人斬人(ヒトキリビト)

原口源太郎

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 勇治は警察とヤクザから追われる身となった。
 のちに事件についての記事を読み、始めに斬ったのが鈴木だと知った。頭から腹までを斬られ命は取り留めたが、一生ベッドから降りられない体になった。次に腹を斬られたのは組長だった。高齢だったこともあり、三日後に死亡した。
 太田のことは新聞にも雑誌にも載っていなかった。鈴木と組長を斬ったことはうろ覚えでしかなかった。記事を読むまで誰を斬ったかわからなかった。
 しかし太田のことは覚えていた。勇治が下から日本刀を振り上げると、太田の拳銃を掴んだ手が手首から血を吹き出しながら飛んだ。
 拳銃を握りしめた手が床にぽとりと落ちた場面は、はっきりとした記憶となって勇治の脳裏に刻み込まれている。あの時のその情景だけを切り取ったように。
 警察に捕まれば一生刑務所から出ることはないであろう。
 しかしヤクザに捕まれば、命はない。日本中のヤクザの世界でも勇治はお尋ね者になった。
 勇治は人目を逃れて彷徨った。生きるために一度だけ地方都市の郊外にあるパチンコの景品交換所を襲った。その時に使ったのが組事務所から持ち出し、人を斬ったために刃こぼれした日本刀であった。
 勇治は組の若い衆から無理矢理買わされた拳銃も持っていたが、人を傷つけるつもりはなかったので、威圧感のある日本刀を使った。
 防犯カメラの映像により、犯人はヤクザを斬って逃げている勇治だと知れた。
 目立たず、ヤクザと警察の目から逃れて生きていくには金が必要であった。
 ある時は都会の下町に、ある時は地方の小都市へと流れた。そして辿り着いたのが、人々から忘れ去られたように山奥でひっそりと眠っている小さな集落であった。勇治が人を斬ってから一年が過ぎていた。
 その時の勇治は飢えていた。あらゆるものに飢えていた。安らぎはなかった。人との交わりを恐れ、神経をすり減らして生きていた。
 流れ着いた年寄りばかりの山奥の地で若い由紀を見かけ、力ずくで物にした。それから由紀の父親に持っていたすべての金を渡し、その家に住み着いた。
 その時の勇治は精神が崩壊しかけた、ほとんど病人の体であった。逃亡生活に疲れ果て、もう殺されてもいいとまで思った。
 由紀の家で暮らすようになってから、己の恐怖を捨て去り、無になるために自分の体をいじめること始めた。それが毎朝の素振りであった。
 ふたたび俗世に戻ることはないであろう。このちっぽけな集落の中に埋もれて死んでいくのもいいと思った。
 由紀の家は集落の奥、それより先には人が住んでいないというところにあった。幼い時に母を亡くし、由紀は父を助けて生きてきた。美しいが純な娘であった。父親のように寡黙であるが芯は強かった。
 由紀もその父親も、流れ者の勇治の身の上について詮索しようとはしなかった。

 そうして一年が過ぎた。由紀が子供を身ごもったと知ったのは最近のことである。由紀は何も言わなかったが、行動から察した。由紀の体の線が変わっていた。
 勇治は戸惑った。そして我が子ができたことに喜ぶ自分を知り、さらに戸惑った。悪魔になった己。その子を産ませていいものであろうか。
 いずれにしろ、勇治がまだこの世に出ていない我が子に対してどうしろと言うつもりはなかった。由紀もどうしようもなくなるまでは子のことを誰にも告げないであろう。由紀が話そうとするまで何も言わず今まで通りにしているつもりであった。
 そんな時であった。どうやってこの場所を嗅ぎつけたのかわからない。だが、間違いなく組の追手は勇治を殺り損なったが、勇治が感じ始めていた幸せを奪っていった。
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