雪の降り積もる夜に

原口源太郎

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 唇を紫に染めて、本田に足跡の絵を描かせた刑事が戻ってきた。
「女の足跡は雪の上に残っていました。自首してきた女のものかどうか、小野君が確認に行っています。かなり踏み荒らされてしまったので、第一発見者が来る前にマンション入り口付近に残されていた足跡が女のものだけだったかどうかは特定できません。しかしここへ来た救急隊員に確認したところ、隊員たちも足跡が二組しか雪の上に残っていなかったのを覚えていました。それは巡査と自首してきた女のものと思われます」
 この刑事はメモを見ずに林に報告する。
 林は黙って聞き、藤田がメモを取っている。室内とはいえ、暖房のない廊下での立ち話で、早口の報告をかじかむ手で記録していくのは大変なことだろう。
「建物の外にある非常階段を一階から最上階までもう一度よく調べてみましたが、雪のおかげで誰かが通った形跡は認められませんでした。マンションの周りも調べてみたのですが、怪しい足跡等は発見できませんでした」
 報告した刑事が言葉を切る。伝えるべきことは言ってしまったらしい。
「二階や三階から他の建物に飛び移るといったことはできないか?」
 林が尋ねる。
「いや・・・・」
 そのまま刑事は黙り込んだ。
 この雪の降り積もる寒い夜だ。そんなことをする人間がいるだろうか。
 本田と同じようにその刑事も考えたに違いない。
「できるだけ色々な可能性を消しておきたい」
「わかりました。調べてみます」
 林の言葉を受けて、刑事は再び凍える雪の上を調べるためにエレベーターへと向かった。

 寒々とした廊下に四人の刑事と制服姿の本田が残った。
「このマンションにいる四人の住人うちの誰かが殺人を行った、あるいは殺人犯を匿っているということですか?」
 沈黙から逃れようとするかのように藤田が言葉を発した。
「いや、犯人がこの建物から逃げてしまったことも、十分に考えられる。本田巡査がここへ来た時にはどこかに隠れていて、我々がここに到着する直前に逃げたのかもしれない」
 藤田の問いかけに答えたのは林だった。
「救急隊員たちが二組の足跡しか見ていなかったのですから、犯人がこのマンションから逃げたとしたら、救急隊員たちの到着後ということになります。しかし巡査が来てから救急隊員たちがここに到着するまで、しばらく時間があったはずです。なぜその間に逃げなかったのでしょう?」
 そう言ったのは髪の毛の白くなりかけている刑事だった。
「うん、確かにそうだ。この場から逃げるなら早く逃げたいと思うのが普通だ。その場をすぐに離れられない事情があったのかもしれないし、雪の上に足跡を残すことに抵抗を感じていたのかもしれない」
 林が言った。
「雪が止む前に犯人は逃げ出したなんてことはないですよね」
 藤田が林に尋ねる。
「ない。ちょっと事件を時間で追ってみよう。まず女がここ来たのが十一時頃。その時、雪はまだ降っていた。十一時半ころ男は女に別れ話を切り出す。丁度その頃、雪が止む。女は男の頭をワインの空きビンで殴り、部屋を飛び出す。降りやんだばかりの雪の上を女は走り、逃げ去る。殴られた男は意識を取り戻し、本にメッセージを残す。その男の背後に何者かが忍び寄り、ふたたび男の頭をビンで殴る。男は生き絶え、犯人は立ち去る。女は十二時二十分頃交番に出頭する」
 話す林がチラリと本田を見る。
「はい。十二時二十三分でした」
「本田巡査がここへ駆けつけたのは?」
「十二時四十分頃でした」
「救急隊員が来たのは十二時四十五分。犯人がそのあと外に逃げ出したとしたら、十分から一時間の間、この建物の中にいたことになる。犯人はすでに逃げてしまったか、それとも犯人が外に逃げていないとしたら、四人のうちの誰かがすっとぼけているかのどちらかだ」


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