。
中学校最後の試合を、精一杯楽しむ。
それだけを念頭に、部員全員がそれなりに一生懸命にプレイしていた。
(だけどヒットの数は同じ2なのに、どうして点差も2なのかね)
直史は声には出さなかったが、心の中では愚痴った。
直史の投球は悪くなかった。地区大会の強豪相手に七回被安打2。普通なら充分に勝てる内容だ。
だが問題は、同じく表示されるエラーの数である。向こうが0であるのに対し、こちらは4。
わずかな安打と、それに絡むエラー。そして適切な犠打により、敵は二点を取ったのだ。
直史の自責点は0だ。それはこの試合に限ったことではない。
攻撃に関しても、二つのヒットのうち一つは直史が打ったものだ。
そして次の打席、珍しく二塁までランナーを進めた場面で、直史は四球で出塁した。
敬遠ではないが、四球になってもいいという勝負だった。
その時は一点差だったので、あちらのチームの選択は正しかったのだろう。
和気藹々とした野球。そもそもメンバーが少ないため、上下関係もゆるいものであった。
ただ内申のための部活とか、勝てたらいいなという程度の考えでやるなら、この学校の野球部は、悪い環境ではなかったのだろう。
(でもせめて、一度ぐらいは勝ち投手になりたかったよ)
最後の打者に代打が送られ、それがサードゴロに打ち取られて試合は終了した。
「なあ、佐藤君だっけ?」
整列し礼が終わった後、直史は声をかけられた。
直史も割りと背は高いが、そいつは縦だけでなく幅もある。同じ中学生とは思えない、一回り大きな体格。
相手校の四番の竹中。なんでも特待生で私立校への進学が決まっていると、噂好きの野球部員が言っていた。
この試合の成績は、二打数0安打一犠打一四球というものだった。
その一犠打が、二点目の犠牲フライとなったのだ。
「うん」
肉体的にはともかく、精神的に疲れていた直史は、早く帰りたかった。
例年であればこれから、簡単なミーティングをして解散だ。とにかくこの気分を変えたい。
「キミさ、上でも野球するの?」
「あ、多分」
直史は反射的に応えていた。
正直に言えば、意識していなかった。直史にとって高校の選択は、野球よりもその後の大学入試に意識を割いていた。
「続けてくれよ、もったいないから。今日は俺の負けだけど、次はリベンジするからさ」
リベンジ?
直史は当惑したが、確かにヒットを打てなかったという点では、竹中の負けだったのかもしれない。
たとえ犠打でも、点を取ってくれるのは、いい打者だとも思ったが。
「スピードはともかく、コントロールすげえ良かったよな。高校で体作ったら、スピードも絶対上がるぜ」
それは、竹中にとっては相手を讃えるつもりの言葉だったのかもしれない。
だが直史の中にある、不完全燃焼のどろどろには、火をつける言葉だった。
大きな声では言わなかった。負け犬の遠吠えと思われたくはなかったので。
「あれ以上速いと、うちのキャッチャーが捕れないんだよ」
捨て台詞を残して、直史は背を向ける。
竹中の呆然とした顔を、彼が見ることはなかった。
その後、直史は受験に専念することとなった。
比較的近い公立校の中では、一番偏差値の高い普通科高校が、彼の志望校となった。
学校見学で見た限り、野球部は三年が抜けた後も、充分に試合が組めるぐらいの人数は揃っている。
それがどれだけのモチベーションの増加につながったのかは分からないが、次の年の四月、白富東高校の入学式に、直史の姿はあった。
入学式の後、直史はクラスで困っていた。
(分かってたけど、同中出身すくね~)
元々人数自体が少ない中学校だったし、偏差値高めの東校を受ける生徒はさらに少なかった。
同じクラスには名簿を見る限りでは、女子の椎名美雪が同じ出身だが、友達と言えるような関係でもない。
まあ小学校から順上がりの学校だったので、もちろん顔ぐらいは知っているが。
確か陸上部で、すごく足が速かったはずだ。だが知ってるのは本当にそれぐらいだ。
自己紹介を順番にしていくのだが、直史が特筆すべきことなどそれほどない。
「佐藤直史です。中学時代は野球部でピッチャーしてました」
あまりにも無難な紹介に、自分でも意味不明の恥ずかしさを覚えるが、それはすぐに消え去った。
