微笑

原口源太郎

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第四章

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 灰色の街に、少しずつ光が灯り始め、短かった昼間が終わろうとしている。朝から空一面に垂れ込めている雲は少しも変わらずにいた。
 窓を覆った段ボールと新聞紙の隙間から、ひゅるひゅると秋の寒さが入り込んでくる。
 雅彦は安ウイスキーをグラスに注いで、ちびちびと舐めていた。最近は頭痛に加えて胃もきりきりと痛む。ろくに食べ物も取らずに強い酒を飲んでいるせいかもしれない。しかし、強い酒が胃袋の中でカッカと燃えるのは気持ちが良かった。
 街が夕暮れに沈んでいく頃、中村は帰っていった。中村と入れ替わるように、このアパートの大家が雅彦の部屋を訪れた。
「誠に申し訳ないのですが・・・・」
 気の弱そうな大家が切り出す。
 大家の言いたいことはわかっていた。雅彦の身の回りで起こった惨事は皆の知れることとなっている。他の住人にけしかけられて、この男は雅彦の元を訪れたのだろう。
 雅彦は二週間以内にここを出ていく約束をした。
 もっと頑丈で立派なところがいいと思った。そしてここから遠く離れた地。蓄えはそれなりにある。前の家と土地が売れれば、まとまった金も入る。
 昨夜しっかり飲んだのに、また次々とグラスのウイスキーを飲み干し、ボトルを一本空にしてしまった。ストレートで飲み、それ以外何も口にしていない。
 ぐるぐると目が回り、部屋はゆらゆらと波打った。雅彦は布団を出して潜り込んだ。
 体の中は熱いのに、足は冷たくて雅彦は布団の中で朦朧としていた。
 コン、コンとノックの音がした。
 雅彦は起き上がりたくなかった。どうせ近所の人が文句でも言いに来たのだろう。
 ノックの音は少しの間を置いて定期的に繰り返された。
 雅彦は起き上がり、ドアを開けようとした。
 そこでふっと全身に悪寒が走った。もしかしたらドアの向こうにいるのは中島かもしれない。今度こそ雅彦の息の根を止めるためにやって来たのか。
 しかし昨日バールでドアをこじ開けた人間が今日はわざわざノックをしてやってくるだろうか。
 コン、コンとまた弱々しくドアがノックされた。その音は普通の人間がノックするにしては低すぎる場所から聞こえてくる。雅彦はドアを開けた。
 美夏が立っていた。美夏は雅彦の顔を見上げると可愛らしく笑って見せた。
「どうしたの?」
 雅彦はしゃがみこんで美夏に尋ねた。
 美夏は笑顔で首を少し傾けた。
 雅彦はペンとメモ用紙を持ちに部屋の中に戻った。その間に美夏は靴を脱ぎ捨てて部屋に上がり込んだ。
 テーブルの前にちょこんと座る美夏の前にメモ用紙とペンを置いた。
「字は書ける?」
 美夏が頷く。
「こんな夜遅くにどうしたの?」
 もう一度訊ねた。
 美夏はペンを取ると、たどたどしく文字を書き始める。
『あそぼ』
「遊ぶ? 何をして? 園の人達は心配しているんじゃないの?」
 雅彦は優しく質問をした。
 美夏は雅彦の言葉に、不満そうに唇を尖らせた。
「送ってってあげるから帰りなさい」
 そう言った雅彦に、美夏はイヤイヤと首を振った。
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