放課後の秘密の共犯者が俺にだけ執着する理由

茶々

文字の大きさ
上 下
37 / 43
十一月

動き出す.4

しおりを挟む

 ひとり、帰路に着く。

 瑠璃は学校帰りに立ち寄ったスーパーの袋を下げて、ひたひたと道を歩いていた。
 すでに日は沈み、辺りは真っ暗闇に包まれている。住宅街の街灯の灯りだけが瑠璃の少し先を照らしていて、それを辿るように爪先が冷たい足を進めた。

「さむ……」

 厚手のマフラーに顔をうずめる。
 冬の悪いところは身体を動かすのが億劫になることだ、と瑠璃は顔をしかめた。
 鼻先と耳がきんきんと痛む。
 瑠璃みたいな一人暮らしのやること盛りだくさんの人間にとって、冬は楽じゃない。

 アパートの階段をあがって、自分の家の前を見て、瑠璃は目を丸くした。

「奏……?」

 なんでここに。

 ドアの前で、段ボールに捨てられた子犬のように寒さに震えながら、奏は膝を抱えて座っていた。今日は寒いのに、薄いコートしか着ていなくて、帰りの迎えを断って来たらしかった。
 俯いていた奏が顔をあげた。

 神無月の木枯らしの中で縮こまる奏の姿はひどく儚げで、今にも消え入りそうだった。
 玄関ライトの柔らかい光が溶けた琥珀色の瞳が、戸惑いでうるりと揺れて、映りこむ瑠璃の顔は切なげに歪んだ。
 何度も視線を上下させて、奏は言葉を探していた。
 まるで声の出し方を忘れてしまったみたいに、口を開きかけては閉じると繰り返す。

「……ま、ってた」
 声はか細く震えていた。
「ずっと? お前が?」
 奏は小さく頷いた。
 瑠璃はため息をついて 隣にしゃがんだ。
「……ばか。坊ちゃんが。風邪ひくぞ」
 スーパーの袋を脇に置いて、マフラーでぐるぐる巻きにしてやる。

 瑠璃はぽつりと尋ねた。
「なぁ。なんで、俺なの。お前の周りには人が星の数ほどいる。誰もお前を放ってなんかおかないよ。みんな、お前のことが好きだよ。なのに、どうしてお前は俺にこだわるの?」

 奏にとって、七川瑠璃とは何なのだろう。

「……違う」
「何も違わねぇよ。だって、お前は学校一の優等生の月蔵奏で、何でもできて、人望があって、容姿も地位もあって、皆の憧れで――」

 言いかけた瑠璃はハッとして、奏を見つめた。

「違う。違うんだよ。瑠璃」

 ぽろぽろと小さな宝石のような雫が奏の目頭から零れ落ちて、床に吸い込まれていく。
 瑠璃が初めて見る、奏の涙だった。

「皆が好きなのは、皆から求められているのは、優等生の月蔵奏なんだよ。誰にでも優しくて、何でもできて、ひねくれてもなければ意地悪でもない。まっとうな奏。…………僕じゃない」
 思わず手を伸ばして、白珠を拭う。
「そんなこと、ないだろ。別に、お前がどんな人間でも、大丈夫だって」
「それはできない人の場合だろ? 数学ができない、国語ができない。運動ができない、人間関係が上手くできない。できない自分を肯定して許すために、それで大丈夫だって。ありのままでいいって、みんな言うんだ」

 瑠璃の指が追いつかないほどに、白珠はどんどん溢れてきて、瑠璃は受け止めるみたいに奏の頬を両手で包み込んだ。

「でも、僕はできる。頑張れば、何でもできる。誰からも望まれるような、優等生の月蔵奏になれる。別に僕自身が望んでなくても、みんなが、そう在ってほしいって、そっちの方がいいって喜ぶんだから。そうしない理由なんて、ない」

 ぽつりぽつりと掠れた声で、奏はそう吐露した。
 奏は善人だ。ともすれば、将来世界を掌握できる魔王のような才能を持ちながら、その根は優しくて、誰かが傷つけば咄嗟に助けてしまうくらいには善良なのだ。
 皆の理想像になれるのに、それを捻じ曲げてまで大勢の期待を折って落胆させることは奏にはできない。
 たとえそれで自分が苦しくなるとしても、だ。