「椎名美雪です。中学校時代はシニアで野球してました。高校ではマネージャーをする予定です」
声こそ出さなかったものの、直史は振り返って美雪の顔を確認してしまった。
「椎名さんってシニアで野球してたの?」
小声の直史に、椎名も小声で応じた。
「そだよ。だってうちの中学弱かったじゃん」
それはそうなのだが。
シニアとは学校での部活動とは全く違った、地域に根ざしたクラブチームである。小学生はリトル、中学生がシニアと通称されることが多い。他にもクラブチームはあるが、千葉ではシニアのチームが割と多い。
特に野球に関しては全国にシニアのチームがあり、全国大会まで行われる。
そのレベルは、中学の学区をまたいでメンバーを集めているため、おおよそ一般の中学校のチームよりは強いと言われている。
実際高校野球の強豪校は、中学の軟式野球で結果を出した選手ももちろんだが、シニアの硬式野球で結果を出した選手を勧誘することの方が多い。
直史ももちろんその存在は知っていたが、自分がシニアのチームに入るという選択はなかった。
近隣のシニアチームが比較的遠く、共働きの直史の家の場合、送り迎えをしてもらう余裕がなかったからである。
また備品などにかかる費用も高く、貧乏ではないが裕福でもない直史の場合、とても無理は言えなかった。
それにしても、まさか女子の椎名がシニアで野球をしていたとは。
確かシニアチームの選手は、学校の部活では出場できなかったはずだ。それにしても全く接点がなかったとは。
直史はそれで納得して終わりだったのだが、椎名はまだ続けて呟いてきた。
「佐藤君、ピッチャーだったんだね。今日から部活来ない?」
「え? だってまだ部活説明会もしてないだろ」
オリエンテーションで説明を受け、その後見学期間の後、入部という手はずになっていたはずだが。
「入部自体はもう出来るよ。あたしと同じシニアのメンバーなんか、春休みから参加してるし。それでもベンチ枠が余ってるから、今なら先着順で春季大会のベンチに入れるよ」
「マジか」
春季大会は春の選抜高校野球とは全く関係ないが、夏の甲子園地区予選のシード校を決める、それなりに重要な公式戦である。
シニアのメンバーが何人入ったのかは知らないが、普通の公立校である東校なら、いきなり試合に出れる者もいるだろう。
「正直なところ、ピッチャーは何人いてもいいしね」
そうなの、だろうか?
直史は自分が、そこそこ強い学校でもピッチャーが出来ただろうとは思っている。
だが中学の部活は軟式であり、一般的な高校野球の硬式球とは扱いが違う。
疑問は浮かぶが、どのみち野球部に入るというのは決めていたことだ。
練習道具も着替えもないが、顔を出すだけでも印象は良いだろう。
中学までの全員が知り合いの馴れ合い野球に比べれば、シニアを含めた高校野球が厳しいのは、直史にも想像出来ることである。
「そうだな、じゃあ紹介たのむよ」
後から思えば、これが直史の人生の分岐点であった。
揃いのユニフォームに身を包んだ6人が、練習準備を始めている。
白富東高校の野球部グラウンドは、校舎からは少し離れている代わりに、野球部専用としてグラウンド全体が使える。
「あれって、シニアのユニフォームだよな? SAGIKITA……鷺北!? 確か全国行ってなかったか!?」
舞台は違えど同じ野球。その県下強豪シニアチームの名前ぐらいは、直史も知っていた。
「そうだよ。レギュラー5人と二番手投手。そんでもって元セカンドのあたしの7人が、鷺北シニア出身」
「え!? 女でレギュラー取ってたの!?」
「すごいっしょ」
「すごい」
椎名のドヤ顔も、当然であろう。
シニアまでは男女混合でチームは作られる。別に女子専門の野球団体もあるが、全国に行くチームで男子と競争してレギュラーを勝ち取るのは、相当に難しいだろう。
素直に感心した直史に、にかっと笑って椎名はグラウンドに声をかける。
「ジーン! 経験者連れて来たーっ!」
その声に反応してやって来たのは、中肉中背だが見るからに動作がきびきびした少年だった。
「シーナ、経験者って?」
「うん、同じ学校の佐藤君。ピッチャーだったって。佐藤君、こっちが大田仁、通称ジン。正捕手だったよ」
「へえ」
「よろしく」
