孤独になった男

原口源太郎

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 手紙を読み終えると、私は全身の力が抜けた。手紙は間違いなく弘志からのものだった。
 南米での暮らしは厳しく、日本に帰らなければならない。母の死は知っている。親父は一人になってしまったから、許してもらえるのなら日本に帰って一緒に暮らしたい。
 およそそんな内容だった。
 目に入るもの全てがぐるぐると回りだし、私は私でなくなった。私の意識が私から抜け出し、真っ白くて何もない中をふわふわと浮いた。
 弘志の帰国予定日は今日だった。

 ひどい仕打ちだった。全ては息子を許してやろうという気持ちを押し隠してきた私のせいだ。弘志が帰ってくるはずの日に、弘志の手紙だけが私の元に届くとは、何とも皮肉で、私の愚かさを象徴しているようだった。
 もう全てが終わった。今までの私の存在が今、消えた。この部屋も、建物も私にとって何の意味も持たぬものになった。これからの私は、ここには存在しない。私にとって必要なものは、ここに何一つない。
 私がこれからしなければならない仕事はただひとつ。全てを投げ出す手続きをすることだ。私のものだったこの会社も、今では私が会社の所有物となり、私が会社を捨てるのではなく、会社から私が逃げ出すのだ。何日かかるのかわからないが、少しでも早く手続きを済ませて、一人静かに暮らしたい。妻と息子の魂に囲まれて、宙ぶらりんとなった私の心を少しずつ癒しながら暮らしたい。静かに、静かに・・・・

 突然の来客が告げられたのは、私が無理矢理心を落ち着けてまず何から手を付けたらいいかと考えている時だった。
 私はここ数日、ほとんどの面会を断ってきた。今はなおさら人と会って話しなどできる気分ではなかった。
 私は面会を断ろうとした。しかし客は弘志のことで来たという。これ以上、弘志のことに触れたくはなかったが、それはいけないことだとわかっていた。愚かな私に課せられた罪の試練に立ち向かっていかなければならない。それが弘志に対するわずかな罪滅ぼしだ。
 ドアがノックされ、私は自分を奮い立たせた。
 開かれたドアの向こうに女が立っていた。
 小さく頭を下げて部屋に入ってきた女は小さな子供を抱いていた。女の後ろで小さな男の子が恐々と室内を覗きこんでいる。
「初めまして。私は平沢由紀と申します」
 女が名乗った。
「主人の弘志は南米で五日前に亡くなりました」
 そんなことはどうでもよかった。
「私たちは籍を入れていませんし、こんなことを言える身ではありませんが、日本に帰ってきたばかりで身寄りもなく、他に頼れる人がいません」
 女は俯いて小さな声で話すが、言葉はしっかりしていた。
「心配はいらん。生活の保障はしてやる」
 私の声は震えていたが、そんなこともどうでもよかった。
「お前たちには本当に悪いことをしたと思っている。済まなかった」
 私は心から謝ったが、それもどうでもいいことだった。
 女は俯いたまま涙を流した。
 私は何十年ぶりかに流れ出ようとする涙を必死にこらえながら、今、私の頭の中を支配している言葉を口にした。
「さ、もっと近くに来て、孫たちの顔を見せてくれ」


                           終わり
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