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刑事たちは無言で部屋の中に入っていった。微かに甘い匂いを漂わせる空気と共に、本田は無機的な長細い空間に取り残された。
手足が冷たくてじんじんしてくる。それを忘れるために事件について考えることにした。考えに集中してしまえばいい。
まず何から考えよう。
この事件の犯人は誰だろう。犯行時刻にこのマンションにいた四人のうちの誰か一人なのだろうか。あるいは共謀して? 犯人を匿っている? 全く別の第三者? 犯人は丁度いい時に来たものだ。瀕死の被害者を見て咄嗟に殺意が芽生えたのだろうか。それとも常日頃から殺す機会を狙っていた?
こんな遅い時刻に若い男の部屋を訪ねるのはどんな人間なのだろう。女が部屋を飛び出してから自分が駆け付けるまで約一時間。その間に誰かがこの部屋に来て犯行を行った。ここに来た時に被害者の血は止まっていたから自分がここに到着する直前に殺されたのではない。女が部屋を出ていくのを待っていたかのようにして犯行は行われた?
ただ殺人を行っただけじゃない。用意周到とまではいかないにしろ、自分の犯行を隠そうとするだけの余裕はあった。果たして犯人を捕まえることができるだろうか。
夜中の十二時近い時間に被害者の部屋を訪れるとしたら、どんな人物なのだろうか。新しい恋人? まさか田中の奥さんなんてことはないだろう。年が違い過ぎる。
二人の刑事が部屋から出てきた。裕子を連れてきた刑事だ。
早足に歩き、エレベーターに乗り込む。エレベーターの表示は二人が一階に下りていくことを示していた。また凍える雪の中を調べるのだろうか。きっと外では鑑識の人達も多分見つからない、いや、あるのかもわからない手がかりを捜しているのに違いない。
本田は再び事件のことに意識を集中させようとした。
不意に男の顔が頭の中に蘇ってきた。頭を砕かれて血に染まる男。見開いて何かを訴えているかのような男の目。
何か妙だな。ふと本田は思った。
男の頭から流れる血。机の上に澱む血。さらに机の上にメッセージの書かれた雑誌とノートパソコン、スマホにメモ帳、シャープペン。
やっぱり変だ。考えてみればまだ他にもある。
本田はそのことを藤田に訊いてみようと部屋の中を覗きこんだ。
しかし藤田を含め、刑事たちは熱心に話し込んでいる。とても声をかけられそうな雰囲気ではない。仕方なく自分で考えてみることにした。なぜそんな状況ができてしまったのだろう。
窓の外では再び雪が舞い始めた。しかし本田は窓の外に視線を向けていたが、意識は微かな明かりに照らされる幻想的な景色に向けられていなかった。
色々な仮説や、もやもやとした考えが浮かんでくる。それを当てはめ、くっ付け、切り捨てては次の考えを繋げてみる。
やがて短い糸を何本も繋いだようにおぼろげながらも推理の道筋が一本通った。あちこち綻びがあるし、あやふやなところもある。しかし一つだけはっきりした。一本の道の先にあるもの。
それは犯人の名前。
もう一度その考えを復習してみる。ひとつのところを考えていると、他の結んだはずの糸が解けてしまっている。ほんの少し前に結んだばかりなのに、もう結び方を忘れている。ええっと、そこはどのように考えたのだっけ?
「おい、眠くなったか?」
声をかけられ、本田は思考の中から現実へと連れ戻された。
「藤田さん」
「疲れただろ」
藤田は優しい笑みを浮かべて本田を気遣う。
「いえ、大丈夫です」
「俺たちは署に帰るから。これからが大変だよ」
先に行った三人の刑事はエレベーターに乗り込んで藤田を待つ気配を見せたが、すぐに下りていった。
「藤田さん、ちょっと訊きたいことあるんですが」
「何?」
「死んだ男のことなんですけど」
「うん」
「男は血を流して死んでいました。女に頭を殴られた時の血だと思います。女は被害者の頭から血が流れているのを見たと言っていました。頭の血は真直ぐ机へと流れています。男は頭を殴られてすぐに机の上に頭を付けてそのままの状態でいたことになります。そんな状態で文字が書けるでしょうか?」
本田は自分の話す言葉がまどろっこしかった。思ったことがうまく言い表せず、回りくどい言い方になってしまう。
「俺たちも妙だなって言っていたんだ。でも文字がまるっきり書けないわけじゃない。十分に検討してみる必要があるってことになった」
「僕はそのメッセージの意味がわかったような気がします」
「メッセージの意味?」
それまで穏やかだった藤田が表情を曇らせた。
「というか、この事件のあらまし、真相がわかりました。そして犯行を行ったのが誰かも」
「誰?」
「林さんにも話を聞いてもらいたいんです。自分では色々考えてみたつもりですが、まだまだ矛盾していたり、抜けているところがあるかもしれません」
本田の言葉に、藤田は迷っているようだった。警官になりたてのほとんど素人が、たまたま現場で立ち番をしていただけで事件を解いてしまったという。それを信じていいのだろうか。
本田も自分自身、信じられなかった。しかし謎は解けてしまった。
「あまり時間がないんだ。自分の考えに自信が持てる?」
藤田が優しく尋ねる。
「はい」
本田はしっかりと答えた。本当はそれほど自信がなかった。でも、自分の考えを聞いてもらいたいと思った。
「よし、じゃ、呼んでくる。もし間違っていたとしてもいい社会勉強だ。気にするな」
そう言い残し、藤田はエレベーターへと走った。
手足が冷たくてじんじんしてくる。それを忘れるために事件について考えることにした。考えに集中してしまえばいい。
まず何から考えよう。
この事件の犯人は誰だろう。犯行時刻にこのマンションにいた四人のうちの誰か一人なのだろうか。あるいは共謀して? 犯人を匿っている? 全く別の第三者? 犯人は丁度いい時に来たものだ。瀕死の被害者を見て咄嗟に殺意が芽生えたのだろうか。それとも常日頃から殺す機会を狙っていた?