ジンと呼ばれた少年は、自然と手を差し出す。直史も素直にそれを握る。
「へ~」
にぎにぎとジンは直史の手をまさぐった後、ぺたぺたと腕や肩に触れてくる。
「あの、ちょっと気持ち悪いんだけど」
「わりーわりー、筋肉見たかったんだよね」
名門のキャッチャーはこんな気持ち悪いのだろうか。そんなことを考えながらも、直史はなぜか嫌な気分ではなかった。
「シーナと同じガッコって、成績はどんなもんだったの?」
その問いは椎名に向けられたものだったが、肝心の彼女は知らない。まあシニアにわざわざ行くような人間が、弱小校の成績に興味は抱かないのかもしれないが。
「地区大会一回戦負けだったよ。けど言っとくけど、俺の自責点は0だったからな」
言ってから気付いたが、負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。
「へえ、相手どこ?」
「棚橋」
「あれ? 竹中いるとこだよね? 勝負した?」
やっぱりシニアにまで名前は届いているのか、と直史は打ち取ったはずの相手に嫉妬した。
「内野ゴロ一つに外野フライ一つ、そんで四球」
「変化球主体だよな?」
「どっちかというとな」
直史は器用だった。そして指の関節も含めて、全身が柔らかかった。
ストレートだけでは勝負出来ない相手を封じるため、ろくな指導者なしでも様々な変化球を試した。
数自体は多いが、変化の具合が安全に投げられる球種は少なかったため、あまり実戦では使えなかったが。
「何投げられるの?」
「カーブがいくつか、スライダーがいくつか、シュート、シンカー、スプリット、チェンジアップはいける。コントロールが微妙でいいんなら、他にも色々だな」
「はあ!?」
「ええ!?」
今度は二人が驚く番だった。
「つっても硬球で投げられるかは試してないけどな」
直史はその家の地理の特殊性から、一人で投げ込みをすることが出来た。
基本的に練習量が足りない中学時代も、一人で幾つもの変化球をマスターした。
しかしそれが本当に通用する変化なのかは分からなかったし、大半の球種は実戦で検証していない。
キャッチャーが捕れなかったからだ。
「スパイク持ってきてないよな。じゃあさ、シーナとキャッチボールやっててくれよ。準備したら受けるからさ。あ、受験で体鈍ってる?」
「勉強中も気分転換に犬の散歩がてら走りこんでたし、投げ込みはけっこうやってたよ。でも全体的にはやっぱ鈍ってると思う」
「じゃあまあ、今日はお試しだな」
グラウンドに戻っていくジンを見送り、シーナは直史にグラブを渡す。
「予備のだけど。軽く投げてみよっか」
「ああ、了解」
硬球自体は扱ったことはあるが、誰かに向かって投げるのは初めてだ。
軟式と違って明らかに重さも違う。縫い目を確かめながら、直史はシーナとキャッチボールを始めた。
シーナの投げる球は、伸びがあって胸元にずばりと決まる。
正直中学時代にバッテリーを組んでいたキャッチャーより、ずっといい球を投げている。
(上手かったんだろうな。つか、キャッチャーやってくれてたらな)
直史の内心は知らず、シーナもまた感心していた。
まだ軽く投げているだろうに、ストレートにちゃんとバックスピンがかかっている。
やや軸は傾いているが伸びもあるし、これは短いイニングなら、すぐに試合でも使えるのではないか。
「あの~、すんません」
そんなキャッチボールに没頭する二人に声をかけたのは、制服姿の男子であった。
「野球部って、こんだけなんすかね?」
シーナと同じぐらいの身長しかない、小さな少年だった。
表のピッチングを終えてベンチに戻った直史は、どっかりと腰を下ろした。
「よっしゃ、まだまだー!」
監督が声を上げて士気を鼓舞する。チームメイトにも悲壮感はない。
だがそれは最後まで試合を諦めていないとか、そういったポジティブな理由ではない。
直史の所属する中学校は千葉県の山間にある、過疎化が進んだ学校だ。
野球部の部員数は10人。三年生が引退したら、一年生が新しく入ってくるまで助っ人なしでは練習試合も出来ない、弱小校以前の超弱小校である。
練習試合もままならず、そもそもここ数年一回戦を突破したこともない。合同チームで公式戦に出たことさえある。
