3 / 4
3
しおりを挟む
翔太を失ってから二年という月日は長いか短いかわからない。私には翔太の死の痛みがあり、弘志に対する怒りの気持ちより、許してやりたい、一緒に暮らしたいという気持ちの方が徐々に大きくなっていった。妻はもっと切実だったのだろう。その時の私よりもはるかに重くて激しい痛みをわかってやれれば、弘志を呼び戻していた。
弘志はいつか、きっと帰ってくる。私はずっとそう信じていたのかもしれない。妻が死んでからはそれが心の支えになっていた。翔太の死は弘志に伝えたが、何の連絡もなかった。妻の死は知らせなかった。妻の死を知らせることは、私が弘志に帰ってきてほしいと告げているようでできなかった。私のバカでちっぽけなプライドが弘志を呼び戻すことを拒んでいた。弘志に対する怒りはとっくに消え失せていたというのに。
母の死を知ってか知らずしてか、弘志はその数カ月後に私の生まれ故郷の南米へと移り住んだ。弘志が日本にいる時から苦労していることはおよそ見当が付いていた。私は探偵社に弘志の南米での足取りも追わせた。もちろん、密かに追わせるだけで、それ以上のことは何もしてやらなかった。
私たちの人生の歯車はどこで狂ってしまったのだろう。ほんの五、六年前まで私たちには幸福しかないように思えた。弘志が家を飛び出したあとも、その数カ月後には幸福を取り戻していた。翔太が死んだ後も、その数カ月後には・・・・
いや、違う。弘志が家を出た後に取り戻したと思った幸福は、そのうちの何割かが偽物で繕われていた。翔太が死んだ後の幸福は(それは私だけが幸福だと思いこもうとしていたものかもしれない)そのほとんどが偽物だった。
翔太はプライドが高く勝気な所があったが、思いやりのある優しい子だった。弘志は翔太の性格に正直さとのんびりとしたところを加えたような子だった。二人とも負けず嫌いな所はそっくりで、勉強もスポーツもしっかりやった。私の仕事と会社にとても興味を持ち、二人と仕事のことについてよく話をした。
二人とも私の会社の未来の経営者としての素質を十分に持っていた。時が過ぎ、二人の息子たちが会社の経営を担い、幸せな家庭を持ち、その中の一員として私がいる。そんな未来を思い描いたこともあった。
四日前から私は仕事が手に付かなくなっていた。
弘志の死を伝えたのは探偵社だった。
仕事はどうしても必要なこと以外キャンセルしたままだ。翔太の死も、妻の死も私をそれほどまでに苦しめることはなかった。長年ずっと私は仕事ばかりで生きてきた。その習慣は翔太の死や妻の死でも変えられなかったのに。
四日前の朝の連絡に続き、その日の午後に届いた報告書には、弘志がテロ事件に巻き込まれて死亡したという短い文面があるだけだった。その後、国の機関からも弘志の死が伝えられた。ただ、テロ事件に関係したことで、弘志には無関係なこととはいえ、現地は混乱していて詳しい情報ははっきりとはわからないようだった。
私は会社を去る決意を固めた。親父とお袋と妻と息子たちのために築き上げてきたこの会社も、私には必要がなくなった。あとは一人で静かに暮らすのがいい。私の気持ちを読み取って何とか私を立ち直らせようとする者、ほとんど諦めている者、多々いたが、終焉しかない私が今まで通りに仕事をこなせるはずがなかった。
会社のベルが小さくなって、十二時を告げた。朝から椅子に腰掛けたままぼんやりと考え事をしていただけだった。
私は机の上に重ねられた郵便物を手に取った。妻を亡くしてから家に帰ったり帰らなかったりの生活をしていたから、郵便物の束は会社宛の物と自宅宛のものがあった。それらのどれもが私の興味の対象にはならなかった。だが、束ねられた封筒の中に奇妙な封筒があるのに気が付いた。
私はその封筒を抜き出した。それは海外から送られてきたものだった。宛名は見慣れた外国の文字が並んでいる。手が震えてくるのがわかった。
それが弘志からのものだとすぐに察しがついた。
恐る恐る封を開けると、中には日本語で書かれた短い手紙が入っていた。
弘志はいつか、きっと帰ってくる。私はずっとそう信じていたのかもしれない。妻が死んでからはそれが心の支えになっていた。翔太の死は弘志に伝えたが、何の連絡もなかった。妻の死は知らせなかった。妻の死を知らせることは、私が弘志に帰ってきてほしいと告げているようでできなかった。私のバカでちっぽけなプライドが弘志を呼び戻すことを拒んでいた。弘志に対する怒りはとっくに消え失せていたというのに。
