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十一月

文化祭.5

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 一日中続いた文化祭も、もう終わりを迎えようとしている。
「みんなーー!!! 今日最後の曲を聞いてくれ!」
 学校内のほとんどの生徒が集まった体育館。ステージの上で、軽音部のバンドマンが汗を散らして、手にしたマイクに力いっぱいに叫んだ。
 一番前から壁際までパンパンに入った生徒たちが彼に習うように雄叫びをあげて、手を挙げて振った。口笛を吹く声がどこかであがる。彼らの知り合いらしき名前を呼ぶ声が飛び交っていた。

「最後の曲はこれだー!」

 わあわあと声が飽和し、曲の駆け出しのリズムに乗って大きくうねる人波に飲まれるようにして、瑠璃はぽつりと一人でステージを見上げていた。
 その隣に美咲はいない。
 彼女からの告白を断っておいて、なお二人で最後までいようという気にはならず、彼女は途中で別の友達と合流して別れた。
 すでに展示も、列の最後尾を打ち止めして、少しずつ片づけに入っているところもあって行くところもないので、この時間帯はほとんどの生徒がこの広い体育館に集まってくる。
 瑠璃もこのままここで、終わりを見届けるつもりだった。

 結局、奏とはあれから会わなかった。
 今日一日をずっと慌ただしく過ごしていたらしく、時折すれ違っても、常に何かを運んでいたり、他の実行委員たちとばたばたと走り回っていた。

 ひしひしと迫りくる華やかな非日常の終わりを惜しむように、青春ソングを体育館中に響かせるボーカルの声に同調するように、生徒たちは腕や掛け声をあげる。拳を握る強さや声色に切なげな感情がのって、周囲の人間に伝播して、まるで糸で結ばれるように不思議な一体感が生まれていた。

 瑠璃の心にもわずかな切なさが染み入ってくる。
 はらはらと花弁が舞い散るような静かな口惜しさに、唇を引き結んだ。

「瑠璃」
 確かに、ここにはいないはずの声が、はっきりと瑠璃の耳の鼓膜を揺らした。
「――奏」
 横を向いて、ぱちぱちと瞬きする。

 どうしてここに、とは尋ねられなかった。
 もう11月も半ばを過ぎているというのに、奏の頬はわずかに上気していた。シャツのボタンは上までこそしめているものの、ブレザーの上着は手に持っていて、首筋から汗が一筋見えた。
 つい先ほどまで、実行委員としてあちこちを駆けずり回っていたらしい。

「やっと見つけた……この体育館広すぎない? ていうか人多すぎない? お前真ん中にいるし、めちゃくちゃ大変だったんだけど」
「……まぁ、ほとんどの生徒がいるし。一列ずつ見てきたのかよ……てか、お前、実行委員の仕事は?」
「爆速で今の仕事終わらせて、ちょっと抜けてきたから。少し時間できたんだよ」
 と得意げに笑った。

 その瞬間、ぴたりとひび割れた隙間を埋めるように、穏やかな充足感が瑠璃を満たしていく。さっきまでの口惜しさが、ほろほろとほどけていく。
 瑠璃も呼応するようにくすりと笑った。

「実行委員、忙しそうだったな」

 激しい音楽と周りの歓声のせいで、声が聞き取りづらくて、瑠璃は半歩動いて奏に寄り添った。肩がぶつかって、腕がくっつく。

「見ての通りだった。やっぱ当日って何かしらトラブルって起きるもんだよなぁ。万歩計つけてりゃよかった。これは絶対に二万歩いってる」
「ふっ、明日筋肉痛になりそうだなそれ」
「学生の体力全部使ったわ」

 視線を前に投げながらも、瑠璃の耳にはもう奏の声しか入ってこなかった。
 瞳孔にただ景色を映り込ませながらも、視界に入っているのは隣に立つ奏だけだった。
 少しして、どちらからともなく、会話が途切れた。

 するりと瑠璃の右手が、骨ばった奏の左手に掴まれた。遠慮がちに、添えられるだけのそれに瑠璃は苦笑する。ちらりと隣を見上げれば、奏の視線は瑠璃とは反対側に落ちていて、こちらに向いた左耳が赤く染まっているのが、暗がりでもわかった。

「……開口一番に聞かれると思ってたんだけど。今日、どうだったかって」
 瑠璃が美咲と文化祭を回っていたことを、奏は気にしていた。
「……いや、そりゃ気にはなってるんだけど……ていうか、絶対にさっきまですぐ聞こうと思ってたんだけど、いざそうなると後伸ばしにしたくなって……」
「ま、だろうな。お前、今まで自分から告白したことなかっただろうし」
「なかったねえ。初めてだよ。こんなの」

 ぼそぼそと歯切れ悪く狼狽する奏の顔が面白くて、瑠璃はくすくすと笑った。
 奏の手をほどいて、もう一度、瑠璃の方から握りなおす。今度は熱が伝わるように指を絡めた。

「ここ、人がいるけど」
「誰も見てねぇよ。……振ったよ。園田のこと。ついさっき」
「……そう」
 奏はハッとして、それから、表情を緩めた。
「それなりに楽しかったよ。園田とは話もそれなりに合うし、別に知らない仲でもないし、俺の中では随分と仲のいい人間の部類だった。けど、やっぱどうしてもお前の顔が頭に浮かんで」
「僕?」
「そう。例えば展示を見ていて、自分が綺麗だなって感じたときに、奏はどう思うんだろうなって。奏はこれに対して何を思って、どんな顔をして、どういう言葉を俺に話してくれるんだろうなって。それを聞きたくて、見たくて。ずっと、そういう一日だった」

 だんだんと目を見張っていく奏の瞳に星が瞬いているような気がして、瑠璃は気分がよくなって口角をあげた。

「これは多分、他人がいたからこそ顕著に思ったことではあるけど。もっとお前と……奏といろいろなものを見られたら、多分そっちのがずっと、こう、素敵な時間になるんだろうなって、直感で思った」

 瑠璃の気持ちは、ドラマで思い描くような、いつか見た激しくキスを交わすような熱のこもったものではなかった。
 恥ずかしくなって思わず顔を赤らめてしまうような、甘酸っぱい可愛いものでもない。
 まるで日常と変わらない。けれども、一枚のステンドグラスを通して世界を見た時のように、少しだけ景色の色味が鮮やかになった。

 ささやかで愛おしい執着。
 もしも、奏が許してくれるのならば、瑠璃はそれを「好き」と名付けたかった。

「この気持ちに、お前が名前をつけてほしい」

 奏は一瞬、困ったように眉をさげた。それから、喜びを噛み締めるようにくしゃりと顔を歪めて唇を一文字に引き結んだ。
 怖がるように震わせながらも、言葉を紡ぐ。

「きっと……いや、絶対に、瑠璃は、僕が好きだよ」
 瑠璃はにこりと目を細めて、顔を綻ばせた。
「良かった。お前のことが好きだよ。奏。付き合おう」

 誰もが舞台の上に夢中になって、二人の絡められた指先には気づかない。
 そのまま、曲が終わるまでの五分間、二人は手を繋いで離さなかった。

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