特にこの試合は、相手が悪い。部員数で3倍以上という、地区大会では毎年優勝を狙い、県大会まで突破することもある強豪校だ。
単に、人数が多いから、選手層も厚いだけだ。
勝てると思っていた部員はいないだろう。直史だって勝てるとは思っていなかった。
中学校最後の試合を、精一杯楽しむ。
それだけを念頭に、部員全員がそれなりに一生懸命にプレイしていた。
(だけどヒットの数は同じ2なのに、どうして点差も2なのかね)
直史は声には出さなかったが、心の中では愚痴った。
直史の投球は悪くなかった。地区大会の強豪相手に七回被安打2。普通なら充分に勝てる内容だ。
だが問題は、同じく表示されるエラーの数である。向こうが0であるのに対し、こちらは4。
わずかな安打と、それに絡むエラー。そして適切な犠打により、敵は二点を取ったのだ。
直史の自責点は0だ。それはこの試合に限ったことではない。
攻撃に関しても、二つのヒットのうち一つは直史が打ったものだ。
そして次の打席、珍しく二塁までランナーを進めた場面で、直史は四球で出塁した。
敬遠ではないが、四球になってもいいという勝負だった。
その時は一点差だったので、あちらのチームの選択は正しかったのだろう。
和気藹々とした野球。そもそもメンバーが少ないため、上下関係もゆるいものであった。
ただ内申のための部活とか、勝てたらいいなという程度の考えでやるなら、この学校の野球部は、悪い環境ではなかったのだろう。
(でもせめて、一度ぐらいは勝ち投手になりたかったよ)
最後の打者に代打が送られ、それがサードゴロに打ち取られて試合は終了した。
「なあ、佐藤君だっけ?」
整列し礼が終わった後、直史は声をかけられた。
直史も割りと背は高いが、そいつは縦だけでなく幅もある。同じ中学生とは思えない、一回り大きな体格。
相手校の四番の竹中。なんでも特待生で私立校への進学が決まっていると、噂好きの野球部員が言っていた。
この試合の成績は、二打数0安打一犠打一四球というものだった。
その一犠打が、二点目の犠牲フライとなったのだ。
「うん」
肉体的にはともかく、精神的に疲れていた直史は、早く帰りたかった。
例年であればこれから、簡単なミーティングをして解散だ。とにかくこの気分を変えたい。
「キミさ、上でも野球するの?」
「あ、多分」
直史は反射的に応えていた。
正直に言えば、意識していなかった。直史にとって高校の選択は、野球よりもその後の大学入試に意識を割いていた。
「続けてくれよ、もったいないから。今日は俺の負けだけど、次はリベンジするからさ」
リベンジ?
直史は当惑したが、確かにヒットを打てなかったという点では、竹中の負けだったのかもしれない。
たとえ犠打でも、点を取ってくれるのは、いい打者だとも思ったが。
「スピードはともかく、コントロールすげえ良かったよな。高校で体作ったら、スピードも絶対上がるぜ」
それは、竹中にとっては相手を讃えるつもりの言葉だったのかもしれない。
だが直史の中にある、不完全燃焼のどろどろには、火をつける言葉だった。
大きな声では言わなかった。負け犬の遠吠えと思われたくはなかったので。
「あれ以上速いと、うちのキャッチャーが捕れないんだよ」
捨て台詞を残して、直史は背を向ける。
竹中の呆然とした顔を、彼が見ることはなかった。
その後、直史は受験に専念することとなった。
比較的近い公立校の中では、一番偏差値の高い普通科高校が、彼の志望校となった。
学校見学で見た限り、野球部は三年が抜けた後も、充分に試合が組めるぐらいの人数は揃っている。
それがどれだけのモチベーションの増加につながったのかは分からないが、次の年の四月、白富東高校の入学式に、直史の姿はあった。
入学式の後、直史はクラスで困っていた。
(分かってたけど、同中出身すくね~)
元々人数自体が少ない中学校だったし、偏差値高めの東校を受ける生徒はさらに少なかった。
同じクラスには名簿を見る限りでは、女子の椎名美雪が同じ出身だが、友達と言えるような関係でもない。
まあ小学校から順上がりの学校だったので、もちろん顔ぐらいは知っているが。
確か陸上部で、すごく足が速かったはずだ。だが知ってるのは本当にそれぐらいだ。
