上 下
4 / 12

#4 夜明けの決意

しおりを挟む
# 第4章 夜明けの決意

午前三時二十八分。目を開いた瞬間、誠一郎は時刻を悟っていた。何十年も続けてきた生活リズムは、体内時計として完璧に機能していた。暗闇の中で、ゆっくりと上体を起こす。

「さあ、どうだ」

声に出して確認するように呟く。背中が軽く痛む。後部座席を倒して寝たとはいえ、五十九歳の体には少々厳しい寝床だった。周囲を確認する。大きな自然公園の駐車場。昨夜、慎重に選んだ場所だ。

まだ辺りは暗い。街灯の淡い光が車内にかすかに差し込んでいる。助手席に置いた腕時計を確認する。やはり三時半前。いつもと変わらない目覚めの時間。そして、いつもと同じように冴えわたる意識。

「やっぱりな」

小さなため息が漏れる。しかし、その声には意外な明るさが混じっていた。タイムスリップという非現実的な出来事が、夢ではなかったことへの安堵感。いや、それ以上の何かを感じていた。

誠一郎は意識的に、その感情を言語化してみる。解放感─。そうだ、これは間違いなく解放感だった。地方都市一等地の自社ビルで、毎日のように部下たちと向き合い、際限のない判断を迫られる生活から、突如として解き放たれた感覚。

若い自分との再会。その予期せぬ展開に、胸が高鳴るのを感じる。この興奮は、新規事業を立ち上げる時や、大型案件を成功に導いた時にしか味わえない類いのものだった。

しかし、すぐに現実的な課題が頭をよぎる。衣食住の確保。特に金銭の問題は深刻だ。財布も持たず、この時代に存在するはずのない五十九歳の自分には、銀行口座すらない。

「日雇いか...」

その選択肢は、すぐに否定された。合理的な判断を常としてきた誠一郎には、その道が最適解でないことは明らかだった。現代の日雇い労働は、ほとんどがスマートフォンやインターネットを介して仕事を探す。その手段すら持たない状況で、どうやって仕事を見つければいいのか。

そもそも、社長として長年経営に携わってきた自分に、肉体労働が務まるのか。いや、それ以前に、正体不明の五十九歳を雇ってくれる場所などあるのだろうか。

「若い誠一郎を頼るしかない」

その結論には、迷いがなかった。記憶を手繰り寄せる。この時期の自分がどこに住んでいたか、どんな生活を送っていたか。両親の家から十五分。そこそこの築年数のアパートの二階。休日は主に読書か、たまに映画。趣味と言えるほどのものはなく、ただがむしゃらに働いていた時期。

「正体を明かすべきだ」

その判断にも躊躇はなかった。自分のことは自分が一番よく分かっている。二十九歳の誠一郎の性格、価値観、そしてこの時期特有の悩み。誰よりも理解しているはずだ。

車のシートに深く身を沈めながら、誠一郎は考えを巡らせる。タイムスリップ。この異常な状況には、きっと何か意味があるはずだ。偶然とは思えない。むしろ、これは一つのプロジェクトとして捉えるべきかもしれない。

まず、目の前の課題を整理する。衣食住の確保が最優先。その解決には若い誠一郎の協力が不可欠。しかし、いきなり正体を明かして信用を得られるだろうか。証明する手段はあるのか。

閃きが走る。この時期の自分にしか知り得ない情報。両親のこと、アパートの様子、仕事の内容、そして何より、心の内にある悩み。これらの情報は、最強の証明手段になるはずだ。

誠一郎は運転席に移動し、シートを起こした。まだ外は暗いが、少しずつ夜明けの気配が感じられる。汗ばむ空気の中、エアコンをつける余裕はない。ガソリンは大切に使わなければ。

時計は四時を指していた。いつもの行動開始の時間。若い誠一郎も、この時間には起き出す習慣があったはずだ。まだその習慣は継続できていない時期だが、必ず四時に目が覚めるのは、生まれ持った体質なのかもしれない。

車のエンジンをかける前、誠一郎は深く息を吸い込んだ。昨日から何も食べていない胃は、むしろ快調だった。定期的なファスティングの習慣が、今、思わぬ形で役立っている。

シャワーを浴びられないことへの不満は残るが、それも我慢するしかない。今は目の前の課題に集中すべき時だ。若い誠一郎が働いているレンタカー会社。その場所へ向かう前に、もう少し準備が必要だった。

公園の外周を歩きながら、誠一郎は頭の中で計画を練る。最初の接触をどうするか。どんな言葉で切り出すか。想定される反応にどう対処するか。全てを論理的に組み立てていく。

歩きながら、誠一郎は気づいた。この高揚感は、かつて大きなビジネスチャンスを前にした時と同質のものだった。不安と期待が入り混じった、しかし確かな手応えのある感覚。

「とことん楽しんで、結果を出してやろう」

夜明け前の空に向かって、誠一郎は微笑んだ。人生とは不思議なものだ。まさか五十九歳にして、こんな冒険に出ることになるとは。しかし、その予期せぬ展開にこそ、人生最大の意味が隠されているのかもしれない。

空が少しずつ明るみを帯び始めていた。新しい一日の始まり。そして、おそらく誠一郎の人生における、新しい章の幕開けでもあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

タイムワープ艦隊2024

山本 双六
SF
太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。 この世界では、太平洋戦争で日本が勝った世界戦で書いています。(毎回、太平洋戦争系が日本ばかり勝っ世界線ですいません)逆ファイナルカウントダウンと考えてもらえればいいかと思います。只今、続編も同時並行で書いています!お楽しみに!

戦艦大和、時空往復激闘戦記!(おーぷん2ちゃんねるSS出展)

俊也
SF
1945年4月、敗色濃厚の日本海軍戦艦、大和は残りわずかな艦隊と共に二度と還れぬ最後の決戦に赴く。 だが、その途上、謎の天変地異に巻き込まれ、大和一隻のみが遥かな未来、令和の日本へと転送されてしまい…。 また、おーぷん2ちゃんねるにいわゆるSS形式で投稿したものですので読みづらい面もあるかもですが、お付き合いいただけますと幸いです。 姉妹作「新訳零戦戦記」「信長2030」 共々宜しくお願い致しますm(_ _)m

性転換タイムマシーン

廣瀬純一
SF
バグで性転換してしまうタイムマシーンの話

処理中です...