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第四章
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源左衛門は大村他、数人の藩士と共に赤吹城へ行った。登城の理由は源左衛門が米形に帰る前に、三河屋押し入り一味を捕らえるにあたって源左衛門の力添えがあったことに対して、藩主自ら源左衛門の顔を見たいとの要請があったからである。
源左衛門は大村に案内され、赤吹城二の丸御殿の庭に行った。そこに正座していると、程なく藩主が見えるとの合図があり、源左衛門は深く頭を下げた。
赤吹藩の藩主、永野兼成を直接見たことはなかったが、うつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれていることは聞いたことがある。しかし一国一城の主がそのような者であるわけがないし、いざとなれば自分たちが命を懸けて守らなければならないはずの藩主に対して、そのような陰口が叩かれることを源左衛門は快く思っていなかった。
数人の者たちが歩いてくる足音が近づいてきた。
源左衛門は深く頭を下げたままでいる。
男たちが源左衛門の前に座った。
その時、源左衛門はふっと妙な感覚に襲われた。
この感覚は何であろう。考えてみたがわからなかった。
「構わん、面をあげよ」
またも不思議な感覚に捕らわれながら、源左衛門は顔を上げ、部屋の中央に座る藩主の顔を見た。
立派な身なりの殿様であった。
「うん、いい顔をしている」
源左衛門の顔をつくづくと見て、殿様が言った。
「米形の上杉殿から、お前のことは何度も聞かされていた。本当は是非とも我が藩で召し抱えたかったのであるが、そうもいくまい。米形に帰ったら、十分に上杉殿に尽くすのであるぞ」
「はっ」
殿様の言葉を聞き、源左衛門は再び頭を下げた。
やがて殿様は立ち上がり、部屋を出ていった。数人の小姓が後に続く。
その間、源左衛門はずっと顔を伏せたままであった。
源左衛門の頭の中では、全てのことがパズルを組み合わせていくように繋がっていった。
今、話しかけた殿様の声は、浪人者を斬った日の夜に聞いた「お見事」の声と同じである。そして今、感じていた不思議な感覚もその時の夜と、もっと前の誰かに付けられていると感じた日のよくわからない気配とも同じであった。
人間離れした物音や気配を消した動きは、忍者と呼ばれる者だろうとは思っていた。そんな馬鹿なことはないと思うが、今、目の前にいた殿様とあの日の忍者が同一人物なのは確かである。
そうだとしたら、殿様がうつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれているのもわかる。夜中に忍者として動きまわっているから、昼間は寝ていたり、体を休めているのである。
源左衛門が初めてその不思議な気配を感じたのは、三河屋押し入り事件の次の日のことである。忍者である殿様は、三河屋事件の起きる一カ月前に赤吹にやって来た得体の知れない浪人者である源左衛門が、押し入り事件に関係しているかもしれないと調べていたのであろう。源左衛門のことは秘密裏に徹底的に調べられ、その時に源左衛門の刀や雪乃の簪のことを知ったに違いない。やがて源左衛門が参勤で江戸に上るたびに上杉から聞かされていた若者だと知り、他の藩に召し抱えられないように赤吹に留めておいて、米形の上杉に連絡を取ったのである。
なぜ殿様が忍者なのか。それは全くわからない。しかし源左衛門が考えたことは事実であろう。
だが、それを人に話すことはできない。殿様自身がうつけの殿様と陰口をたたかれようようが、黙したままでいるのであるのだから。
源左衛門は一生そのことは胸の内に秘めたままでいようと誓った。そして一介の浪人である自分に対しても、素晴らしい心遣いをしてくれた赤吹の殿様のことを、決して忘れないであろうと思った。
源左衛門は大村にうながされて立ち上がった。
故郷はもう雪景色に覆われているのであろうか。
そう思いながら、源左衛門は北の空を見上げた。
終わり
源左衛門は大村に案内され、赤吹城二の丸御殿の庭に行った。そこに正座していると、程なく藩主が見えるとの合図があり、源左衛門は深く頭を下げた。
赤吹藩の藩主、永野兼成を直接見たことはなかったが、うつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれていることは聞いたことがある。しかし一国一城の主がそのような者であるわけがないし、いざとなれば自分たちが命を懸けて守らなければならないはずの藩主に対して、そのような陰口が叩かれることを源左衛門は快く思っていなかった。
数人の者たちが歩いてくる足音が近づいてきた。
源左衛門は深く頭を下げたままでいる。
男たちが源左衛門の前に座った。
その時、源左衛門はふっと妙な感覚に襲われた。
この感覚は何であろう。考えてみたがわからなかった。
「構わん、面をあげよ」
またも不思議な感覚に捕らわれながら、源左衛門は顔を上げ、部屋の中央に座る藩主の顔を見た。
立派な身なりの殿様であった。
「うん、いい顔をしている」
源左衛門の顔をつくづくと見て、殿様が言った。
「米形の上杉殿から、お前のことは何度も聞かされていた。本当は是非とも我が藩で召し抱えたかったのであるが、そうもいくまい。米形に帰ったら、十分に上杉殿に尽くすのであるぞ」
「はっ」
殿様の言葉を聞き、源左衛門は再び頭を下げた。
やがて殿様は立ち上がり、部屋を出ていった。数人の小姓が後に続く。
その間、源左衛門はずっと顔を伏せたままであった。
源左衛門の頭の中では、全てのことがパズルを組み合わせていくように繋がっていった。
今、話しかけた殿様の声は、浪人者を斬った日の夜に聞いた「お見事」の声と同じである。そして今、感じていた不思議な感覚もその時の夜と、もっと前の誰かに付けられていると感じた日のよくわからない気配とも同じであった。
人間離れした物音や気配を消した動きは、忍者と呼ばれる者だろうとは思っていた。そんな馬鹿なことはないと思うが、今、目の前にいた殿様とあの日の忍者が同一人物なのは確かである。
そうだとしたら、殿様がうつけの殿様とか、寝ぼけ殿様と呼ばれているのもわかる。夜中に忍者として動きまわっているから、昼間は寝ていたり、体を休めているのである。
源左衛門が初めてその不思議な気配を感じたのは、三河屋押し入り事件の次の日のことである。忍者である殿様は、三河屋事件の起きる一カ月前に赤吹にやって来た得体の知れない浪人者である源左衛門が、押し入り事件に関係しているかもしれないと調べていたのであろう。源左衛門のことは秘密裏に徹底的に調べられ、その時に源左衛門の刀や雪乃の簪のことを知ったに違いない。やがて源左衛門が参勤で江戸に上るたびに上杉から聞かされていた若者だと知り、他の藩に召し抱えられないように赤吹に留めておいて、米形の上杉に連絡を取ったのである。
なぜ殿様が忍者なのか。それは全くわからない。しかし源左衛門が考えたことは事実であろう。
だが、それを人に話すことはできない。殿様自身がうつけの殿様と陰口をたたかれようようが、黙したままでいるのであるのだから。
源左衛門は一生そのことは胸の内に秘めたままでいようと誓った。そして一介の浪人である自分に対しても、素晴らしい心遣いをしてくれた赤吹の殿様のことを、決して忘れないであろうと思った。
源左衛門は大村にうながされて立ち上がった。
故郷はもう雪景色に覆われているのであろうか。
そう思いながら、源左衛門は北の空を見上げた。
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