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第三章

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 原口源左衛門が赤吹藩の目付け役、大村虎次郎の元を訪れたのは、城下の三河屋が襲われる一カ月ほど前であった。
 虎次郎は尾張からの紹介状を読み終えると、しばらくは赤吹城下に留まることと、足軽組頭の与助のところに行き、世話をしてもらうようにと源左衛門に告げた。

 与助は気さくな老爺であった。
「おらの爺様は関ヶ原の戦いで一番槍だった。あの戦に勝っていたら、爺様はきっと出世していただろうに」
 それから与助は自分の御先祖様の活躍を、まるでその場で見てきたかのように話した。
「爺様が名もなき足軽を次々と倒しているうちに、お偉いさんたちはその屍を乗り越えていって、大将の首を取って手柄をあげた。永野家を支えた本当の功労者はおらたちみてえな足軽よ」
 源左衛門は辛抱強く与助の話を聞いたのち、住居となる町はずれの長屋を紹介された。何かいい仕事があれば紹介してほしいと頼み、雪乃の待つ宿へと帰った。
 翌日、源左衛門と雪乃は紹介された長屋に行った。想像していたよりも質素でこぢんまりとした掘っ立て小屋のような建物で、二人はがっかりしたが仕方がなかった。荷物はほとんどなかった。二人はほぼ丸一日をかけて大掃除、というよりもあちこちを修繕して過ごし、夕方になってやっと落ち着けるようになった。
 雪乃は奥の部屋に置かれた粗末な物入れの奥に、布に包んだ簪をしまった。それは原口へと嫁ぐときに母から渡されたもので、他の嫁入り道具などは米形を発つ時に持ってくることはできなかったが、せめてその簪だけはと持ってきたもので、自分の近くに置いて大切にしてきた。父が母のために作らせたもので、とても立派なものであった。
 雪乃はいずれ自分に女の子ができたら、その子に授けたいと思っていた。そして夫のいない時にその包みを開いて簪を眺め、米形にいる父や母、兄たちのことを思い涙した。やがて簪を包み、しまう頃には源左衛門様を支えて自分も幸せにならなければという決意を新たにするのであった。
 簪を物入れにしまった雪乃は、夕食の支度をするために台所へ行った。源左衛門はまだ熱心に入口の戸の修繕を行っている。

「源左衛門さま、お食事の用意ができました」
 雪乃は修繕した戸の出来栄えを満足そうに眺めている源左衛門に声をかけた。
「はい」
 源左衛門は返事をし、手足を洗ってから奥の部屋に行った。膳には飯茶碗に一杯の飯が盛られ、汁の椀と沢庵の小さな皿があるのみである。米と沢庵は与助が与えてくれたものであった。
 源左衛門は汁を一口すすった。白湯のように薄い。それは雪乃の料理の腕のせいではなかった。
 源左衛門は雪乃の前に膳がないことに気が付いた。いつもは一緒に食事をとる。
「どうした雪乃。食事は?」
「今日は疲れて、あまり食欲がありません」
 雪乃の返答を聞き、源左衛門は雪乃のやつれた顔を見た。結婚したばかりの頃は美しく華やいだ雰囲気を放っていた雪乃も、今は長い貧困の疲れが顔に現れている。
「茶碗を持ってきなさい」
 源左衛門は言った。
「え?」
「お前も食べなさい」
「私はいりません」
「持ってきなさい」
 雪乃は立ち上がり、飯茶碗を持ってきた。
 源左衛門は自分の椀から飯を半分雪乃の持ってきた椀に盛り、沢庵の半分をその上に乗せて雪乃に渡した。
「食べなさい」
「はい」
 雪乃は茶碗を受け取った。
「お前をこんな辛い目にあわせているのは私だ。お前だけが耐えることはない」
「私は・・・・、雪乃は源左衛門さまが辛い思いをすれば、その倍、悲しくなります。源左衛門さまが辛くなければ、雪乃がどれほど辛いことになろうとも、全然辛いとは思いません」
「雪乃。それは私も同じだ。二人揃ってこそ、どんなに貧困の中にいようとも幸せでいられる。私だけを特別扱いしようなどと思わなくていい」
「はい」
 雪乃は俯いて涙が出るのをこらえた。


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