微笑

原口源太郎

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第一章

12

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 苦労して費やした一時間は無駄になってしまった。雅彦はもう一度、妙子に一時間付き合う気力は無かった。自分のほうが爆発してしまいそうだ。
 雅彦はさっさと犬の足を拾い上げ、半ば放心状態の妙子に声をかけた。
「気にするな。行ってくる」
 雅彦はバッグを取り上げ、家を出た。
 庭に転がっている二本の足の近くにバッグに入っていた足を放り投げてから、車に乗り込んだ。
 雅彦も、この異常事態がこれで終わるとは思えなかった。嫌がらせで車を壊したりすることならあるかもしれないが、あの犬の殺し方は普通ではない。嫌がらせの範囲を超えている。
 夜中に四本の足を切り取られた状態で苦痛に転げ回っているチーポ。チーポを殺した人間は、チーポが苦しむ様を見ていたのだろうか。月明かりに照らされたのっぺらぼうの男が、檻の中をじっと見つめている姿を想像して、雅彦は怒りと恐怖に身を震わせた。

 犬の足がカバンの中に詰め込まれていたことが、どうにも不思議だった。チーポを殺した犯人はなぜそんなことをしたのだろう。なぜそんなことができたのだろう。家には全てのドアと窓に鍵がかかっていた。チーポを殺したのは真夜中に違いない。犯人は家の合鍵を持っているのだろうか?
 社長と一緒に行動しながら四六時中ボーとしている雅彦に、社長は休みを取ったらどうかと言った。雅彦は社長には全てを話していたから、仕事が手につかないことも社長にはよくわかっていた。雅彦はそんなつもりは毛頭なかった。仕事中は家で起こった出来事を忘れようとした。しかし、ここ数週間で起こった出来事はあまりにも強烈で、簡単に頭から離れてくれなかった。わからないことが多すぎた。
 チーポを殺したことも、車を壊したことも、十分な時間と道具が必要で、複数の人間が行った可能性もある。なぜ雅彦の家がそんな目に合わなければならないのだろう? まだまだ分からないことは沢山ある。隣の家の放火は誰がしたのだろうか? 目的は何だったのか? 雅彦の家の事件と関連はあるのだろうか? カギの掛かった家に自由に出入りできる人間がいるのか? 子供たちの受けたショックはどれほどのものなのだろう? 妙子は? これからまだ何かが起こるのだろうか? あののっぺらぼうの男は誰なのか? そして雅彦の頭からどうしても離れられないもの。塀の上から家の庭をじっと見つめていた少女。少女は何を見ていたのだろう? あそこからならチーポの死体が見える。チーポの死体を見ていたのか? 少女はどこの誰なのだろうか?
 雅彦の頭の中はそんな疑問符ばかりで、仕事のことなど少しも頭に入ってこなかった。

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