ガレオン船と茶色い奴隷

芝原岳彦

文字の大きさ
上 下
71 / 106
第三章 流転する運命

第68話 副業

しおりを挟む
「ペテロ」

 ヨハネは声を掛けた。

「えっ」

 ペテロは驚いてヨハネのほうを見た。

 しばらくの時間、重い沈黙が2人の間にわだかまった。ほんの一瞬、市場の喧噪けんそうも屋台の臭いもヨハネの五感から遠のいた。



「ペテロは何をしてるんだ?」

「出店を出していたんだ。鶏を売ってたんだよ。奉公人は無給だからな。年季ねんきが明ければ無一文で放り出される。今の内から金を稼いでおかないと。市には買い物客がたくさん来る。それをあてにした軽食の屋台もたくさん出る。そいつらに鶏を売ってるんだ。結構いい儲けになるぜ。市場の雰囲気も分かるしな」



 ペテロはヨハネと目を合わせずに早口でしゃべった。



「あの、あの娘は誰か知っているか。商会で見たような気がするんだけども」

 ペテロはメグを指さして尋ねた。



 ヨハネの胸は何故かざわついた。しかし少し間をおいてゆっくりと丁寧に答えた。

「あれは女奉公人頭のメグだよ。新しくできた工房で、機織りの仕事をしている娘たちがいるだろ。そこのかしらだよ」

「あんなに若くてかしらなのか」

「腕のいい機織りらしい」

「お前、親しいのか?」

「工房の内装と機織り機の運搬を手伝ったよ」

「……そうか」



 また、2人の間に沈黙が訪れた。ペテロは視線を泳がせて、胸の前で腕組みをした。

「ヨハネ。お前、副業をしているか」

「いや。何もしてないよ」

「お前、先々の事、考えろよ。年季が明けた後、どうするんだよ。まさかエリアールに帰るつもりじゃないだろうな」

「さあ……」

「俺は考えてるぜ。実際、今日もいくらか稼いだしな。商会の地味な仕事に精を出したって上には行けない」

「そうかもな」

「何にも考えてないんだな」

 ペテロは口の両端を少し上げて笑った。



「ペテロ。少し話したいんだ」

 ヨハネは自分の黒髪を両手で強く掴みながら言った。

「ははっ、この間の事か。気にすんなよ。お互い酒を飲んでたしな。大した事じゃない。俺たちは同じ村の出身だ。それは本当だからな。じゃあ、俺は行くぜ。今日稼いだ金は市参事会しさんじかいに預けるんだ。知ってたか。そういう事もできるんだ」

 そう告げるとペテロは大股で歩き去った。



 その後、ヨハネは安心と不快感が混ざり合った複雑な感情が胸の中に湧き上がった。なぜだか、胸がざわついて、不愉快な嘔吐衝動おうとしょうどうが彼の胴体を下から上へ往復した。彼はしばらく両膝の上に両手を置いて休んでいたが、気分が楽になると、深いため息をついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

上意討ち人十兵衛

工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、 道場四天王の一人に数えられ、 ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。 だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。 白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。 その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。 城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。 そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。 相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。 だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、 上意討ちには見届け人がついていた。 十兵衛は目付に呼び出され、 二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。

処理中です...