こんな遅い時刻に若い男の部屋を訪ねるのはどんな人間なのだろう。女が部屋を飛び出してから自分が駆け付けるまで約一時間。その間に誰かがこの部屋に来て犯行を行った。ここに来た時に被害者の血は止まっていたから自分がここに到着する直前に殺されたのではない。女が部屋を出ていくのを待っていたかのようにして犯行は行われた?
ただ殺人を行っただけじゃない。用意周到とまではいかないにしろ、自分の犯行を隠そうとするだけの余裕はあった。果たして犯人を捕まえることができるだろうか。
夜中の十二時近い時間に被害者の部屋を訪れるとしたら、どんな人物なのだろうか。新しい恋人? まさか田中の奥さんなんてことはないだろう。年が違い過ぎる。
二人の刑事が部屋から出てきた。裕子を連れてきた刑事だ。
早足に歩き、エレベーターに乗り込む。エレベーターの表示は二人が一階に下りていくことを示していた。また凍える雪の中を調べるのだろうか。きっと外では鑑識の人達も多分見つからない、いや、あるのかもわからない手がかりを捜しているのに違いない。
本田は再び事件のことに意識を集中させようとした。
不意に男の顔が頭の中に蘇ってきた。頭を砕かれて血に染まる男。見開いて何かを訴えているかのような男の目。
何か妙だな。ふと本田は思った。
男の頭から流れる血。机の上に澱む血。さらに机の上にメッセージの書かれた雑誌とノートパソコン、スマホにメモ帳、シャープペン。
やっぱり変だ。考えてみればまだ他にもある。
本田はそのことを藤田に訊いてみようと部屋の中を覗きこんだ。
しかし藤田を含め、刑事たちは熱心に話し込んでいる。とても声をかけられそうな雰囲気ではない。仕方なく自分で考えてみることにした。なぜそんな状況ができてしまったのだろう。
窓の外では再び雪が舞い始めた。しかし本田は窓の外に視線を向けていたが、意識は微かな明かりに照らされる幻想的な景色に向けられていなかった。
色々な仮説や、もやもやとした考えが浮かんでくる。それを当てはめ、くっ付け、切り捨てては次の考えを繋げてみる。
やがて短い糸を何本も繋いだようにおぼろげながらも推理の道筋が一本通った。あちこち綻びがあるし、あやふやなところもある。しかし一つだけはっきりした。一本の道の先にあるもの。
それは犯人の名前。
もう一度その考えを復習してみる。ひとつのところを考えていると、他の結んだはずの糸が解けてしまっている。ほんの少し前に結んだばかりなのに、もう結び方を忘れている。ええっと、そこはどのように考えたのだっけ?
「おい、眠くなったか?」
声をかけられ、本田は思考の中から現実へと連れ戻された。
「藤田さん」
「疲れただろ」
藤田は優しい笑みを浮かべて本田を気遣う。
「いえ、大丈夫です」
「俺たちは署に帰るから。これからが大変だよ」
先に行った三人の刑事はエレベーターに乗り込んで藤田を待つ気配を見せたが、すぐに下りていった。
「藤田さん、ちょっと訊きたいことあるんですが」
「何?」
「死んだ男のことなんですけど」
「うん」
「男は血を流して死んでいました。女に頭を殴られた時の血だと思います。女は被害者の頭から血が流れているのを見たと言っていました。頭の血は真直ぐ机へと流れています。男は頭を殴られてすぐに机の上に頭を付けてそのままの状態でいたことになります。そんな状態で文字が書けるでしょうか?」
本田は自分の話す言葉がまどろっこしかった。思ったことがうまく言い表せず、回りくどい言い方になってしまう。
「俺たちも妙だなって言っていたんだ。でも文字がまるっきり書けないわけじゃない。十分に検討してみる必要があるってことになった」
「僕はそのメッセージの意味がわかったような気がします」
「メッセージの意味?」
それまで穏やかだった藤田が表情を曇らせた。
「というか、この事件のあらまし、真相がわかりました。そして犯行を行ったのが誰かも」
「誰?」
「林さんにも話を聞いてもらいたいんです。自分では色々考えてみたつもりですが、まだまだ矛盾していたり、抜けているところがあるかもしれません」
本田の言葉に、藤田は迷っているようだった。警官になりたてのほとんど素人が、たまたま現場で立ち番をしていただけで事件を解いてしまったという。それを信じていいのだろうか。
本田も自分自身、信じられなかった。しかし謎は解けてしまった。
「あまり時間がないんだ。自分の考えに自信が持てる?」
藤田が優しく尋ねる。
「はい」
本田はしっかりと答えた。本当はそれほど自信がなかった。でも、自分の考えを聞いてもらいたいと思った。
「よし、じゃ、呼んでくる。もし間違っていたとしてもいい社会勉強だ。気にするな」
そう言い残し、藤田はエレベーターへと走った。
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