喰われる

原口源太郎

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 父が見つかったと警察から連絡があった。
 すぐに来られるようなら遺体を回収するのを待つというので、私は急いで支度をして家を出た。


 父は山菜が好物だった。毎年、山の木々が芽吹き出す頃に山菜を採りに行くのを愉しみにしていた。
 私も何度かつきあわされたことがある。「この谷沿いの日当たりのいい場所はタラの木が多い。そこまでが険しくて熊笹が生い茂っているから、あまり人が入ってこない。だから取り放題だ」とか、「この尾根の向こうの斜面にはコシアブラが多く自生しているんだ。知る人ぞ知る場所だから、早い者勝ちなんだけど、山菜採りのルールってものがあるから・・・」などと、山を知り尽くした父のウンチクを聞きながら、動物のように急な斜面をさっさと歩く父の後をついていくのが精一杯だった。山菜を採るどころか、探す余裕さえなかった。

 そんな山を知り尽くしているはずの父が、昨年の春先にいつもの山に山菜を取りに行ったまま帰ってこなかった。
 私はその日の夜に捜索願いを出した。
 父の車は麓にある旧道沿いの狭い駐車スペースにあった。いつも駐めている場所だった。
 その旧道は山の上に向かい、峠を越えてその先へと続いている。ただし何十年も前にトンネルと橋で直線的に造られた広い道ができてから使われなくなっていた。
 山に入る者たちが車を駐めるスペースより先にはバリケードが設置され、その先には進めないようになっている。
 父の捜索は翌朝から行われ、二日後には警察に地元消防団、ボランティアも加わって大規模に行われたが、結局見つかることはなかった。
 やがて捜索は落ち切られたが、私は一人で山を歩き父を捜し続けた。私にとって父は唯一の肉親だった。
 やがて草木が生い茂る季節になり、私も山に行くことをやめた。これだけ捜しても見つからないのだから、もしかしたら父はどこかで生きているのかもしれない。そんな小さな希望さえ生まれた。


 入山口には何台も車が駐まっていた。一般の車に警察の車両。
 私が車から降りると、制服を来た警察官がすぐにやってきた。一年前に何度か会っていたから顔は覚えていた。
「ご案内します」
 そう言った警察官の後について山に入った。
 細い斜面の道を歩きながら警察官は状況を説明してくれた。
 父を発見したのは、昨年の父と同じように山菜採りに山に入った女性たちのグループ。父の状態はすでに白骨化していて誰とかの判断はできない。当時の服装や近くで発見された持ち物から、私の父と判断した等々。
 やはり父はこの山に眠っていたのかと、少し残念な気持ちと、やっと見つかったという安堵の気持ちがあった。

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