微笑

原口源太郎

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第一章

15

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 雅彦は一瞬びくっとして身を固くしたが、すぐに何も気が付かなかったように家のほうに戻った。
 玄関のドアを開け、中に入らずにドアを閉めた。身を屈めて道に面した植木の陰まで音を立てないようにして戻る。
 そこにうずくまり、さっき人が動いた辺りをじっと見つめた。
 じりじりと時間が過ぎる。
 そして動いた。人らしき影が五十メートルほど先の建物の陰にチラチラしている。雅彦は身動きできずにその場にじっとしていた。どうしていいかわからなかった。あの男が来たらどうしよう。男は凶暴で力の強い狂人かもしれない。どんな凶器を持っているのかもわからない。
 辛抱強く待った。
 男がもしここに来れば、大声を上げて近所に知らせるか、家の中に逃げ込んで警察に連絡するしかない。
 夜はこつこつと時を刻んでいく。人影はその場を離れない。相手も雅彦を見ているのだろうか。いや、月の光だけの薄明りの下では、植え込みの陰の雅彦の姿は見えないだろう。
 雅彦は待った。相手が何か行動に出るのを。
 空気が寒々としてきた。夜は明け方に向かっている。雅彦を激しい眠気が襲い始めた。頭がボーっとしてきて、もう何が起ころうともどうでもよくなってきた。朝の早い人たちはそろそろ起きだしてくるころだ。男は来ないに違いない。
 雅彦は睡魔に負け、家によろよろと戻り、ベッドに潜り込んだ。

 朝だった。部屋の中には闇の欠片も残っていない。雅彦はがばっと起き上がると、階段を駆け下りた。妙子が食事の支度をし、子供たちが起きだしてきたところだった。
「おはよう」
 妙子はまず子供たちに声をかけた。
「お父さんも起きてきたわよ。おとうさんにおはようは?」
 妙子にうながされて、有希と翔太はごにょごにょと口の中で朝の挨拶を言った。
 妙子の様子から、今のところなんの異常もないと思った。雅彦は念のため、家の周りを歩いてみた。いつもと変わったところは無かった。
 会社に行くために家を出た雅彦は、昨夜人影のあった所に行ってみた。たばこの吸い殻が数本落ちている。妙子には昨夜のことは話していない。余計な不安を与えたくなかった。

 その日の夜も、雅彦は十分に用心した。家の外をぐるっと一周してから、昨夜、人影のあった場所を見てみたが、誰もいないようだった。
 昨夜は悪夢を見なかったが、睡眠時間は短かった。それと少しの安心感のためか、夜も深まり始めたころ、雅彦はベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。
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