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空には幾千もの星が瞬いている。由紀は月明かりの下に横たわっていた。
勇治は由紀の横に座り、眠るような顔を見つめた。
美しい由紀。
はにかむように笑う由紀。
いつも控えめな由紀。
幼さを残した横顔。
もう二度と見ることができない。
勇治は由紀をそっと抱き上げようとした。
ごりっとした感触があり、頭に何かが突きつけられた。
「さーすがだな」
背後で男の声。
「川口」
カチン。
勇治の声を消すように撃鉄を撃つ音がした。
カチン、カチン。
勇治は刀を掴むと振り向きざまに薙ぎ払う。
「ウ!」
しっかりとした手応えがあった。
「いて! いてえ! うわー!」
斬られた太腿を押さえ悲鳴を上げながら川口が草の中を転げまわる。
「やっぱりお前か」
「ちくしょう! ふざげやがって!」
川口は痛みをこらえながら再び拳銃を構え、引き金を引く。
カチン。
「弾は入ってない。お前に渡す時に抜いておいた」
「なに! うー、いてえ。早く救急車を呼んでくれ」
「バカを言うな」
勇治は立ち上がると刀を構える。
「おい! 何をする気だ? 俺は命の恩人だぞ。それなのに殺す気か!」
「殺す。元はといえば全てお前の仕組んだこと」
「ふざけたことぬかしてんじゃねえ!」
川口は怒鳴り、上半身を起こして勇治から離れようともがく。
「弟を殺したのもお前か?」
「弟? 何のことだ?」
「六年前の新宿での殺しだ。殺されたのは俺の弟だった。なぜおまえは殺された男に兄がいると知ってたんだ?」
「くっ」
川口は一瞬顔を歪めた。それは笑いをかみ殺しているように見えた。
「ははー、確かに俺が殺った。太田に命令された。あいつの体にナイフを突き刺した時、兄ちゃん助けてって泣きわめきやがった。俺は何度もあいつにナイフを突き刺した。それでやっと俺も一人前の男になれた」
川口は苦痛に歪む顔に笑みを浮かべた。
「やはりな」
勇治は刀を後ろへと引く。
「おい! 止せ! 正直に喋っただろ!」
川口の腹に刀を突き入れた。
「グフッ!」
背中に刀が抜ける。
川口は白目をむき、びくびくと体を震わせながら倒れた。
「うえうろうえうる」
意味のない言葉が口から洩れる。まだ命は絶たれていない。
「お前がアパートに現れた時からおかしいと思ってた。仕立てのいい服を着てたからな。おまけに二年間も俺を捜し回ってただと? 身寄りも財産もないお前がどうやって? ヤクザと繋がってるなんてすぐに察しがつくってもんだ。大方、俺に太田を殺させ、お前が俺を殺す。そうすれば組はお前のものになる。そんな単純な考えだったんだろ?」
勇治は川口に話しかけていたが、川口がすでにそれを理解できるだけの意識を持っていないのはわかっていた。自分を諭すように話した。
「後悔してる。もっと早くに殺しておけばよかった」
勇治は刀から手を離した。川口はまだ死なない。心臓が止まるまでもう少し生きながらえるであろう。
勇治は由紀を抱き上げた。全身が軋む。激しい痛みのようなものを感じるが、頭がマヒしかけているのか、痛みの所在がわからなくなる。
由紀を抱き、足を引きずりながら歩いた。
思考力も失われつつある。何が起こったのかもわからない。ただ、行くべき場所だけははっきりしている。
由紀を抱いたまま、堤防をゆっくりと上る。
そして階段の一段一段を注意しながら下りる。
砂の上も歩きにくかった。転ばないように進む。その先には海が待っていた。広く広く広がる海。波に月の光を無数に浮かべて暗くうねる海。
勇治は由紀と共に歩き続けた。
黒い波に足を踏み入れる。熱湯に触れるように波は熱かった。それでも歩みは止めない。
すでに勇治の思考も止まりつつあった。
はるか遠くにぼんやりと水平線が見える。
その水平線を目指し、由紀を抱いたまま、どこまでも歩いていくつもりであった。
