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#8「辞めます」という1歩
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#8「辞めます」という一歩
車のハンドルを握りながら、誠一郎は考えていた。年長の自分との出会いから3日。非現実的な出来事は、確実に現実を変えつつあった。
5千円のビジネスホテル。年長の誠一郎の滞在費は全て若い誠一郎が支払っていた。給与からすれば決して安くない出費だが、不思議と躊躇はなかった。それは投資なのかもしれない。自分の人生への投資。
毎日午後の二、三時間。仕事の合間を縫って会う時間は、ほとんどが「辞める」ことについての話で埋められていた。出会った日のファミレスで年長の誠一郎が書き始めたマインドマップは、今や若い誠一郎の机の引き出しに常備されていた。
「今の仕事を辞めるためにすること」
中心に書かれたその言葉から、幾つもの枝葉が伸びている。「社長に辞めると言う」「面談のアポイントを取る」「辞める理由を考える」、そして最後に書かれた「年長の誠一郎を信じる」。その全てが、明日の行動を後押しする道標となっていた。
年長の誠一郎との出会い。その言葉を信じて、誠一郎は社長に電話をした。直接辞意を伝えることはせず、営業の相談という名目でアポイントを取る。土曜日。この会社の社長は、面談を希望する部下との時間は必ず土曜日に設定する。平日は営業優先。休日手当など、もちろん出ない。
本社のある東京・上野まで、片道二時間の道のりを、休日返上で向かわなければならない。以前なら、そんな理不尽さに内心で憤っていただろう。しかし今は違った。この移動時間さえも、全てが計画の一部のように思えた。
これまでも辞めることは何度も考えた。相談相手は同僚か両親。しかし誰一人として、背中を押してはくれなかった。
母親は決まって同じ台詞を繰り返す。「食べていくためには働かないとダメ、辛いのは当たり前、私たちの時代なんて...」。と続き、いつも話は終わってしまう。
同僚、特に他の営業所の所長たちは、仲間意識からか「辞められると寂しい」と引き止めてくる。しかし本心は「辞めるなんて許さない」他の所長たちも辞められるのであれば辞めたいと思っているはずだ。
結局相談したところで欲しい答えはもらえない。
金曜日の午後。いつものファミレスの駐車場に車を停める。明日が土曜日。社長との面談の日だ。午前中の仕事を終わらせ、最後の打ち合わせのために年長の誠一郎との約束の場所へと向かう。
店内に入ると、年長の誠一郎はすでに席についていた。窓際の定位置。こちらに気づくと、穏やかな笑顔で手を上げる。その仕草に、不思議な安心感を覚える。
「いよいよ、明日だな」
「緊張してる?」
「うん、まあ」
「色々考えたり、悩んだりしてると思う」
年長の誠一郎は、若い自分の表情を読み取るように見つめる。
「やるべきこともたくさんあって整理しきれてないことがあるのも分かってる。でも一個ずつ解決していこう」
マインドマップを広げながら、年長の誠一郎は意外な例え話を始めた。
「誠一郎はケンカをしたことないと思うが、ケンカをする時のことを考えて欲しい。10対1のケンカって勝てると思う?誠一郎が1人ね」
思わず首を振る。ケンカは苦手だ。それは今も昔も変わらない。
「そうだろう。じゃあ1対1なら?相手にもよるが、例えば小学生との1対1なら勝てるだろう?」
「まあ...」
「つまり、小学生と1対1のケンカを十回繰り返すだけでいい。やるべきことを可視化して分割する。例えは穏やか
じゃないが、分かりやすくするためだ」
年長の誠一郎は、さらに別の例え話を続けた。
「車で遠くの目的地に行くとき、特に初めての場所なら、まずカーナビに目的地を入れるだろう?分岐点で右左を教えてくれて、100メートル先の指示を出してくれる。実際に目に見えている範囲は限られている。最初から目的地なんて見えない」
コーヒーカップに手を伸ばしながら、年長の誠一郎の声は静かに続く。
「要所要所で右折左折を繰り返す。疲れたら休憩してまた走り出す。目的地だけしっかりしていれば大丈夫だ。途中、事故や工事で通行止めがあっても違う道を探せばいい」
その言葉に、若い誠一郎は深く頷いた。今の目的地は「辞めること」。社長との面談が終われば、次にやるべきことが見えてくる。カーナビに目的地が入っているように、自然と物事は進んでいく。
土曜日の午後。約束の時間は13時。しかし誠一郎は30分前には本社近くに到着していた。HSPな性質からか、遅刻による余計なハンデは負いたくない。手帳を開き、何度も書き出した内容を確認する。
社長とのやり取りのシミュレーション。辞める理由。まだ決まっていない転職先を、広告業界の営業職と取り繕う言
葉。全てが整理されている。
12時59分。社長室のドアをノックする。「はい」という声。深く息を吸い込んで、ドアを開ける。
「失礼します」
その一歩を踏み出しながら、年長の誠一郎の言葉が頭をよぎった。
