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リボン
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美咲は千人に一人、いや、一万人に一人の美人だと僕は思っている。性格も穏やかで、僕の知る限りの人間の中で、一番いい性格だ。多分、美咲を知っている誰に訊いても同じようなことを言うだろう。どうにかして美咲の欠点を探すとしたら、美人にありがちなプライドの高いところだろうか。それさえ僕にとっては全然気にならないことだ。
僕は美咲という人を知ってから幸せの連続だった。
初めて美咲を見た時の驚き。たまに見かけるだけでときめいた日々。初めて言葉を交わした感動の日。付き合うようになった時。そして結婚した日。
美咲は僕のことを十人に一人くらいの美男子だと言った。性格的にも十人に一人くらいの部類に入るし、私との相性も十人に一人くらいいいから、全部を掛け合わせて千人に一人を私は選べたと、僕と似たようなことをよく口にした。
僕は美咲と幸せな結婚生活を過ごした。結婚一年目には長女の陽菜が生まれた。
娘は母親の容姿を受け継ぐように可愛く成長していった。美咲と陽菜をとても愛し、毎日幸せだった。
陽菜が四歳の時、僕は一つの過ちを犯した。
僕は結婚前から美咲にぞっこんだったけど、それを承知で僕にアプローチしてくる女性が何人かいた。結婚を機にそれは減ったけど、なくなったわけじゃなかった。
会社の飲み会の席の後、酔った僕は若い女性社員と二人きりで飲みに行った。そして一夜の間違いを犯した。
その娘は一途で、美咲と違い、僕の前ではっきりと僕のことを好きですと言うような娘だった。
奥さんと別れて私と結婚してくださいと言う娘に、僕はひたすら謝るしかなかった。
僕への直訴を諦めた娘は、直接手段に打って出た。
美咲は驚き、悲しみ、怒り、僕に問いただした。
僕は一度きりの過ちを認め、誠心誠意謝った。
美咲は僕を許してくれなかった。
僕は美咲の出した条件のほとんどを飲んで離婚した。
ただひとつ僕が求めたのは月に一度、陽菜と会うことだった。
月に一度、半日だけ陽菜と一緒にいられる。それだけが僕の唯一の喜びであり、生きがいになった。
美咲は車で僕のアパートへやって来る。陽菜を車から降ろすと、荷物を持たせる。
僕はいつもアパートの窓からその姿を見つめた。結婚前のように、遠くからその姿を見るだけでときめきのようなものを憶えた。
美咲はアパートの僕の部屋を知っているはずなのに、決して僕のほうを見ようとはしなかった。
陽菜が僕のアパートに入っていくのを確認してから、美咲の車はどこかへと走り去る。そして六時間後に陽菜を迎えにやって来る。
陽菜は僕の部屋に来るたびに大きな荷物を抱えてくる。
僕は美咲の車が走り去るのを見届けると、すぐに部屋を出て陽菜を迎えに行った。
「パパ、今日はとてもおいしいご馳走を作ってきたよ」
「パパ、今日はパパにとってもお似合いの服を選んできてあげたの」
僕の部屋を訪れるたびに、陽菜は持ってきた荷物を自慢げに見せた。
四歳の娘にはとても作れない料理を、陽菜は自分で作ったと言い、僕に似合う僕好みの服を私が選んだと言い張った。
それは陽菜のお手柄にしたい美咲の心遣いかどうか、僕にはよくわからなかった。
僕と陽菜の時間はあっという間に過ぎ去り、心が張り裂けそうなほどつらい別れがやって来る。
また一か月後に会えると自分に言い聞かせて、僕は陽菜をアパートの出口まで送っていく。陽菜は駐車場に母親の車を見つけると、一目散に駆けていき、僕はいつも悲しくなりながらその後ろ姿を見送った。
陽菜の何度目かの訪問は、梅雨の柔らかく雨が降る日だった。
いつにもまして、陽菜は大きな四角い箱を持って雨の中をやってきた。
僕は陽菜が濡れないように、急いで傘を持って部屋を出た。