自己紹介を順番にしていくのだが、直史が特筆すべきことなどそれほどない。
「佐藤直史です。中学時代は野球部でピッチャーしてました」
あまりにも無難な紹介に、自分でも意味不明の恥ずかしさを覚えるが、それはすぐに消え去った。
「椎名美雪です。中学校時代はシニアで野球してました。高校ではマネージャーをする予定です」
声こそ出さなかったものの、直史は振り返って美雪の顔を確認してしまった。
「椎名さんってシニアで野球してたの?」
小声の直史に、椎名も小声で応じた。
「そだよ。だってうちの中学弱かったじゃん」
それはそうなのだが。
シニアとは学校での部活動とは全く違った、地域に根ざしたクラブチームである。小学生はリトル、中学生がシニアと通称されることが多い。他にもクラブチームはあるが、千葉ではシニアのチームが割と多い。
特に野球に関しては全国にシニアのチームがあり、全国大会まで行われる。
そのレベルは、中学の学区をまたいでメンバーを集めているため、おおよそ一般の中学校のチームよりは強いと言われている。
実際高校野球の強豪校は、中学の軟式野球で結果を出した選手ももちろんだが、シニアの硬式野球で結果を出した選手を勧誘することの方が多い。
直史ももちろんその存在は知っていたが、自分がシニアのチームに入るという選択はなかった。
近隣のシニアチームが比較的遠く、共働きの直史の家の場合、送り迎えをしてもらう余裕がなかったからである。
また備品などにかかる費用も高く、貧乏ではないが裕福でもない直史の場合、とても無理は言えなかった。
それにしても、まさか女子の椎名がシニアで野球をしていたとは。
確かシニアチームの選手は、学校の部活では出場できなかったはずだ。それにしても全く接点がなかったとは。
直史はそれで納得して終わりだったのだが、椎名はまだ続けて呟いてきた。
「佐藤君、ピッチャーだったんだね。今日から部活来ない?」
「え? だってまだ部活説明会もしてないだろ」
オリエンテーションで説明を受け、その後見学期間の後、入部という手はずになっていたはずだが。
「入部自体はもう出来るよ。あたしと同じシニアのメンバーなんか、春休みから参加してるし。それでもベンチ枠が余ってるから、今なら先着順で春季大会のベンチに入れるよ」
「マジか」
春季大会は春の選抜高校野球とは全く関係ないが、夏の甲子園地区予選のシード校を決める、それなりに重要な公式戦である。
シニアのメンバーが何人入ったのかは知らないが、普通の公立校である東校なら、いきなり試合に出れる者もいるだろう。
「正直なところ、ピッチャーは何人いてもいいしね」
そうなの、だろうか?
直史は自分が、そこそこ強い学校でもピッチャーが出来ただろうとは思っている。
だが中学の部活は軟式であり、一般的な高校野球の硬式球とは扱いが違う。
疑問は浮かぶが、どのみち野球部に入るというのは決めていたことだ。
練習道具も着替えもないが、顔を出すだけでも印象は良いだろう。
中学までの全員が知り合いの馴れ合い野球に比べれば、シニアを含めた高校野球が厳しいのは、直史にも想像出来ることである。
「そうだな、じゃあ紹介たのむよ」
後から思えば、これが直史の人生の分岐点であった。
揃いのユニフォームに身を包んだ6人が、練習準備を始めている。
白富東高校の野球部グラウンドは、校舎からは少し離れている代わりに、野球部専用としてグラウンド全体が使える。
「あれって、シニアのユニフォームだよな? SAGIKITA……鷺北!? 確か全国行ってなかったか!?」
舞台は違えど同じ野球。その県下強豪シニアチームの名前ぐらいは、直史も知っていた。
「そうだよ。レギュラー5人と二番手投手。そんでもって元セカンドのあたしの7人が、鷺北シニア出身」
「え!? 女でレギュラー取ってたの!?」
「すごいっしょ」
「すごい」
椎名のドヤ顔も、当然であろう。
シニアまでは男女混合でチームは作られる。別に女子専門の野球団体もあるが、全国に行くチームで男子と競争してレギュラーを勝ち取るのは、相当に難しいだろう。
素直に感心した直史に、にかっと笑って椎名はグラウンドに声をかける。
「ジーン! 経験者連れて来たーっ!」
