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第三章
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翌日、源左衛門は与助の家に行った。与助は忙しそうに身支度を整えているところであった。
「いやア、大変なことが起きちまって。今日は山行きさ」
「山、ですか」
「わしら足軽は山へ捜索に行けとのことだ」
「そうですか。ご苦労様です」
「それで、今日は何か用かい?」
「『甚八』が夜はしばらく休むというので、他に何か仕事がないかと」
「他にはないな」
「内職でもいいのですが」
「今はお侍さんでも生活が厳しくなってきていて、内職仕事を探しているようなご時世なんで、とてもこっちまでまわってこないんだ」
「そうですか」
源左衛門は肩を落として言った。
「ま、そのうちにいい話があるだろうから、それまでの辛抱だ」
そう言って簡単なあいさつを交わしたのち、与助は家を出ていった。
源左衛門は特別することもないので、毎日中川の道場へ通った。依然として藩士たちは道場に来なかったので、源左衛門は一人黙々と木刀を振って汗を流した。
「どれ、ひとつお相手しましょうかな」
中川の道場に通うようになって数日ののち、暇を持て余している中川が言った。
中川勇也は源左衛門の師である山本竜安より歳が上に見える。しかし竜安は歳を重ね、昔のように機敏に激しく動くことはできなくなっていた。ところが、小柄で痩せている中川は動きが速く、バネもあり、力もある。日々の鍛錬の賜物か、持って生まれた体の強さなのか源左衛門にはわからなかったが、とにかく中川が剣を振うのを見るたびに感嘆せずにはいられなかった。
お互い扱う流派が違うので、型の組稽古というよりも試合形式で打ち合った。打ち合いといっても、実際に木刀で相手を打ってしまうと怪我をさせてしまうのであるが、そこは二人とも名人の域に達しているので、そんな心配はいらなかった。
実際に打ち合ってみて、源左衛門は中川の剣に舌を巻いた。多分この道場で年老いた師範より上を使う者はいないと思った。自分でさえ真剣勝負でまともにやりあったら結果はどうなるであろうか。そう思えるほど中川の動きは素晴らしかった。
一方、中川も源左衛門と打ち合ってみて、その才能の素晴らしさを痛感していた。これほどの者が浪人としてこんな場所でくすぶっていることが残念に思われた。自分の若い時でさえ、源左衛門と真剣勝負で戦ったら勝てないだろうと思った。
そうした日々が過ぎ、結局、押し入り強盗の行方は知れないままで、いつまでも藩士を総動員して捜索してもいられなくなり、徐々に中川道場にも弟子たちが戻ってきた。
源左衛門は道場に行く日を減らし、また古寺での稽古を再開して一人で剣を振うようになった。
そんな時に目付け役の大村から呼び出された。
仕官の話があるかもしれないと、わずかな着物の中から一番ふさわしいものを着て、源左衛門は大村の家に行った。
「仕官の話は上の者にしてあるのだが、もう少し待ってもらいたい」
「そうですか」
大村の言葉に源左衛門は少しがっかりして応えた。
「しかし、こちらから赤吹に留まるようにとお願いしている以上、何もしないという訳にもいかないであろう」
そう言って大村は横に置いてあった包みを源左衛門の前に差し出した。
「これは仕官が決まるまでの一時金である。藩から支給するので、遠慮せずに受け取りなさい」
「はい」
源左衛門は包みを手に取った。
「仕官の話がまとまるまで、月に一度支給するので、ここへ受け取りに来なさい」
「はい。ありがとうございます」
源左衛門は頭を下げて言った。
長屋に帰り、金を渡して大村と話した内容を伝えると、雪乃は俯いてそっと涙を流した。
「赤吹藩は私のことを認めていてくれる。私はここで侍として十分な働きをしてみせる」
源左衛門は力強く言った。
「はい」
震える声で雪乃が応えた。
「いやア、大変なことが起きちまって。今日は山行きさ」
「山、ですか」
「わしら足軽は山へ捜索に行けとのことだ」
「そうですか。ご苦労様です」
「それで、今日は何か用かい?」
「『甚八』が夜はしばらく休むというので、他に何か仕事がないかと」
「他にはないな」
「内職でもいいのですが」
「今はお侍さんでも生活が厳しくなってきていて、内職仕事を探しているようなご時世なんで、とてもこっちまでまわってこないんだ」
「そうですか」
源左衛門は肩を落として言った。
「ま、そのうちにいい話があるだろうから、それまでの辛抱だ」
そう言って簡単なあいさつを交わしたのち、与助は家を出ていった。
源左衛門は特別することもないので、毎日中川の道場へ通った。依然として藩士たちは道場に来なかったので、源左衛門は一人黙々と木刀を振って汗を流した。
「どれ、ひとつお相手しましょうかな」
中川の道場に通うようになって数日ののち、暇を持て余している中川が言った。
中川勇也は源左衛門の師である山本竜安より歳が上に見える。しかし竜安は歳を重ね、昔のように機敏に激しく動くことはできなくなっていた。ところが、小柄で痩せている中川は動きが速く、バネもあり、力もある。日々の鍛錬の賜物か、持って生まれた体の強さなのか源左衛門にはわからなかったが、とにかく中川が剣を振うのを見るたびに感嘆せずにはいられなかった。
お互い扱う流派が違うので、型の組稽古というよりも試合形式で打ち合った。打ち合いといっても、実際に木刀で相手を打ってしまうと怪我をさせてしまうのであるが、そこは二人とも名人の域に達しているので、そんな心配はいらなかった。
実際に打ち合ってみて、源左衛門は中川の剣に舌を巻いた。多分この道場で年老いた師範より上を使う者はいないと思った。自分でさえ真剣勝負でまともにやりあったら結果はどうなるであろうか。そう思えるほど中川の動きは素晴らしかった。
一方、中川も源左衛門と打ち合ってみて、その才能の素晴らしさを痛感していた。これほどの者が浪人としてこんな場所でくすぶっていることが残念に思われた。自分の若い時でさえ、源左衛門と真剣勝負で戦ったら勝てないだろうと思った。
そうした日々が過ぎ、結局、押し入り強盗の行方は知れないままで、いつまでも藩士を総動員して捜索してもいられなくなり、徐々に中川道場にも弟子たちが戻ってきた。
源左衛門は道場に行く日を減らし、また古寺での稽古を再開して一人で剣を振うようになった。
そんな時に目付け役の大村から呼び出された。
仕官の話があるかもしれないと、わずかな着物の中から一番ふさわしいものを着て、源左衛門は大村の家に行った。
「仕官の話は上の者にしてあるのだが、もう少し待ってもらいたい」
「そうですか」
大村の言葉に源左衛門は少しがっかりして応えた。
「しかし、こちらから赤吹に留まるようにとお願いしている以上、何もしないという訳にもいかないであろう」
そう言って大村は横に置いてあった包みを源左衛門の前に差し出した。
「これは仕官が決まるまでの一時金である。藩から支給するので、遠慮せずに受け取りなさい」
「はい」
源左衛門は包みを手に取った。
「仕官の話がまとまるまで、月に一度支給するので、ここへ受け取りに来なさい」
「はい。ありがとうございます」
源左衛門は頭を下げて言った。
長屋に帰り、金を渡して大村と話した内容を伝えると、雪乃は俯いてそっと涙を流した。
「赤吹藩は私のことを認めていてくれる。私はここで侍として十分な働きをしてみせる」
源左衛門は力強く言った。
「はい」
震える声で雪乃が応えた。
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