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前略、北村君。一杯やる約束が果たせずに残念です。死ぬ前に一度会いたかったけれど、やっぱり会わなくてよかったと思います。僕は世界を相手に詐欺を働きました。世界中の人を欺き、騙しました。そんな自分の存在が耐えられません。全ての事実を公表しなければなりません。でも、そんなことをしたら日本が世界を裏切ったことになります。僕の家族や友人たちが日本を裏切ったことになります。僕自身が非難されるのは構いません。僕を応援してくれた家族やお世話になった人々が、そして日本が非難されることが辛いです。これから書くことは事実です。事実を公にするかどうか、それは高校の時の親友だった北村君に委ねたいと思います。
僕がオリンピックで出した記録、いえ、それ以前のも含めて全てドーピングの上に成り立っていたものでした。うちの研究所で神経運動刺激、中枢神経刺激、脈拍制御を行いながら筋肉増強を図れる薬品のおおよその元が出来上がったのが5年前だといいます。あとはどれくらいの量をどれくらいの期間で体に取り込むのがいいのか、そして外観に現れず、検査をしても見つけられないようにするにはどうすればいいか。そういったことの研究がさらに続けられました。そして僕は自分の知らないうちにモルモットにされていました。そうと気が付いた時、僕は薬の使用を止めませんでした。それどころか、進んで臨床試験に協力しました。自分の体が今までの体でなく、すごく軽くなった気がして毎日がどんどん活気を帯びてきました。それからは北村君も知っていると思います。昨年の日本選手権に出場してからはとんとん拍子です。力が湧いてくるというよりは、体が軽くて、走るのが楽しくて仕方がありませんでした。
東京オリンピックでも僕は有頂天でした。メダルを首に掛けてもらったとき、それが薬のおかげだとは少しも思いませんでした。もちろんドーピング検査で陽性反応を示すといったこともありませんでした。そのことは研究所で最大限に研究されてきたことでした。
それから数日後のことです。風呂で髪を洗っていると、ごそっと毛が抜けました。白い泡のついた掌に何十本もの髪の毛を見た時、僕は心臓が止まりそうになりました。やはり体の機能を変える薬には副作用があったのです。これから顔つきや体つきが変わり、体の機能障害が出れば、いずれドーピングの事実は明らかになってしまいます。そして僕は今さらになってやっと気が付いたのです。オリンピックの金メダルは自分の力で手に入れたものではない。全てが偽物の成果だったのです。僕は毎日苦しみました。どうすればいいのか考えました。そしてドーピングの事実全てをなくしてしまうことにしたのです。
本社は研究所で行われていたことと、どれほど関わりがあるのかわかりません。僕の知る限り、ドーピングのことは研究所内での極秘事項だということです。しかし研究所内だけでこれほどのことができるとは思えません。
短絡的な考えだとは思います。でも、僕には他の方法を見つけ出せません。この手紙をポストに入れてから全てを行うつもりです。もう親友とは呼びません。
さようなら。
草々
もちろん、俺は手紙の内容を公にできるわけがなかった。俺は手紙のことを全て忘れる。神谷の家族や友人のためでも、日本のためでもない。
神谷のためだけに。
俺は日向子に想いを告げてから、よく二人で遊びに行くようになった。
結婚とか、そんな言葉はまだ全然出てこないけれど、いずれはそうなるだろうという予感めいたものはあった。
「俺がさあ、前に神谷がオリンピックでメダルを取ったら打ち明けたいことがあるって言ったときのこと、覚えてる?」
俺と日向子は遊びに来た公園で海を見ていた。
「もちろん、覚えているよ」
「あの時、メダルを取れなかったら日向子のほうから俺に言いたいことがあるって言っただろ? 何を言いたかったのかなって、すごく気になっているんだけど」
「別にたいしたことじゃないよ」
「でも気になる」
「北村君、私のこと、ずっと前から好きだったじゃない。でも、いつまでたってもそんなこと言ってくれないし。いよいよ神谷君がメダルを取ったら打ち明けてくれるんだと思ったけれど、もし取れなかったら、その先も私はずっと待ちぼうけ。それなら私のほうから言っちゃえ、と思ったの」
海を眺めていた日向子が俺を見て笑った。