母の死を知ってか知らずしてか、弘志はその数カ月後に私の生まれ故郷の南米へと移り住んだ。弘志が日本にいる時から苦労していることはおよそ見当が付いていた。私は探偵社に弘志の南米での足取りも追わせた。もちろん、密かに追わせるだけで、それ以上のことは何もしてやらなかった。
私たちの人生の歯車はどこで狂ってしまったのだろう。ほんの五、六年前まで私たちには幸福しかないように思えた。弘志が家を飛び出したあとも、その数カ月後には幸福を取り戻していた。翔太が死んだ後も、その数カ月後には・・・・
いや、違う。弘志が家を出た後に取り戻したと思った幸福は、そのうちの何割かが偽物で繕われていた。翔太が死んだ後の幸福は(それは私だけが幸福だと思いこもうとしていたものかもしれない)そのほとんどが偽物だった。
翔太はプライドが高く勝気な所があったが、思いやりのある優しい子だった。弘志は翔太の性格に正直さとのんびりとしたところを加えたような子だった。二人とも負けず嫌いな所はそっくりで、勉強もスポーツもしっかりやった。私の仕事と会社にとても興味を持ち、二人と仕事のことについてよく話をした。
二人とも私の会社の未来の経営者としての素質を十分に持っていた。時が過ぎ、二人の息子たちが会社の経営を担い、幸せな家庭を持ち、その中の一員として私がいる。そんな未来を思い描いたこともあった。
四日前から私は仕事が手に付かなくなっていた。
弘志の死を伝えたのは探偵社だった。
仕事はどうしても必要なこと以外キャンセルしたままだ。翔太の死も、妻の死も私をそれほどまでに苦しめることはなかった。長年ずっと私は仕事ばかりで生きてきた。その習慣は翔太の死や妻の死でも変えられなかったのに。
四日前の朝の連絡に続き、その日の午後に届いた報告書には、弘志がテロ事件に巻き込まれて死亡したという短い文面があるだけだった。その後、国の機関からも弘志の死が伝えられた。ただ、テロ事件に関係したことで、弘志には無関係なこととはいえ、現地は混乱していて詳しい情報ははっきりとはわからないようだった。
私は会社を去る決意を固めた。親父とお袋と妻と息子たちのために築き上げてきたこの会社も、私には必要がなくなった。あとは一人で静かに暮らすのがいい。私の気持ちを読み取って何とか私を立ち直らせようとする者、ほとんど諦めている者、多々いたが、終焉しかない私が今まで通りに仕事をこなせるはずがなかった。
会社のベルが小さくなって、十二時を告げた。朝から椅子に腰掛けたままぼんやりと考え事をしていただけだった。
私は机の上に重ねられた郵便物を手に取った。妻を亡くしてから家に帰ったり帰らなかったりの生活をしていたから、郵便物の束は会社宛の物と自宅宛のものがあった。それらのどれもが私の興味の対象にはならなかった。だが、束ねられた封筒の中に奇妙な封筒があるのに気が付いた。
私はその封筒を抜き出した。それは海外から送られてきたものだった。宛名は見慣れた外国の文字が並んでいる。手が震えてくるのがわかった。
それが弘志からのものだとすぐに察しがついた。
恐る恐る封を開けると、中には日本語で書かれた短い手紙が入っていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
あなたと私のウソ
コハラ
ライト文芸
予備校に通う高3の佐々木理桜(18)は担任の秋川(30)のお説教が嫌で、余命半年だとウソをつく。秋川は実は俺も余命半年だと打ち明ける。しかし、それは秋川のついたウソだと知り、理桜は秋川を困らせる為に余命半年のふりをする事になり……。
――――――
表紙イラストはミカスケ様のフリーイラストをお借りしました。
http://misoko.net/
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


スマホゲーム王
ルンルン太郎
ライト文芸
主人公葉山裕二はスマホゲームで1番になる為には販売員の給料では足りず、課金したくてウェブ小説を書き始めた。彼は果たして目的の課金生活をエンジョイできるのだろうか。無謀な夢は叶うのだろうか。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる