微笑

原口源太郎

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第一章

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 雅彦は心身ともにボロボロだった。妙子が田舎の海沿いの町への旅行を提案した時、雅彦はすぐに同意した。仕事のことを忘れ、温泉にでも浸かってのんびりと体を休めれば、仕事に対する気力を奮い立たせることができるかもしれないと思った。
 妻と二人の子供を連れて雅彦は出かけた。旅行は雅彦が思っていたようにのんびりとしたものでなく、あちこちを見て回る観光が主な目的だったが、それがかえって良かった。子供たちに手を焼くことが、逆に精神的に気休めになった。
 二日間の旅行の後、妙子は二人の子供を連れて家に帰った。雅彦は海沿いの町に残った。三、四日、一人でのんびりすることになっていた。それも妙子のアイディアだった。
 雅彦はできるかぎりのんびり、のんびりと時を過ごすつもりだった。

 妻たちと別れてからの記憶が、雅彦にはない。病院のベッドで目を覚ますまでの五日間ほどの記憶が欠落していた。
 雅彦は妙子たちと別れた三日後に瀕死の状態で海岸に打ち上げられているのを発見された。雅彦が発見される数時間前に、海から急激にそそり立つ断崖の上で雅彦の靴が発見されていた。

 雅彦はずっと考えていた。
 小鳥たちがさえずりあっている。窓のカーテンの隙間から見える外は鼠色で、部屋の中も夜の色が薄れかけている。雅彦に睡魔は戻ってこない。
 三年前になぜ自殺しようとしたのか未だにわからない。仕事に行き詰まり、心身ともにくたくただったとしても、死のうなどと考えたことは無かった。それにあの時は体力的にも精神的にもかなり回復していた。
 だから海に飛び込むまでの二日間に何かがあったことになる。
 その時の記憶を探ろうと頭の中を引っ掻き回すと、激しい頭痛に襲われた。それからというもの、できるだけ自殺の時のことを考えないようにして忘れよと努力してきた。ただ、夢は当時よく見た。海へ落ちていく夢だった。自分が傍観者となって高い崖の上から自分が落ちていくのを見ている夢や、当事者となって海へ落ちていく夢で、場面や状況はいつも違っていた。夢の中でも自殺の時の記憶は無かった。同じ場面の同じように海へ落ちていく夢を何度も見るのなら、それは真実なのかもしれないが、そうではなかった。多分、自分が高い岬の上から海へ飛び降りたという話を聞いてそんな夢を見るようになったのだろう。交通事故にあったと聞いていれば、車に撥ねられる夢ばかりを見たかもしれない。
 雅彦は半年間入院していた。退院すると、海へ落ちていく夢は見なくなった。
 入院中に雅彦の勤めていた企画会社が倒産したという知らせを受けた。
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