終わり
勇治は由紀の横に座り、眠るような顔を見つめた。
美しい由紀。
はにかむように笑う由紀。
いつも控えめな由紀。
幼さを残した横顔。
もう二度と見ることができない。
勇治は由紀をそっと抱き上げようとした。
ごりっとした感触があり、頭に何かが突きつけられた。
「さーすがだな」
背後で男の声。
「川口」
カチン。
勇治の声を消すように撃鉄を撃つ音がした。
カチン、カチン。
勇治は刀を掴むと振り向きざまに薙ぎ払う。
「ウ!」
しっかりとした手応えがあった。
「いて! いてえ! うわー!」
斬られた太腿を押さえ悲鳴を上げながら川口が草の中を転げまわる。
「やっぱりお前か」
「ちくしょう! ふざげやがって!」
川口は痛みをこらえながら再び拳銃を構え、引き金を引く。
カチン。
「弾は入ってない。お前に渡す時に抜いておいた」
「なに! うー、いてえ。早く救急車を呼んでくれ」
「バカを言うな」
勇治は立ち上がると刀を構える。
「おい! 何をする気だ? 俺は命の恩人だぞ。それなのに殺す気か!」
「殺す。元はといえば全てお前の仕組んだこと」
「ふざけたことぬかしてんじゃねえ!」
川口は怒鳴り、上半身を起こして勇治から離れようともがく。
「弟を殺したのもお前か?」
「弟? 何のことだ?」
「六年前の新宿での殺しだ。殺されたのは俺の弟だった。なぜおまえは殺された男に兄がいると知ってたんだ?」
「くっ」
川口は一瞬顔を歪めた。それは笑いをかみ殺しているように見えた。
「ははー、確かに俺が殺った。太田に命令された。あいつの体にナイフを突き刺した時、兄ちゃん助けてって泣きわめきやがった。俺は何度もあいつにナイフを突き刺した。それでやっと俺も一人前の男になれた」
川口は苦痛に歪む顔に笑みを浮かべた。
「やはりな」
勇治は刀を後ろへと引く。
「おい! 止せ! 正直に喋っただろ!」
川口の腹に刀を突き入れた。
「グフッ!」
背中に刀が抜ける。
川口は白目をむき、びくびくと体を震わせながら倒れた。
「うえうろうえうる」
意味のない言葉が口から洩れる。まだ命は絶たれていない。
「お前がアパートに現れた時からおかしいと思ってた。仕立てのいい服を着てたからな。おまけに二年間も俺を捜し回ってただと? 身寄りも財産もないお前がどうやって? ヤクザと繋がってるなんてすぐに察しがつくってもんだ。大方、俺に太田を殺させ、お前が俺を殺す。そうすれば組はお前のものになる。そんな単純な考えだったんだろ?」
勇治は川口に話しかけていたが、川口がすでにそれを理解できるだけの意識を持っていないのはわかっていた。自分を諭すように話した。
「後悔してる。もっと早くに殺しておけばよかった」
勇治は刀から手を離した。川口はまだ死なない。心臓が止まるまでもう少し生きながらえるであろう。
勇治は由紀を抱き上げた。全身が軋む。激しい痛みのようなものを感じるが、頭がマヒしかけているのか、痛みの所在がわからなくなる。
由紀を抱き、足を引きずりながら歩いた。
思考力も失われつつある。何が起こったのかもわからない。ただ、行くべき場所だけははっきりしている。
由紀を抱いたまま、堤防をゆっくりと上る。
そして階段の一段一段を注意しながら下りる。
砂の上も歩きにくかった。転ばないように進む。その先には海が待っていた。広く広く広がる海。波に月の光を無数に浮かべて暗くうねる海。
勇治は由紀と共に歩き続けた。
黒い波に足を踏み入れる。熱湯に触れるように波は熱かった。それでも歩みは止めない。
すでに勇治の思考も止まりつつあった。
はるか遠くにぼんやりと水平線が見える。
その水平線を目指し、由紀を抱いたまま、どこまでも歩いていくつもりであった。
終わり
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