何だか日向子は勘違いをしていると思った。俺が日向子を好きだと気が付いたのは、つい最近の事なんだ。
そう言ってやりたかったけれど、やめた。
自分の気持ちに気付くのが遅かっただけで、きっと俺の気付いていない心のどこかではずっと前から・・・・多分、出会った瞬間から日向子にぞっこんだったのだろうから。
終わり
僕がオリンピックで出した記録、いえ、それ以前のも含めて全てドーピングの上に成り立っていたものでした。うちの研究所で神経運動刺激、中枢神経刺激、脈拍制御を行いながら筋肉増強を図れる薬品のおおよその元が出来上がったのが5年前だといいます。あとはどれくらいの量をどれくらいの期間で体に取り込むのがいいのか、そして外観に現れず、検査をしても見つけられないようにするにはどうすればいいか。そういったことの研究がさらに続けられました。そして僕は自分の知らないうちにモルモットにされていました。そうと気が付いた時、僕は薬の使用を止めませんでした。それどころか、進んで臨床試験に協力しました。自分の体が今までの体でなく、すごく軽くなった気がして毎日がどんどん活気を帯びてきました。それからは北村君も知っていると思います。昨年の日本選手権に出場してからはとんとん拍子です。力が湧いてくるというよりは、体が軽くて、走るのが楽しくて仕方がありませんでした。
東京オリンピックでも僕は有頂天でした。メダルを首に掛けてもらったとき、それが薬のおかげだとは少しも思いませんでした。もちろんドーピング検査で陽性反応を示すといったこともありませんでした。そのことは研究所で最大限に研究されてきたことでした。
それから数日後のことです。風呂で髪を洗っていると、ごそっと毛が抜けました。白い泡のついた掌に何十本もの髪の毛を見た時、僕は心臓が止まりそうになりました。やはり体の機能を変える薬には副作用があったのです。これから顔つきや体つきが変わり、体の機能障害が出れば、いずれドーピングの事実は明らかになってしまいます。そして僕は今さらになってやっと気が付いたのです。オリンピックの金メダルは自分の力で手に入れたものではない。全てが偽物の成果だったのです。僕は毎日苦しみました。どうすればいいのか考えました。そしてドーピングの事実全てをなくしてしまうことにしたのです。
本社は研究所で行われていたことと、どれほど関わりがあるのかわかりません。僕の知る限り、ドーピングのことは研究所内での極秘事項だということです。しかし研究所内だけでこれほどのことができるとは思えません。
短絡的な考えだとは思います。でも、僕には他の方法を見つけ出せません。この手紙をポストに入れてから全てを行うつもりです。もう親友とは呼びません。
さようなら。
草々
もちろん、俺は手紙の内容を公にできるわけがなかった。俺は手紙のことを全て忘れる。神谷の家族や友人のためでも、日本のためでもない。
神谷のためだけに。
俺は日向子に想いを告げてから、よく二人で遊びに行くようになった。
結婚とか、そんな言葉はまだ全然出てこないけれど、いずれはそうなるだろうという予感めいたものはあった。
「俺がさあ、前に神谷がオリンピックでメダルを取ったら打ち明けたいことがあるって言ったときのこと、覚えてる?」
俺と日向子は遊びに来た公園で海を見ていた。
「もちろん、覚えているよ」
「あの時、メダルを取れなかったら日向子のほうから俺に言いたいことがあるって言っただろ? 何を言いたかったのかなって、すごく気になっているんだけど」
「別にたいしたことじゃないよ」
「でも気になる」
「北村君、私のこと、ずっと前から好きだったじゃない。でも、いつまでたってもそんなこと言ってくれないし。いよいよ神谷君がメダルを取ったら打ち明けてくれるんだと思ったけれど、もし取れなかったら、その先も私はずっと待ちぼうけ。それなら私のほうから言っちゃえ、と思ったの」
海を眺めていた日向子が俺を見て笑った。
何だか日向子は勘違いをしていると思った。俺が日向子を好きだと気が付いたのは、つい最近の事なんだ。
そう言ってやりたかったけれど、やめた。
自分の気持ちに気付くのが遅かっただけで、きっと俺の気付いていない心のどこかではずっと前から・・・・多分、出会った瞬間から日向子にぞっこんだったのだろうから。
終わり
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