微笑

原口源太郎

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第三章

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 雅彦も少しおかしくなりかけていた。いつもの雅彦なら、殺人現場を殺人を犯した者と立ち去る事などしなかっただろう。狂っているとはいえ、妙子が人を殺しているところを見てしまったのだ。冷静でいられるわけがなかった。
 雅彦は病院へと向かった。今の雅彦には、強迫観念に駆られるように妙子を病院へ連れていかなければならないという事しか頭にない。
「妙子、これから少しばかり辛いことがあるかもしれない。きっと病院で暮らすことになるだろう」
 雅彦は車のハンドルを握りしめ、前を見たまま落ち着いた声で話した。
「どうして? 人を殺したから? 私の子供を殺した人も病院で暮らしているの?」
 妙子はすっかりしょげ返っているが、話す言葉は無邪気だ。
「この頃、色々な出来事があってお前は疲れている。ゆっくり休みを取る必要がある」
「私は疲れてなんかないわよ。疲れたら家で寝るわ」
「心が疲れているんだ。専門の人に診てもらわなければならない」
「心が疲れている? なんだか難しいことを言っているのね」
 妙子は明るく笑った。
「とにかくお前は病院に行って先生に診てもらうんだ」
「あまり気が進まないなあ」
「じゃあ一つ訊くけど、人を殺すのは悪い事か?」
「悪くない」
「悪い事なんだ。そんなことは誰でも知っている。お前は忘れてしまった。だから思い出させてもらうんだ」
「私は忘れてなんかない。人を殺すことは悪い事じゃないって知っている」
「悪い事なんだ。人としてやってはいけないことなんだ」
「じゃ、何で翔太と有希は殺されたの? 殺した人も悪い事だと知らなかったの?」
 そう言われて雅彦は言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。
 その時、雅彦は慌ててブレーキを踏んだ。会話に夢中になりすぎていた。信号は赤だった。車はタイヤを軋ませて、前の車に当たる寸前で止まった。
 雅彦はほっと胸を撫で下ろす暇もなかった。
「私、やっぱり行かない」
 そう言うと、妙子は車から飛び出した。
「妙子!」
 雅彦の発した言葉など、妙子の耳には入らない。
 車の列の中を、妙子は血だらけの服を着たまま、舞うように走っていく。
 雅彦は車を降りて妙子の後を追った。
「妙子、戻れ! 妙子!」
 雅彦は叫んだ。妙子を捕まえようと全力で走る。
 妙子は最前列に停まる車の脇を走り抜けた。小学生のように無邪気に笑いながら走っていく。
 タイヤの軋む音が雅彦を打ち付けた。
 乗用車が急ブレーキをかけた時、跳ね飛ばされた妙子の体は宙を舞っていた。おもちゃの人形のように、ひらひらと舞った。
「おー!」
 雅彦は絶叫した。
 妙子は、妙子を跳ね飛ばした車の後ろを走ってきた大型トラックのフロントガラスに落ちた。フロントガラスは一瞬にして蜘蛛の巣のように粉々になって血に染まった。
 哀れな妙子に運転席に飛び込まれたトラックは急激に向きを変え、前に停まった乗用車をかすめて、歩道で信号待ちをしていた人たちの中に突っ込んでいった。
 気も狂わんばかりの悲鳴が交差点の中に木霊した。

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