 誰かの理想像になれる。周りの人の一番望む姿であろうと懸命に努力して、自我を心の奥底に押し込んで、鍵をかけて、身をすり減らした。
 その果てに、奏は瑠璃と第二閉架図書室で出会ったのだ。

 倒れ込むように奏は瑠璃を抱きしめた。

「瑠璃だけだった。誰の理想でもないただの僕の存在を許して、寄り添ってくれたのは、瑠璃だけだった」

 もちろんこの広い世界、瑠璃以外にもそれを許してくれる人はきっといた。奏が気がつかなかっただけかもしれない。
 それでも、二人は出会って、歯車が綺麗に噛みあうように、ぴたりと凹凸が嵌った。

「ずっと、このままで良かったのに。別にただお前と二人でいられる時間があって、一緒に過ごすことができていれば、それで良かったのに」
 奏は瑠璃の肩に顔を押し付けた。
 布が白珠を吸って濡れていく。

「そりゃ無理だ。本当にそれだけでいいんなら、俺もお前もこんな気持ちは持ってねぇよ。現に、お前は俺が女子と二人で文化祭を回るのを嫌だと思ってるし、俺の気持ちもそれだけでいい、の範疇を超えてきてる」

 それだけでは駄目になった。
 結局のところ、互いに相手の心に踏み込めない中途半端な関係でしかない。いつ切れてもおかしくない関係。かけがえのないのに確かじゃない隣の居場所。
 想像以上に二人の間をつなぐ糸は頼りなくて、それを手繰り寄せて存在を確かめて安心してを繰り返せるほど、時間は甘くない。

「……瑠璃のせいだ。初めは本当にそれだけでよかったはずなのに、お前のせいで、気持ちがおかしくなった。もっとちゃんと、完璧に。自分の全部をコントロールできてたのに。お前が。僕が殺した僕に気づくから。僕にとって、お前しかいないって感じさせるから……」
「はぁ~? それ言うならこっちだって。奏のせいで今まで築き上げた全部がぐちゃぐちゃだわ。ずっと、ずっとこのまま平穏無事にいくんだろうなって。今までなぁなぁに生きてきたのに。こんな、急に。誰かがそばにいることが当たり前に感じるようになるなんて、思ってなかった。お前が俺をそう変えたの」
 奏は少しだけ得意げに微笑んだ。
「じゃあ、お前のせいだし。僕のせいだ」
「なら両成敗か」

 一年って長いんだろうか。短いんだろうか。
 腕の中の温もりが伝わってくるのを感じて、くすくすと瑠璃は笑った。

「あのさ、好き。瑠璃のことが」
 奏は寒さと涙で赤くした頬を拭い、泣き笑いの表情を浮かべてはっきりと口にした。
「お前……」
「もう決まった。瑠璃が好き。大好き。世界で一番だ」
「お、おお……急だな」
 瑠璃は目をぱちぱちとさせてから、肩をすくめた。

「瑠璃と話さなくなってから、ずっと考えてた。前に……あの時口から出た言葉が、本物なのか……ずっと」
「……ん」
「今までのこと全部思い出して、何回も振り返って、並べて……ようやく、瑠璃のことが本当に好きなんだなって、実感した」
「……そっか」

 瑠璃は慈愛に満ちた目で奏を見つめる。

「俺も奏のこと、早く確信持って好きだって言いてぇな」
 奏は頷いて、瑠璃の頬にそっと触れるだけのキスをする。瑠璃はそれを目を閉じて、いつかの春の夕方の瞬間のように受け入れた。

 この感情に名前を付けたい。
 いつしか芽生えてしまったそれを、うっかり無くしてしまわないように、見つめて形を確かめて大事にできるように、責任を持ちたい。

 とくとくと互いの身体に響き渡る心臓の鼓動は、まるでだんだんとその想いが降り積もる音みたいだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...