「おやおや、今日はまた大きなお土産を持ってきてくれたね」
「ダメ。触っちゃダメよ」
陽菜は前が見えないほどの大きな箱を抱えていながら、僕の差し出した手を察知してすぐに言った。
大きな箱にはリボンが掛けてある。
「もうすぐお父さんの日だから、パパに特別プレゼントを持ってきたの」
部屋に入ると、大きな箱を持ったまま陽菜が言った。
「それは楽しみだ。さっそく開けていい?」
「ちょっと待ってね。まずはリボンを解いて」
陽菜は箱を持ったままでいる。箱は大きいが中身は軽いらしい。
僕は言われた通りにリボンを解いた。
「ちょっと持ってて」
陽菜に言われて僕は箱を持った。何も入っていないかのように軽かった。
「私がいいって言ったら蓋を開けてね」
そう言うと、陽菜は箱の下にしゃがみこんだ。
「いいよ、開けて」
僕は箱の蓋を開けた。
底のない箱の中から、陽菜が僕を見て微笑んだ。
「何?」
僕はよくわからずに尋ねた。
「私がプレゼントなの。どう?」
「もちろん嬉しい。本当に今日は特別だ」
「じゃあ、ずっといていい?」
「ずっとって、パパのところにかい?」
「そう」
「夜まで?」
「ううん」
「明日の朝まで?」
「ううん、もっとずーっとよ」
「ずーっとって、じゃあ、ずっといてくれるの? 一緒にいられるの?」
僕は驚いて陽菜の顔を見た。
「そうよ」
「でも、ママが何て言うかな」
「大丈夫。ママの許可はちゃんと取ってあるから」
「本当に?」
「うん。パパ、嬉しくないの?」
「いや、嬉しいよ。ただ、びっくりしちゃって」
「でも、残念なお知らせがひとつあるの」
「残念なお知らせ?」
「そう。実はコブ付きなの」
「コブ付き?」
「うん。ママがね、どうしても私と一緒じゃなきゃ嫌だっていうの」
「じゃ、ママもここにいるの?」
「うん。外で待ってる。パパがOKって言ってくれたら、私が呼びに行くことになっているの」
僕は窓に走り寄った。
車の横に傘をさした美咲が立ち、こちらを見ている。
「パパ? どうする?」
「もちろんOKだよ。早くママを呼んでおいで」
僕は陽菜の被っている大きな箱を持ち上げながら言った。
僕は美咲という人を知ってから幸せの連続だった。
初めて美咲を見た時の驚き。たまに見かけるだけでときめいた日々。初めて言葉を交わした感動の日。付き合うようになった時。そして結婚した日。
美咲は僕のことを十人に一人くらいの美男子だと言った。性格的にも十人に一人くらいの部類に入るし、私との相性も十人に一人くらいいいから、全部を掛け合わせて千人に一人を私は選べたと、僕と似たようなことをよく口にした。
僕は美咲と幸せな結婚生活を過ごした。結婚一年目には長女の陽菜が生まれた。
娘は母親の容姿を受け継ぐように可愛く成長していった。美咲と陽菜をとても愛し、毎日幸せだった。
陽菜が四歳の時、僕は一つの過ちを犯した。
僕は結婚前から美咲にぞっこんだったけど、それを承知で僕にアプローチしてくる女性が何人かいた。結婚を機にそれは減ったけど、なくなったわけじゃなかった。
会社の飲み会の席の後、酔った僕は若い女性社員と二人きりで飲みに行った。そして一夜の間違いを犯した。
その娘は一途で、美咲と違い、僕の前ではっきりと僕のことを好きですと言うような娘だった。
奥さんと別れて私と結婚してくださいと言う娘に、僕はひたすら謝るしかなかった。
僕への直訴を諦めた娘は、直接手段に打って出た。
美咲は驚き、悲しみ、怒り、僕に問いただした。
僕は一度きりの過ちを認め、誠心誠意謝った。
美咲は僕を許してくれなかった。
僕は美咲の出した条件のほとんどを飲んで離婚した。
ただひとつ僕が求めたのは月に一度、陽菜と会うことだった。
月に一度、半日だけ陽菜と一緒にいられる。それだけが僕の唯一の喜びであり、生きがいになった。
美咲は車で僕のアパートへやって来る。陽菜を車から降ろすと、荷物を持たせる。