その声に反応してやって来たのは、中肉中背だが見るからに動作がきびきびした少年だった。
「シーナ、経験者って?」
「うん、同じ学校の佐藤君。ピッチャーだったって。佐藤君、こっちが大田仁、通称ジン。正捕手だったよ」
「へえ」
「よろしく」
ジンと呼ばれた少年は、自然と手を差し出す。直史も素直にそれを握る。
「へ~」
にぎにぎとジンは直史の手をまさぐった後、ぺたぺたと腕や肩に触れてくる。
「あの、ちょっと気持ち悪いんだけど」
「わりーわりー、筋肉見たかったんだよね」
名門のキャッチャーはこんな気持ち悪いのだろうか。そんなことを考えながらも、直史はなぜか嫌な気分ではなかった。
「シーナと同じガッコって、成績はどんなもんだったの?」
その問いは椎名に向けられたものだったが、肝心の彼女は知らない。まあシニアにわざわざ行くような人間が、弱小校の成績に興味は抱かないのかもしれないが。
「地区大会一回戦負けだったよ。けど言っとくけど、俺の自責点は0だったからな」
言ってから気付いたが、負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。
「へえ、相手どこ?」
「棚橋」
「あれ? 竹中いるとこだよね? 勝負した?」
やっぱりシニアにまで名前は届いているのか、と直史は打ち取ったはずの相手に嫉妬した。
「内野ゴロ一つに外野フライ一つ、そんで四球」
「変化球主体だよな?」
「どっちかというとな」
直史は器用だった。そして指の関節も含めて、全身が柔らかかった。
ストレートだけでは勝負出来ない相手を封じるため、ろくな指導者なしでも様々な変化球を試した。
数自体は多いが、変化の具合が安全に投げられる球種は少なかったため、あまり実戦では使えなかったが。
「何投げられるの?」
「カーブがいくつか、スライダーがいくつか、シュート、シンカー、スプリット、チェンジアップはいける。コントロールが微妙でいいんなら、他にも色々だな」
「はあ!?」
「ええ!?」
今度は二人が驚く番だった。
「つっても硬球で投げられるかは試してないけどな」
直史はその家の地理の特殊性から、一人で投げ込みをすることが出来た。
基本的に練習量が足りない中学時代も、一人で幾つもの変化球をマスターした。
しかしそれが本当に通用する変化なのかは分からなかったし、大半の球種は実戦で検証していない。
キャッチャーが捕れなかったからだ。
「スパイク持ってきてないよな。じゃあさ、シーナとキャッチボールやっててくれよ。準備したら受けるからさ。あ、受験で体鈍ってる?」
「勉強中も気分転換に犬の散歩がてら走りこんでたし、投げ込みはけっこうやってたよ。でも全体的にはやっぱ鈍ってると思う」
「じゃあまあ、今日はお試しだな」
グラウンドに戻っていくジンを見送り、シーナは直史にグラブを渡す。
「予備のだけど。軽く投げてみよっか」
「ああ、了解」
硬球自体は扱ったことはあるが、誰かに向かって投げるのは初めてだ。
軟式と違って明らかに重さも違う。縫い目を確かめながら、直史はシーナとキャッチボールを始めた。
シーナの投げる球は、伸びがあって胸元にずばりと決まる。
正直中学時代にバッテリーを組んでいたキャッチャーより、ずっといい球を投げている。
(上手かったんだろうな。つか、キャッチャーやってくれてたらな)
直史の内心は知らず、シーナもまた感心していた。
まだ軽く投げているだろうに、ストレートにちゃんとバックスピンがかかっている。
やや軸は傾いているが伸びもあるし、これは短いイニングなら、すぐに試合でも使えるのではないか。
「あの~、すんません」
そんなキャッチボールに没頭する二人に声をかけたのは、制服姿の男子であった。
「野球部って、こんだけなんすかね?」
シーナと同じぐらいの身長しかない、小さな少年だった。
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・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
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