上 下
20 / 26
第三章

10

しおりを挟む
 翌日、源左衛門は与助の家に行った。与助は忙しそうに身支度を整えているところであった。
「いやア、大変なことが起きちまって。今日は山行きさ」
「山、ですか」
「わしら足軽は山へ捜索に行けとのことだ」
「そうですか。ご苦労様です」
「それで、今日は何か用かい?」
「『甚八』が夜はしばらく休むというので、他に何か仕事がないかと」
「他にはないな」
「内職でもいいのですが」
「今はお侍さんでも生活が厳しくなってきていて、内職仕事を探しているようなご時世なんで、とてもこっちまでまわってこないんだ」
「そうですか」
 源左衛門は肩を落として言った。
「ま、そのうちにいい話があるだろうから、それまでの辛抱だ」
 そう言って簡単なあいさつを交わしたのち、与助は家を出ていった。

 源左衛門は特別することもないので、毎日中川の道場へ通った。依然として藩士たちは道場に来なかったので、源左衛門は一人黙々と木刀を振って汗を流した。
「どれ、ひとつお相手しましょうかな」
 中川の道場に通うようになって数日ののち、暇を持て余している中川が言った。
 中川勇也は源左衛門の師である山本竜安より歳が上に見える。しかし竜安は歳を重ね、昔のように機敏に激しく動くことはできなくなっていた。ところが、小柄で痩せている中川は動きが速く、バネもあり、力もある。日々の鍛錬の賜物か、持って生まれた体の強さなのか源左衛門にはわからなかったが、とにかく中川が剣を振うのを見るたびに感嘆せずにはいられなかった。
 お互い扱う流派が違うので、型の組稽古というよりも試合形式で打ち合った。打ち合いといっても、実際に木刀で相手を打ってしまうと怪我をさせてしまうのであるが、そこは二人とも名人の域に達しているので、そんな心配はいらなかった。
 実際に打ち合ってみて、源左衛門は中川の剣に舌を巻いた。多分この道場で年老いた師範より上を使う者はいないと思った。自分でさえ真剣勝負でまともにやりあったら結果はどうなるであろうか。そう思えるほど中川の動きは素晴らしかった。
 一方、中川も源左衛門と打ち合ってみて、その才能の素晴らしさを痛感していた。これほどの者が浪人としてこんな場所でくすぶっていることが残念に思われた。自分の若い時でさえ、源左衛門と真剣勝負で戦ったら勝てないだろうと思った。

 そうした日々が過ぎ、結局、押し入り強盗の行方は知れないままで、いつまでも藩士を総動員して捜索してもいられなくなり、徐々に中川道場にも弟子たちが戻ってきた。
 源左衛門は道場に行く日を減らし、また古寺での稽古を再開して一人で剣を振うようになった。
 そんな時に目付け役の大村から呼び出された。
 仕官の話があるかもしれないと、わずかな着物の中から一番ふさわしいものを着て、源左衛門は大村の家に行った。
「仕官の話は上の者にしてあるのだが、もう少し待ってもらいたい」
「そうですか」
 大村の言葉に源左衛門は少しがっかりして応えた。
「しかし、こちらから赤吹に留まるようにとお願いしている以上、何もしないという訳にもいかないであろう」
 そう言って大村は横に置いてあった包みを源左衛門の前に差し出した。
「これは仕官が決まるまでの一時金である。藩から支給するので、遠慮せずに受け取りなさい」
「はい」
 源左衛門は包みを手に取った。
「仕官の話がまとまるまで、月に一度支給するので、ここへ受け取りに来なさい」
「はい。ありがとうございます」
 源左衛門は頭を下げて言った。

 長屋に帰り、金を渡して大村と話した内容を伝えると、雪乃は俯いてそっと涙を流した。
「赤吹藩は私のことを認めていてくれる。私はここで侍として十分な働きをしてみせる」
 源左衛門は力強く言った。
「はい」
 震える声で雪乃が応えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

原口源左衛門の帰郷

原口源太郎
歴史・時代
『トノサマニンジャ外伝 剣客 原口源左衛門』その後。 故郷の米形に妻の雪乃と帰ることになった原口源左衛門。その道中で起こった些細な出来事。

川面の光

くまいくまきち
歴史・時代
幕末、武州(埼玉県)の新河岸川を渡る江戸との物流を担ったヒラタ舟をめぐる小さな悲恋の物語です。

壬生狼の戦姫

天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。 土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──? 激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。 参考・引用文献 土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年 図説 新撰組 横田淳 新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博

ジィジ宮・バァバァ宮

士鯨 海遊
歴史・時代
道志川沿いに青根という神奈川県相模原市の集落があるのだが、そこにはジィジ宮とバァバァ宮という変わった名前の祠がある。この名前の由来には青根に伝わる悲しいお話があったのだった。

蛙の半兵衛泣き笑い

藍染 迅
歴史・時代
長屋住まいの浪人川津半兵衛は普段は気の弱いお人よし。大工、左官にも喧嘩に負けるが、何故か人に慕われる。 ある日隣の幼女おきせが、不意に姿を消した。どうやら人買いにさらわれたらしい。 夜に入って降り出した雨。半兵衛は単身人買い一味が潜む荒れ寺へと乗り込む。 褌裸に菅の笠。腰に差したるは鮫革柄の小太刀一振り。 雨が降ったら誰にも負けぬ。古流剣術蛟流が飛沫を巻き上げる。

臆病宗瑞

もず りょう
歴史・時代
興国寺城主として大国今川家の駿河侵攻の先鋒をつとめる伊勢新九郎盛時は、優れた軍才の持ち主でありながら、人並外れて慎重な性格であった。彼は近在の寺の老僧秀実としばしば碁を愉しんだが、肝心なところで決め手となる一手を躊躇い、負けを重ねていた。その寺に小間使いとして働く楓という少女がいた。少女は盛時に仄かな憧れを抱き、盛時もまた可憐な少女を好もしく思っていたが、その性格が災いして最後の一歩を踏み出せずにいた。そんな折、堀越公方の「若御所」こと足利茶々丸が楓に目をつけて…。後に戦国の梟雄と呼ばれる北条早雲が、未だ北条早雲となる前の、秘められた悲恋の物語。

蒼色が金色に染まる時

ねこまむ
歴史・時代
 千二百年代前半の蒙古高原を駆け巡っていた壮年のチンギス・ハン。そんな彼が、愛妃の忽蘭と出会い、結婚するまでのお話。  ちなみに当時は女性を捕虜にする事や、略奪する事が当たり前でした。二人の出会いもそんな感じなので、なかなかのスピード婚です。

藤散華

水城真以
歴史・時代
――藤と梅の下に埋められた、禁忌と、恋と、呪い。 時は平安――左大臣の一の姫・彰子は、父・道長の命令で今上帝の女御となる。顔も知らない夫となった人に焦がれる彰子だが、既に帝には、定子という最愛の妃がいた。 やがて年月は過ぎ、定子の夭折により、帝と彰子の距離は必然的に近づいたように見えたが、彰子は新たな中宮となって数年が経っても懐妊の兆しはなかった。焦燥に駆られた左大臣に、妖しの影が忍び寄る。 非凡な運命に絡め取られた少女の命運は。

処理中です...