ガレオン船と茶色い奴隷

芝原岳彦

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第一章 奴隷たちの島々

第5話 強欲の豚

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 奴隷市場の支配人が上得意じょうとくい専用に用意している広い貴賓室きひんしつには、巨大な絵画が飾られていた。それは、腹を裂かれ内臓を抜かれた大豚が、梯子に逆さ吊に括りつけられ、大きな木に立て掛けられている絵だった。



 4人の男女はその部屋に集まり、革張りの椅子に深々と座りながら、アギラ商会の屈強の護衛5人によって33個の木の箱が運び込まれるのをうんざりした顔で眺めていた。1つの箱に1千万ジェン分の紙幣が入っていた。これから4人がかりでこれをすべて数えなければならない。しかも10万ジェン紙幣は子供の背中ほどの大きさがある上に分厚くて重かった。ジェンの現在流通している紙幣は10万ジェン札だけだから、3千300枚の紙幣を数えなければならない。



 この国の商慣習では、現金で決済をする際、売買双方から同じ人数の証人を出し全員が紙幣の数をお互いの目の前で数え、枚数に間違いがないかを確認し、契約書に全員の署名を書いて契約が成立となる。
 買い手側からは、隻腕のトマスとその部下の勘定係、市場側からは先ほどの女競売人おんなけいばいにんと計理官が証人となる。次々と積み上げられていく木箱を眺めながら、みな一様にげんなりとした様子でため息をついた。



「まことに、この国の紙幣の価値が落ちること、石が坂道を転げ落ちるが如しでございますわね。私がこの市場で働きだした頃には10万ジェン札と申しましたら、それはもう紙で出来た黄金のような扱いで、手で触る時などはきれいな真水でしっかりと手を洗ったものでございますよ」

 女競売人おんなけいばいにんはスカートで手を拭きながら言うと、トマスの左袖を一瞥した。



「ところが今となっては10万ジェン札を触ってからしっかり手を洗うような次第でございまして、まことに時の移ろうこと、駿馬の駆けるごとしでございますよ」

 彼女は自分で言って自分で笑った。そしてまた、トマスの左袖を一瞥した。



 トマスはその視線にうんざりしながら仕返しをするように言った。

「それはいったい何年前の話なんだね?」



 彼女も言い返した。

「ほほ、10年も前のことでございましょうか。イヤでございますよ。女をうまく扱おうと思ったら、年の話なんかさせるものじゃございません。上は女王陛下から下はワクワクの女奴隷までみな同じでございます。そのような意地悪を仰るようでは女奴隷の扱いも苦手でいらっしゃるのではございませんか」



 トマスは弾けるようにに笑った。

「はは! 言うねえ。気に入ったよ。あれだけの競売を仕切ってるんだ。大したものだよ。この仕事は長いのかい?」



 彼女は少し胸を張って言った。

「18の年にここで働き始めて下働きを5年、競売の仕切りを始めて7年目でございますわ」

「ほう。もう名手じゃないか。でもあの調子でしゃべり通しじゃ喉も枯れるだろう。今度いい喉の薬を届けさせよう。その良い声をこれからも聞かせておくれ」

「まあ、だから私は言ったでしょ。こちらの仲買人さんは一流の紳士だって。紳士かどうかってのは女の扱いでわかるんだよ。あたしはこの人を一目見た時からパッとそれがわかったんだから」

 彼女は両の手で両の頬を擦りながら言った。



「それよりも、ここの支配人はどうしたのかね。紙幣の勘定ほど大事な仕事はなかろうに、支配人が出てこないなんておかしな話じゃないか」

 トマスが尋ねると、今まで静かに座っていた市場の計理官が口を開いた。



「ジェン紙幣を数えると聞いたとたん逃げ出してしまいたしたよ。もうご高齢でいらっしゃいますのでね。今ではここの実務は私とこの女競売人おんなけいばいにんとで行っているのです。支配人は署名だけが仕事でございます」

 そして計理官の男は競売の女の全身を足先から頭までじっとりと眺めた。トマスは二人の椅子の不自然な距離の近さに気付いた。

「まあ、私は契約が法的に有効ならなんでもいい。それよりも早く数えてしまおうか」

 トマスは自分の部下の勘定係に言った。その男は「もう少しです」と部屋の中央にどっしりと置かれた大きな机の上に、細い縄で十字に縛られたジェン紙幣をドサドサと積み上げた。まるで茶色の煉瓦が机の上に放り投げられているようだった。勘定係は慣れない重労働に息は切らせながら独り事を言った。

「この紙幣が、価値を持つのはいつまでやら」



 トマスは答えた。

「そのうち、金として使うより煉瓦として使うほうがましな時代がやってくるかもしれないぞ。なんせここ1年で3割も価値が下がっているんだからな。まさに紙屑の煉瓦だ」

 そこにいた4人はクスクスと笑った。
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