雪の降り積もる夜に

原口源太郎

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 部屋の中ではごそごそと何人もの人が動きまわっている。それどころか、入り口のドアや廊下まで調べている。本田は興味を持って鑑識たちの仕事ぶりを観察した。
「やあ、ご苦労さん」
 不意に声をかけられ、本田はびっくりして振り返った。
 声をかけたのは藤田刑事と一緒に来た強面の刑事だった。
「ご苦労様です」
 慌てて本田も言葉を返す。
「ちょっと訊きたいんだがね」
「はい」
 本田はどきりとした。もしかしたら自分はまずいことをしてしまったのではないか。
「ここに来てからのことを話してくれないか」
「はい。部屋に入ってまず被害者の生死を確認しました。すぐに死んでいると思ったのですが、念のため脈がないか確認しました。それからすぐに部屋から出て派出所に連絡をしてから、ここにずっと立っていました」
「この部屋に入った時、何か変だなと感じたことはなかったか?」
「いえ、特別何も感じませんでした」
 本田は部屋に足を踏み入れた時のことを思い出してみる。机に覆い被さっている男にばかり注意がいって、部屋の中を見まわす余裕などなかった。
「もちろん中の物には触ってないね?」
「はい。生死を確認するために被害者には触れましたが」
「じゃ、そのドアノブは?」
 刑事が入り口のドアを指差す。その隣で藤田刑事が静かに話を聞いている。
「来た時にドアを開けるため、そして部屋を出るときにも触りました」
「素手で?」
「いえ。手袋をしていました」
 今もしている白い手袋を、両手を上げて刑事に見せた。
「うむ。それから君は出頭してきた加害者の娘から話を聞いているな」
「はい」
「さっき交番に電話をして聞いたんだが、娘はカッとなって頭に血が上り、咄嗟に男の頭を殴ってしまったと言ったらしいね」
「はい、そうです」
「実は被害者をざっと見分してみたんだが、被害者は頭を何度も殴られている。娘には殺意があったんじゃないのか?」
 それはわからない。
 刑事の言葉に、青白い女の人の顔を思い出していた。とても人を殺せるようには見えなかった。
「女の人は急に別れ話をされ、何が何だかわからなくなって咄嗟に近くにあったワインのビンを掴んで、椅子に座って本を読み始めた男の頭を後ろから殴ったと言っていました。ビンは粉々に割れ、ハッと我に返った時には男が机に頭を付け、血が頭から流れて机に広がっているのを見て怖くなって部屋を飛び出したと言っていました」
「それで?」
「咄嗟に殴ったら、ビンは割れたと言っていましたから、一度しか殴っていないと思います」
「そうか。じゃ、男の傷と娘の話は矛盾するわけだ」
「ええ、多分」
 女の人は一度しか頭を殴っていないとはっきり言ったわけではなかったが、本田も大村も話を聞いて一度殴られただけで、しかもその一撃でビンが割れたと思ったから男は生きているかもしれないと考えた。だから慌ててここまで駆けてきた。
「詳しい検死をしないとはっきりとは言えないが、頭を何度も殴られているし、傷そのものにもおかしなところがある。それで辺りを良く調べてみた」
 そこで言葉を切り、刑事はドアのほうを見た。そして続ける。
「ドアノブの指紋を調べた。外と内側と。何もなかった。拭き消してしまったらしい」
「私は二度ノブを触りました。自分が部屋に入る時と出る時、それから救急隊員が来た時にドアを開けてやりました」
「うん。だが、誰かが手袋をした手でドアノブを触ったために指紋が消えてしまったという感じではない。そこまではっきりとは断言できないが、元々このドアノブには指紋が付いていなかったと思われる」
「はい」
「そこで知りたいのは、娘が派出所に出頭してきた時、手袋をしていたかだ」
「していませんでした」
 女の人のかじかむ白い手。細くしなやかな指。
「女物の手袋が部屋の中にあった。多分自首してきた娘の物だろう。素手でドアノブを触ったのなら、痕跡は残っていると思うのだが」
「でも、私が触ったために・・・・」
 本田はあやふやに返事をする。
「よし、わかった。もういい」
 強面の刑事はそうぶっきら棒に言って部屋の中に入っていった。藤田が後を追う。
「藤田さん、藤田さん」
 本田が慌てて藤田に小さな声で呼びかけた。
「ん?」
 藤田が振り向く。
「どうしたのですか? 傷におかしなところがあるって、どういうことなのですか?」
「実はな、致命傷になった頭の傷に小さなビンの欠片がめり込んでいるのが見つかった」
 藤田も本田につられるように小声になって話す。
「どういうことなのですか?」
「つまりだ、お前さんの言っていたことと考えあわせると、死んだ男は一度女に頭を殴られた。その時にビンが割れて破片が頭に残っていた。そのあとまた別のもので頭を殴られため、ビンの破片が頭の中にめり込んでいたというわけだ。女が男を殴った時にビンが割れてしまい、男は死ななかったので別のビンでさらに殴ったのかもしれない。あるいは女が立ち去った後、別の者が男を殴ったのかもしれない。ドアノブの指紋が消されていたらしいし、二度目に殴ったらしい凶器がないから、別の人間が男を殺した可能性が高そうだ。今、その方向で調べ始めている」
 藤田は早口に話し、急いで部屋に戻った。
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