微笑

原口源太郎

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第一章

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 居間のソファに二人の男が座っていた。中年の厳めしい顔をして頭のてっぺんが禿げた小太りの男と、三十歳くらいの二枚目でがっちりした体格の若い男だった。テーブルの上のコーヒーカップは空で、二人は妙子とすでに話をしたようだった。
「お待たせしました」
 雅彦の言葉に、二人の刑事が立ち上がった。
「お休みのところを、申し訳ありません」
 年配の男が、申し訳なさそうでもない様子で言った。
「おい、コーヒーを」
 雅彦は戸口に立つ妙子に言った。
「いや、もうお構いなく」
 今度ははっきりした態度で男が言った。
 雅彦がソファに腰かけると、二人の男も腰を下ろした。
「私は警察の中村。こちらは藤森と申します。今日お伺いしたのは、もうお分かりかと思いますが、お隣の火事の事でして」
 話をするのは年配の中村と名乗った男で、藤森という男は腕を組んで中村の話を聞いている。
「まだ正式の捜査とかいったものじゃないのですが、今日は休日ということで、近所の方々は在宅していて話が聞きやすいかと思いまして」
「ええ」
「それで、まあ、はっきり申し上げましょう。いずれわかることですから。今回の火事で二人の方がお亡くなりになりました。奥さんと娘さんです。奥さんは逃げ遅れたのでしょう。焼け跡の中から発見されました。娘さんは二階から落ちた時に打ち所が悪くて」
 雅彦はその言葉を聞いて、やっぱりそうかと思った。あのドサッという音は、まともに物が地面に叩きつけられる嫌な音だった。
「このことは外の人には黙っていてください」
「ええ」
 虚ろに雅彦は返事をした。妙子にはそのことを話していないらしい。
「二人の人間が死んでいるので、我々も詳しく調査をしなければなりません」
「はい」
「出火原因もまだはっきりとはしませんが、どうも火の気のないところから火が出たようなのです」
「というと、放火ですか」
 中村は、その言葉を雅彦に言わせようとしているようだった。
「その疑いが強いのです。それで、あなたは昨夜、遅くに帰宅されたようですが」
 話す中村はずっと淡々とした口調で、こういった話に慣れているようだ。
「ええ。昨夜というか、今日の二時頃でしたが」
「その時、お隣の家で炎か何か見ませんでしたか?」
 雅彦はその時のことを思い出してみた。
 寒気を帯びたゆっくりとした風。静まり返った夜。ポツンとした玄関の明かり。
「酔っぱらっていたし、目に入らなかったといいますか、記憶にありません」
「では、不審な人物などは見かけませんでしたか?」
 その時、雅彦の脳裏に、あの男が浮かんだ。今まで男のことを思い出さなかったのが不思議なくらいだ。男はシャツの襟を立て、帽子を被っていたように思う。薄れかけた記憶に、男のつやつやとした、のっぺらぼうのような顔の印象だけが強く残り、男の顔を思い出そうとすると、目も鼻も口もない真っ白い顔になってしまう。
「何か心当たりでも?」
 雅彦の言いよどんだ様子を見て、中村がもう一度訊ねた。
 雅彦は迷った。のっぺらぼうなどと馬鹿なことは言えない。しかし事実は事実として告げておくべきだろう。
「家の少し手前で男とすれ違いました」
「どんな男でしたか?」
「はっきりとは覚えていませんが、黒っぽいシャツを着ていて、野球帽を被っていたと思います」
「顔は見ましたか?」
「その他には覚えていません。割とがっちりした体格だったような気がしますが、何分酔っていましたし、暗かったので」
「男はどちらのほうへ歩いていきましたか?」
「駅のほうです」
「あなたの家、というか、火事のあった家の方から歩いてきたのですね」
「男に気が付いたのはすぐ目の前に来てからですが、その時はその方向からでした」
「わかりました。もう一度確認しますが、男とすれ違ったあと、あなたが家に近付く時や家に入る時、火を見たり、不審な物音を聞いたりといったことは無かったのですね?」
 雅彦はまたその時のことを思い出してみた。家の明かりの記憶しかなく、周りは皆、闇だった。というよりは、周りの他のもの一切、目に入らなかった。
「気が付きませんでした」
「他に何か不審なことや気が付いたことはありませんでしたか?」
「ありません」 
 雅彦の言葉を聞いて、中村は藤森を見た。藤森はメモを取っていた手帳をぱたんと畳むとポケットに入れる。それを合図にしたように二人は立ち上がった。
「ご協力ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」
 そう言って何度も頭を下げながら二人の男たちは部屋を出ていった。
 刑事を見送る妙子がちらりと不安そうな目を雅彦に投げかけた。
 雅彦はその時になってやっと自分が放火をしたのではないかと疑われていると気が付き、愕然とした。
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