「まず、1対1のケンカだ。小学生どころかいきなりラスボスだけどな」
明日からの人生を変える、最初の戦いが始まろうとしていた。
車のハンドルを握りながら、誠一郎は考えていた。年長の自分との出会いから3日。非現実的な出来事は、確実に現実を変えつつあった。
5千円のビジネスホテル。年長の誠一郎の滞在費は全て若い誠一郎が支払っていた。給与からすれば決して安くない出費だが、不思議と躊躇はなかった。それは投資なのかもしれない。自分の人生への投資。
毎日午後の二、三時間。仕事の合間を縫って会う時間は、ほとんどが「辞める」ことについての話で埋められていた。出会った日のファミレスで年長の誠一郎が書き始めたマインドマップは、今や若い誠一郎の机の引き出しに常備されていた。
「今の仕事を辞めるためにすること」
中心に書かれたその言葉から、幾つもの枝葉が伸びている。「社長に辞めると言う」「面談のアポイントを取る」「辞める理由を考える」、そして最後に書かれた「年長の誠一郎を信じる」。その全てが、明日の行動を後押しする道標となっていた。
年長の誠一郎との出会い。その言葉を信じて、誠一郎は社長に電話をした。直接辞意を伝えることはせず、営業の相談という名目でアポイントを取る。土曜日。この会社の社長は、面談を希望する部下との時間は必ず土曜日に設定する。平日は営業優先。休日手当など、もちろん出ない。
本社のある東京・上野まで、片道二時間の道のりを、休日返上で向かわなければならない。以前なら、そんな理不尽さに内心で憤っていただろう。しかし今は違った。この移動時間さえも、全てが計画の一部のように思えた。
これまでも辞めることは何度も考えた。相談相手は同僚か両親。しかし誰一人として、背中を押してはくれなかった。
母親は決まって同じ台詞を繰り返す。「食べていくためには働かないとダメ、辛いのは当たり前、私たちの時代なんて...」。と続き、いつも話は終わってしまう。
同僚、特に他の営業所の所長たちは、仲間意識からか「辞められると寂しい」と引き止めてくる。しかし本心は「辞めるなんて許さない」他の所長たちも辞められるのであれば辞めたいと思っているはずだ。
結局相談したところで欲しい答えはもらえない。
金曜日の午後。いつものファミレスの駐車場に車を停める。明日が土曜日。社長との面談の日だ。午前中の仕事を終わらせ、最後の打ち合わせのために年長の誠一郎との約束の場所へと向かう。
店内に入ると、年長の誠一郎はすでに席についていた。窓際の定位置。こちらに気づくと、穏やかな笑顔で手を上げる。その仕草に、不思議な安心感を覚える。
「いよいよ、明日だな」
「緊張してる?」
「うん、まあ」
「色々考えたり、悩んだりしてると思う」
年長の誠一郎は、若い自分の表情を読み取るように見つめる。
「やるべきこともたくさんあって整理しきれてないことがあるのも分かってる。でも一個ずつ解決していこう」
マインドマップを広げながら、年長の誠一郎は意外な例え話を始めた。
「誠一郎はケンカをしたことないと思うが、ケンカをする時のことを考えて欲しい。10対1のケンカって勝てると思う?誠一郎が1人ね」
思わず首を振る。ケンカは苦手だ。それは今も昔も変わらない。
「そうだろう。じゃあ1対1なら?相手にもよるが、例えば小学生との1対1なら勝てるだろう?」
「まあ...」
「つまり、小学生と1対1のケンカを十回繰り返すだけでいい。やるべきことを可視化して分割する。例えは穏やか
じゃないが、分かりやすくするためだ」
年長の誠一郎は、さらに別の例え話を続けた。
「車で遠くの目的地に行くとき、特に初めての場所なら、まずカーナビに目的地を入れるだろう?分岐点で右左を教えてくれて、100メートル先の指示を出してくれる。実際に目に見えている範囲は限られている。最初から目的地なんて見えない」
コーヒーカップに手を伸ばしながら、年長の誠一郎の声は静かに続く。
「要所要所で右折左折を繰り返す。疲れたら休憩してまた走り出す。目的地だけしっかりしていれば大丈夫だ。途中、事故や工事で通行止めがあっても違う道を探せばいい」
その言葉に、若い誠一郎は深く頷いた。今の目的地は「辞めること」。社長との面談が終われば、次にやるべきことが見えてくる。カーナビに目的地が入っているように、自然と物事は進んでいく。
土曜日の午後。約束の時間は13時。しかし誠一郎は30分前には本社近くに到着していた。HSPな性質からか、遅刻による余計なハンデは負いたくない。手帳を開き、何度も書き出した内容を確認する。
社長とのやり取りのシミュレーション。辞める理由。まだ決まっていない転職先を、広告業界の営業職と取り繕う言
葉。全てが整理されている。
12時59分。社長室のドアをノックする。「はい」という声。深く息を吸い込んで、ドアを開ける。
「失礼します」
その一歩を踏み出しながら、年長の誠一郎の言葉が頭をよぎった。
「まず、1対1のケンカだ。小学生どころかいきなりラスボスだけどな」
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