僕はいつもアパートの窓からその姿を見つめた。結婚前のように、遠くからその姿を見るだけでときめきのようなものを憶えた。
美咲はアパートの僕の部屋を知っているはずなのに、決して僕のほうを見ようとはしなかった。
陽菜が僕のアパートに入っていくのを確認してから、美咲の車はどこかへと走り去る。そして六時間後に陽菜を迎えにやって来る。
陽菜は僕の部屋に来るたびに大きな荷物を抱えてくる。
僕は美咲の車が走り去るのを見届けると、すぐに部屋を出て陽菜を迎えに行った。
「パパ、今日はとてもおいしいご馳走を作ってきたよ」
「パパ、今日はパパにとってもお似合いの服を選んできてあげたの」
僕の部屋を訪れるたびに、陽菜は持ってきた荷物を自慢げに見せた。
四歳の娘にはとても作れない料理を、陽菜は自分で作ったと言い、僕に似合う僕好みの服を私が選んだと言い張った。
それは陽菜のお手柄にしたい美咲の心遣いかどうか、僕にはよくわからなかった。
僕と陽菜の時間はあっという間に過ぎ去り、心が張り裂けそうなほどつらい別れがやって来る。
また一か月後に会えると自分に言い聞かせて、僕は陽菜をアパートの出口まで送っていく。陽菜は駐車場に母親の車を見つけると、一目散に駆けていき、僕はいつも悲しくなりながらその後ろ姿を見送った。
陽菜の何度目かの訪問は、梅雨の柔らかく雨が降る日だった。
いつにもまして、陽菜は大きな四角い箱を持って雨の中をやってきた。
僕は陽菜が濡れないように、急いで傘を持って部屋を出た。
「おやおや、今日はまた大きなお土産を持ってきてくれたね」
「ダメ。触っちゃダメよ」
陽菜は前が見えないほどの大きな箱を抱えていながら、僕の差し出した手を察知してすぐに言った。
大きな箱にはリボンが掛けてある。
「もうすぐお父さんの日だから、パパに特別プレゼントを持ってきたの」
部屋に入ると、大きな箱を持ったまま陽菜が言った。
「それは楽しみだ。さっそく開けていい?」
「ちょっと待ってね。まずはリボンを解いて」
陽菜は箱を持ったままでいる。箱は大きいが中身は軽いらしい。
僕は言われた通りにリボンを解いた。
「ちょっと持ってて」
陽菜に言われて僕は箱を持った。何も入っていないかのように軽かった。
「私がいいって言ったら蓋を開けてね」
そう言うと、陽菜は箱の下にしゃがみこんだ。
「いいよ、開けて」
僕は箱の蓋を開けた。
底のない箱の中から、陽菜が僕を見て微笑んだ。
「何?」
僕はよくわからずに尋ねた。
「私がプレゼントなの。どう?」
「もちろん嬉しい。本当に今日は特別だ」
「じゃあ、ずっといていい?」
「ずっとって、パパのところにかい?」
「そう」
「夜まで?」
「ううん」
「明日の朝まで?」
「ううん、もっとずーっとよ」
「ずーっとって、じゃあ、ずっといてくれるの? 一緒にいられるの?」
僕は驚いて陽菜の顔を見た。
「そうよ」
「でも、ママが何て言うかな」
「大丈夫。ママの許可はちゃんと取ってあるから」
「本当に?」
「うん。パパ、嬉しくないの?」
「いや、嬉しいよ。ただ、びっくりしちゃって」
「でも、残念なお知らせがひとつあるの」
「残念なお知らせ?」
「そう。実はコブ付きなの」
「コブ付き?」
「うん。ママがね、どうしても私と一緒じゃなきゃ嫌だっていうの」
「じゃ、ママもここにいるの?」
「うん。外で待ってる。パパがOKって言ってくれたら、私が呼びに行くことになっているの」
僕は窓に走り寄った。
車の横に傘をさした美咲が立ち、こちらを見ている。
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「もちろんOKだよ。早くママを呼んでおいで」
僕は陽菜の被っている大きな箱を持ち上げながら言った。
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