お財布を忘れた!

原口源太郎

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 その人は店で『サキちゃん』と呼ばれている。名前がサキなのか、ミサキなどの名前を略したのか、先崎みたいな名字を略したものかわからない。とにかく僕はその『サキちゃん』に恋をした。
 何で僕がサキちゃんに夢中になってしまったのか。自分でも全然わからない。
 サキちゃんはよく言われるツンデレ系の近寄りがたい美女。僕の最も苦手とするタイプだ。
 僕の好みといえば、どちらかというと丸顔で大きな目をしていていつもにこにこしている人だ。性格も穏やかで優しくて。今まで数少ない恋愛経験の中での対象はいつもそんな感じの女の子だった。憧れのアイドルや女優だってそうだ。
 でも、そんな僕の理想のタイプとは真逆のサキちゃんにいつの間にか夢中になっていた。なんでサキちゃんのことを好きになったのだろう。考えるたびに不思議に思った。

 初めて喫茶店を訪れた時、注文を取りに来たのがサキちゃんだった。僕は注文しようと思ったコーヒーのことを忘れて思わずサキちゃんの顔に見とれてしまった。それほどサキちゃんは僕が今まで見た女性の中で一番綺麗だった。
「お客さん?」
 サキちゃんは怒ったような目で僕を見た。
「あ、すみません、ホットコーヒーを」
「はい」
 投げやりな返事をしてぷいっと行ってしまった。
 客商売なのにそんな態度はないよなと僕はサキちゃんを怒らせてしまったことを棚に上げて、厨房に注文を伝える後ろ姿を睨みつけた。
 だから初めての出会いは最悪だった。もう二度こんな店に来るものかと思った。
 だけど五日ほど経つと不思議とサキちゃんの顔を見たくなった。あの態度の悪い女。だけどとても綺麗な人。もう一度だけ顔を見たい。
 そしてもう二度と行かないと心に決めたはずの店に足を向けた。一度きりのつもりが二度、三度となり僕は常連となった。嫌な女だったはずのサキちゃんは憧れの人となっていた。

 僕は二十一年の人生の中でほんの数カ月だけ女性と付き合ったことがある。高校生の頃、同じクラスの女の子から告白されて付き合うようになった。だけどただでさえ口数が少なくて自分から話をするのが苦手なのに、女の子と話をするとなるとさらに緊張が加わって全く会話ができなくなる。付き合った女の子とは何度か二人きりで会ったけれど、自然消滅のような感じでいつの間にか付き合いは終わってしまった。
 そんなこともあり、ますます僕は女の子と話をすることが苦手となった。それきり女の子と付き合うことはおろか、ろくに話もできないという日々を過ごしている。
 だけど僕はサキちゃんのことが大好きだし、このまま自分の想いを伝えることができなければ一生後悔するだろうと思った。それどころか女性と付き合うことも、まともな話をすることさえできずに人生を終えてしまうかもしれない。
 僕はサキちゃんへの想いを伝えることにした。
 でも僕にとってそれはとてつもなく勇気のいることだ。
 店で他のお客のように気軽に声をかけることができればどれほどいいだろう。
 付き合っている人はいますか?
 よかったら僕と連絡先を交換してもらえませんか?
 駄目だ。
 そんなこと尋ねるなんてできない。唐突にそんなことを尋ねたら、また怒りの目で見られてしまう。他の人たちの目もあるし。
 ならば店の外で声をかけられないか?
 店は早番、遅番の交代制でその交代時間は大抵二時だ。サキちゃんが早番の時は仕事を終えて私服に着替えた後、僕のアパートのある方へ歩いていくのを何度か見た。それと僕のアパートの近くの道を歩く姿も何度か見かけたことがある。後を付けてサキちゃんの家を確かめたいなんて衝動にかられたこともあるけれど、そんなストーカーみたいなことはできない。
 とにかくサキちゃんは店を出てから僕のアパートの近くを通って家に帰るか、何か用事があってそちらに行く。
 偶然を装って通りでサキちゃんに声をかけることができないだろうか?
 店でもろくに話しかけられないのに、街中で話なんかできるわけがない。
 二人きりで、周りに人がいない場所で自然に話ができる方法はないだろうか。
 そして僕は一つの方法をひねり出した。
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