16 / 18
16
しおりを挟む
俺は無事四年生になり、日向子とはちょっとも進まない関係を続け、吉田は相変わらず漫画を描く毎日だった。オリンピックのマラソンを題材にした漫画の原稿は完成し、賞に応募したようだ。吉田は自信満々だったけれど、俺はあれが数多い応募作品の中で一番に選ばれるとは思えなかった。
オリンピック開催が日に日に近付くある日、俺は神谷からの手紙を受け取った。
便箋にはやっぱり汚い字が並んでいる。
東京オリンピックでは全力を尽くす。全ては定められた運命。自分の名誉のためではなく、日本の名誉のために最高のものを残したい。
そんな、およそ神谷らしくない言葉が書き連ねてあった。日本中から、いや、世界中から注目されて、神谷はおかしくなってしまったのではないかと思った。
それとも、今から緊張しているのか。精神的に参ってしまっているのか。世界のひのき舞台で大チョンボだけはしないでくれよ。
俺は純粋に、コンプレックスなんて忘れて、ただ神谷の活躍を祈った。
いよいよ東京オリンピックが開幕した。
やがて短距離競技が始まり、当然ながら、俺の注目は神谷だった。
神谷は速かった。楽々と予選をクリアしていき、その走りっぷりとタイムに日本中が興奮しているようだった。
俺は吉田と一緒に部屋でテレビを見ていた。
これから百メートルの決勝が始まる。
神谷はどんな走りをするのだろう。俺は期待と不安でいっぱいだった。
トラックに選手たちが並び、思い思いに手や足を動かしたり、ピョンピョン跳ねたりしている。外人選手の中にあって、神谷の巨体はそれほど目立ちはしなかったが、あののほほんとした雰囲気は神谷だけのもので、やっぱり他の選手から浮いていた。
選手の紹介が終わり、ランナーたちがスタートの構えに入る。
俺はどきどきしてきた。クリアできるかできないかのバーに向かって走り出す時のようだった。
吉田も無言でテレビの画面を見つめている。
スタートラインに並び、手をつく選手たちの腰が上がった。
ピストルの音。
一斉に飛び出す選手たち。
神谷はほんの一瞬だけ遅れたように見えた。その身長のせいか、大抵神谷はスタートで出遅れる。でも、いつもその後の走りでカバーしてきた。今回だってきっとそうだ。
神谷は大きなスライドでぐんぐん加速していく。
速い、速い。加速を続けたまま、あっという間にゴールを突き抜けた。
文句なしのトップでのゴールだった。
俺は両手で顔を覆い、熱くなる眼がしらから涙がこぼれるのを必死で抑えた。部屋にいるのは吉田だけだったから、涙をこらえる必要なんてなかったのに。
テレビのアナウンサーが興奮した声で絶叫し続けていた。
神谷は二つの金メダルを日本にもたらした。百メートル走、二百メートル走。どちらも日本新記録だった。
百メートル走で神谷が金メダルを取った次の日、俺は興奮冷めやらぬまま、日向子を呼び出して告白した。
日向子は泣き出して、しばらく泣いた後、俺にキスをしてくれた。
俺の前には幸福しかないように思えた。
オリンピック開催が日に日に近付くある日、俺は神谷からの手紙を受け取った。
便箋にはやっぱり汚い字が並んでいる。
東京オリンピックでは全力を尽くす。全ては定められた運命。自分の名誉のためではなく、日本の名誉のために最高のものを残したい。
そんな、およそ神谷らしくない言葉が書き連ねてあった。日本中から、いや、世界中から注目されて、神谷はおかしくなってしまったのではないかと思った。
それとも、今から緊張しているのか。精神的に参ってしまっているのか。世界のひのき舞台で大チョンボだけはしないでくれよ。
俺は純粋に、コンプレックスなんて忘れて、ただ神谷の活躍を祈った。
いよいよ東京オリンピックが開幕した。
やがて短距離競技が始まり、当然ながら、俺の注目は神谷だった。
神谷は速かった。楽々と予選をクリアしていき、その走りっぷりとタイムに日本中が興奮しているようだった。
俺は吉田と一緒に部屋でテレビを見ていた。
これから百メートルの決勝が始まる。
神谷はどんな走りをするのだろう。俺は期待と不安でいっぱいだった。
トラックに選手たちが並び、思い思いに手や足を動かしたり、ピョンピョン跳ねたりしている。外人選手の中にあって、神谷の巨体はそれほど目立ちはしなかったが、あののほほんとした雰囲気は神谷だけのもので、やっぱり他の選手から浮いていた。
選手の紹介が終わり、ランナーたちがスタートの構えに入る。
俺はどきどきしてきた。クリアできるかできないかのバーに向かって走り出す時のようだった。
吉田も無言でテレビの画面を見つめている。
スタートラインに並び、手をつく選手たちの腰が上がった。
ピストルの音。
一斉に飛び出す選手たち。
神谷はほんの一瞬だけ遅れたように見えた。その身長のせいか、大抵神谷はスタートで出遅れる。でも、いつもその後の走りでカバーしてきた。今回だってきっとそうだ。
神谷は大きなスライドでぐんぐん加速していく。
速い、速い。加速を続けたまま、あっという間にゴールを突き抜けた。
文句なしのトップでのゴールだった。
俺は両手で顔を覆い、熱くなる眼がしらから涙がこぼれるのを必死で抑えた。部屋にいるのは吉田だけだったから、涙をこらえる必要なんてなかったのに。
テレビのアナウンサーが興奮した声で絶叫し続けていた。
神谷は二つの金メダルを日本にもたらした。百メートル走、二百メートル走。どちらも日本新記録だった。
百メートル走で神谷が金メダルを取った次の日、俺は興奮冷めやらぬまま、日向子を呼び出して告白した。
日向子は泣き出して、しばらく泣いた後、俺にキスをしてくれた。
俺の前には幸福しかないように思えた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

天使の隣
鉄紺忍者
大衆娯楽
人間の意思に反応する『フットギア』という特殊なシューズで走る新世代・駅伝SFストーリー!レース前、主人公・栗原楓は憧れの神宮寺エリカから突然声をかけられた。慌てふためく楓だったが、実は2人にはとある共通点があって……?
みなとみらいと八景島を結ぶ絶景のコースを、7人の女子大生ランナーが駆け抜ける!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる