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十一月
動き出す.2
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瑠璃が返事を言い淀んでいたちょうどその時だった。
「あ、七川。それに園田さん! おはよう」
ここにはいないはずの、あの爽やかな甘さを含む声が聞こえて、瑠璃の心臓は驚愕に飛び跳ねた。
ぎこちない動きで振り向くと、
「……奏…なんで、ここに……」
「月蔵くん。おはよう~。ここで鉢合わせるの珍しいね。月蔵くんって、いつも私より早く登校してるイメージがあったんだけど」
美咲も慣れた様子で奏に手を振った。
「今日はなんか道がいつもよりも渋滞してて、少し遅くなったんだよね」
気付かなかった。
胸をなでおろしながら、瑠璃は奏を見る。にこやかな笑顔をして、まるで瑠璃のことはクラスメイトのひとりで、偶然そこにいあわせただけのように振舞っていた。
「園田さん。めちゃくちゃ耳が赤いけど大丈夫? 今日寒いもんね」
「あ、うん! 平気! マフラーで首元は隠れるけど、耳当てが校則で禁止されてるからちょっと耳はでちゃうよね~。髪下ろしててもきつくなってきたや。ね、七川くん」
「え? あ、ああ、うん。ほんと寒くなってきたよな」
「だよね……! あ、私今日、日直だから! じゃあ! 七川くん! またあとで連絡するね!」
彼女は時計を見てから、ぱたぱたと教室の方へ走り去っていった。
瑠璃がその後ろ姿を眺めながら、文化祭の誘いの返事をどうしようかと考えあぐねていると、奏がいきなり強く腕を掴んできた。
「いっ……た! はぁ!? なに? え、おい!」
そのまま無言で、瑠璃はその場から連れ出される。
声を上げようとしたが、遠くに見知った生徒がちらりと見えて口をつぐんだ。
ここで関係がばれてしまえば、今までのことも、現在瑠璃が悩んでいることもすべてがぱあになる。
その間にも奏はずんずんと進んで、ついには人の立ち入られないあの旧北校舎の方まで来た。
「っ……おいっ、なんだよ! 予鈴まであんまし、時間ないんだぞ」
奏は苛立ちを隠しもせずに言葉吐き出した。
「なに? 告白されたって。聞いてないんだけど」
「誰から聞いたんだよ。それ」
存外に冷たい声だった。
奏には知られたくなかった。
瑠璃の中でまだ何もまとまっておらず、答えも出せていないもやもやした状態で、話を進めたくなかった。
「園田の友達から。人の口に戸は立てられないでしょ……そんな睨むなよ。別に僕が聞こうと思って聞いてわけじゃない。勝手に向こうからバラしてきたんだから」
「……俺がお前にそりゃ言ってないんだから、聞いてないのは当たり前だろ。離せ」
瑠璃は顔をしかめて奏の手を振り払った。
「なあ、もしかして……付き合う気なの?」
こちらを責めるような視線に瑠璃は顔を逸らす。
「……いまんとこ、断る理由もないけどな。それでも、いいかと思ってる」
「断れよ」
言葉の一粒一粒が針のように刺々しい奏の語気に、瑠璃も舌打ちした。
「うるえせぇな。……お前に関係ないだろ」
投げやりに言った言葉に、瑠璃はちらと奏を見て、顔を歪めた。
その表情には、何を言えばいいかわからない。どうすればいいのかわからない。ずっと気づきたくなかったことに気づいてしまったみたいな苦しさがまざまざと浮かんでいた。
――嘘でも関係あるって言やぁいいのに。
でも、その根が真面目なのが奏だ。そして今の表情から、「やっぱり」と瑠璃は確信して、淋しげに目を伏せた。
「お前も気づいたよな。今までと同じままじゃ、もう満足していられないところに俺たちは来てんだってこと」
「……」
「もう。俺もお前も夏の関係には戻れない。あの時間は、永遠にはならない」
旧校舎の取り壊しは来月だ。
その時間が刻々と迫ってくるように、環境も、二人の関係も何もかもが動き始めてしまった。
「秘密の共有って聞こえはいいよな。誰が知らずとも、自分たちの中だけにはある確かな繋がり。心の中でつながってる感覚。お前はそれを頼りにしてたし、俺も、多分、楽しんでた」
こんな秘密の時間が続けばいい、と瑠璃も思う。
この先の未来のことを何も考えなくてもよくて、あの八月の東屋の時のように、ただ二人の世界だけに浸れるのならば、それ以上のことはない。
でも変わっていく。
瑠璃が停滞しても、奏がこのままずっとこれがいいと叫ぼうとも、全部が進んでいく。
「けど裏を返せば、本当に自分たちが生きる世界では、俺もお前も、相手のことに立ち入ることはできないってことだ。何があっても、関係ないって切り捨てられる。無関係なんだよ。他人のフリをし続けるかぎり、俺たちはどこまでも他人でしかない」
次へと続く瑠璃の言葉がわかったのか、奏は駄々をこねる子どものように首を振った。
「嫌だ」
「奏」
「嫌だ!」
「嫌だじゃねぇ!」
声を荒げた瑠璃に、奏は奥歯を噛み締めて、何も耳に入れたくないように拒絶しようとする。
「もう。秘密の遊びごっこは終わりだ。奏」
静かに、瑠璃は告げる。
「瑠璃……なんで、どうして。なんで今までと同じじゃダメなんだよ」
瑠璃を見つめる奏のか細い声には、薄らと絶望が滲んでいた。
「それくらい、もう俺たちは互いのことを考えてるからだよ、奏。出会って、一緒に過ごして、元に戻ることのできないくらいに、変わってしまった。……もう俺たちは自分のこれからを考えて、自分が持っちまった感情に答えを出さなきゃいけねぇんだよ。逃げるのは、やめだ」
瑠璃の腕を掴もうとして、上げかけた奏の手がだらりと力なく垂れさがった。
それに眉を下げて、「先に行ってる」と瑠璃はそれだけを伝えて足早にその場を去った。
瑠璃と奏、二人だけの秘密で満たされた美しい、ちゃちな箱庭は朽ちて瓦解し、役割を終えた。もうそこに閉じこもることはない。
あとに残されたのは奏ただ一人。
荒れ果てた緑と、枯れた花。さび付いた支柱を縋るように見つめる奏の姿だけがあった。
「あ、七川。それに園田さん! おはよう」
ここにはいないはずの、あの爽やかな甘さを含む声が聞こえて、瑠璃の心臓は驚愕に飛び跳ねた。
ぎこちない動きで振り向くと、
「……奏…なんで、ここに……」
「月蔵くん。おはよう~。ここで鉢合わせるの珍しいね。月蔵くんって、いつも私より早く登校してるイメージがあったんだけど」
美咲も慣れた様子で奏に手を振った。
「今日はなんか道がいつもよりも渋滞してて、少し遅くなったんだよね」
気付かなかった。
胸をなでおろしながら、瑠璃は奏を見る。にこやかな笑顔をして、まるで瑠璃のことはクラスメイトのひとりで、偶然そこにいあわせただけのように振舞っていた。
「園田さん。めちゃくちゃ耳が赤いけど大丈夫? 今日寒いもんね」
「あ、うん! 平気! マフラーで首元は隠れるけど、耳当てが校則で禁止されてるからちょっと耳はでちゃうよね~。髪下ろしててもきつくなってきたや。ね、七川くん」
「え? あ、ああ、うん。ほんと寒くなってきたよな」
「だよね……! あ、私今日、日直だから! じゃあ! 七川くん! またあとで連絡するね!」
彼女は時計を見てから、ぱたぱたと教室の方へ走り去っていった。
瑠璃がその後ろ姿を眺めながら、文化祭の誘いの返事をどうしようかと考えあぐねていると、奏がいきなり強く腕を掴んできた。
「いっ……た! はぁ!? なに? え、おい!」
そのまま無言で、瑠璃はその場から連れ出される。
声を上げようとしたが、遠くに見知った生徒がちらりと見えて口をつぐんだ。
ここで関係がばれてしまえば、今までのことも、現在瑠璃が悩んでいることもすべてがぱあになる。
その間にも奏はずんずんと進んで、ついには人の立ち入られないあの旧北校舎の方まで来た。
「っ……おいっ、なんだよ! 予鈴まであんまし、時間ないんだぞ」
