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 勇治は部屋から出かけることは滅多になかったが、時々、夜の闇に紛れて仕事帰りの由紀を迎えに行った。由紀をつける者がいないかを確かめるためと、少しでも歩いて体を動かしたいという思いがあった。足は山にいた頃に比べ驚くほど衰えていたが、鍛え直すことはできなかった。人目につくことは何一つ行うわけにはいかない。
 雨がしとしと柔らかく降る晩であった。
 傘を持たずに出かけた由紀を迎えるために、勇治は建物の陰に身を潜めて待っていた。
 時刻は零時を回り、酔客もまばらになりつつある。
 店のドアが開き、由紀が顔を出した。雨を避けるように勇治の元へ小走りに駆け寄る。
 勇治は無言で傘を差し出した。由紀は受け取った傘を開き、勇治と並んで歩き出す。
 人通りの絶えた薄暗い通りに入った時、二人の前に一人の男がスッと現れた。
 勇治たちは足を止めた。
 傘を差し、暗がりに黙って立つ男は左手に剣のようなものを持っている。
 勇治はすぐに辺りを警戒した。
 男一人のようである。
 男は傘を投げ捨て、剣を正眼に構えた。よく見ると剣ではなく木刀のようである。
 勇治は右手に傘を持っていた。後ろにいる由紀を左手で押しやる。
「離れていろ」
 辺りに目を配らせ、武器になりそうなものを探す。しかし適当なものが見つからず、勇治は相手を警戒しながらゆっくりと傘を畳んだ。
 男は構えたまま待っている。勇治の準備が整うまで待っているのである。
 ばたつかないように留めてから握りの部分を相手に向けて構える。
 男がゆっくりと動き、間合いを詰める。
 勇治はじりじりと下がる。
 十分な間合いとなり、男は動きを止めた。勇治は用心し相手の出方を窺う。
 男は勇治のことを値踏みしているかのように見ている。勇治も男を見た。細身の体躯に同じように細くて綺麗な顔が乗っている。少年のように幼い。
 来る。
 そう感じた時、男は動いていた。大きく踏み込みながら木刀を振り下ろす。
 瞬間的に身を反らせながら傘を立てて、打ち込まれた木刀を受け流す。
 脇をすり抜けるようにして走りながら男は勇治の胴を払おうとした。
 勇治はそれを読んでいた。体を反転させながら男が振るう木刀を上から叩きつける。
 勇治の横を走り抜けた男が振り返った時、勇治は上段から傘を振り下ろした。
 男は咄嗟に木刀で受けようとしたが間に合わなかった。
 パチン。
 頭を打つ音が雨の中に響いた。
 バチッ!
 体勢を崩した男の小手をさらに打った。
「うっ」
 男が木刀を落とした。
 勇治は木刀を蹴飛ばして再び構える。
「なぜこんなことをする?」
 男は勇治の問いに答えずに走った。
 木刀を拾い上げ、再び正眼に構える。
 遠い間合いから男は飛び込むようにして打ち込んできた。
 勇治は前に踏み込みながら傘で受ける。
 鈍い音がして傘が折れた。木刀が勇治の顔をかすめる。
 勇治は後ろに下がった。
 男は休まず打ち込んでくる。先ほどまでの冷静さがない。勇治に傘で打ち込まれた上に木刀を取り落とすという失態を演じて我を忘れたのであろう。
 勇治は折れ曲がった傘を投げ捨て、落ち着いて男の剣を読んだ。ぎりぎりで男の打ち込みをかわす。
 と、勇治の肩に激痛が走った。かわしきれずに男の一撃が肩を打ったのである。
 なおも男の攻撃をかわしながら腹を決めた。このままかわし続けることはできない。逃げるわけにもいかない。由紀がいる。打たれるのを覚悟で男の元に飛び込み、捕まえるしかない。
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