奏は苛立ちを隠しもせずに言葉吐き出した。
「なに? 告白されたって。聞いてないんだけど」
「誰から聞いたんだよ。それ」
存外に冷たい声だった。
奏には知られたくなかった。
瑠璃の中でまだ何もまとまっておらず、答えも出せていないもやもやした状態で、話を進めたくなかった。
「園田の友達から。人の口に戸は立てられないでしょ……そんな睨むなよ。別に僕が聞こうと思って聞いてわけじゃない。勝手に向こうからバラしてきたんだから」
「……俺がお前にそりゃ言ってないんだから、聞いてないのは当たり前だろ。離せ」
瑠璃は顔をしかめて奏の手を振り払った。
「なあ、もしかして……付き合う気なの?」
こちらを責めるような視線に瑠璃は顔を逸らす。
「……いまんとこ、断る理由もないけどな。それでも、いいかと思ってる」
「断れよ」
言葉の一粒一粒が針のように刺々しい奏の語気に、瑠璃も舌打ちした。
「うるえせぇな。……お前に関係ないだろ」
投げやりに言った言葉に、瑠璃はちらと奏を見て、顔を歪めた。
その表情には、何を言えばいいかわからない。どうすればいいのかわからない。ずっと気づきたくなかったことに気づいてしまったみたいな苦しさがまざまざと浮かんでいた。
――嘘でも関係あるって言やぁいいのに。
でも、その根が真面目なのが奏だ。そして今の表情から、「やっぱり」と瑠璃は確信して、淋しげに目を伏せた。
「お前も気づいたよな。今までと同じままじゃ、もう満足していられないところに俺たちは来てんだってこと」
「……」
「もう。俺もお前も夏の関係には戻れない。あの時間は、永遠にはならない」
旧校舎の取り壊しは来月だ。
その時間が刻々と迫ってくるように、環境も、二人の関係も何もかもが動き始めてしまった。
「秘密の共有って聞こえはいいよな。誰が知らずとも、自分たちの中だけにはある確かな繋がり。心の中でつながってる感覚。お前はそれを頼りにしてたし、俺も、多分、楽しんでた」
こんな秘密の時間が続けばいい、と瑠璃も思う。
この先の未来のことを何も考えなくてもよくて、あの八月の東屋の時のように、ただ二人の世界だけに浸れるのならば、それ以上のことはない。
でも変わっていく。
瑠璃が停滞しても、奏がこのままずっとこれがいいと叫ぼうとも、全部が進んでいく。
「けど裏を返せば、本当に自分たちが生きる世界では、俺もお前も、相手のことに立ち入ることはできないってことだ。何があっても、関係ないって切り捨てられる。無関係なんだよ。他人のフリをし続けるかぎり、俺たちはどこまでも他人でしかない」
次へと続く瑠璃の言葉がわかったのか、奏は駄々をこねる子どものように首を振った。
「嫌だ」
「奏」
「嫌だ!」
「嫌だじゃねぇ!」
声を荒げた瑠璃に、奏は奥歯を噛み締めて、何も耳に入れたくないように拒絶しようとする。
「もう。秘密の遊びごっこは終わりだ。奏」
静かに、瑠璃は告げる。
「瑠璃……なんで、どうして。なんで今までと同じじゃダメなんだよ」
瑠璃を見つめる奏のか細い声には、薄らと絶望が滲んでいた。
「それくらい、もう俺たちは互いのことを考えてるからだよ、奏。出会って、一緒に過ごして、元に戻ることのできないくらいに、変わってしまった。……もう俺たちは自分のこれからを考えて、自分が持っちまった感情に答えを出さなきゃいけねぇんだよ。逃げるのは、やめだ」
瑠璃の腕を掴もうとして、上げかけた奏の手がだらりと力なく垂れさがった。
それに眉を下げて、「先に行ってる」と瑠璃はそれだけを伝えて足早にその場を去った。
瑠璃と奏、二人だけの秘密で満たされた美しい、ちゃちな箱庭は朽ちて瓦解し、役割を終えた。もうそこに閉じこもることはない。
あとに残されたのは奏ただ一人。
荒れ果てた緑と、枯れた花。さび付いた支柱を縋るように見つめる奏の姿だけがあった。
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