放課後の秘密の共犯者が俺にだけ執着する理由

茶々

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九月

時すでに.2

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 瑠璃は一人暮らしだった。
 両親とは離れて暮らしていて、一つ県を超えたところに実家があるらしい。今の高校に入学するにあたって、距離や交通手段、登校時間を考えた結果、こちらで一人暮らしすることを決めたのだ。
 だから、誰かがこの部屋に来たことはないと瑠璃は奏に言った。

 それから瑠璃と過ごしていた放課後の時間は、電車の旅から彼の家に場所を移した。
 学校を終えてから、バラバラに教室を出て、瑠璃の家に集合するのが次のお決まりになった。奏が誰かに呼び止められれば、瑠璃は先に家へ帰って、奏を出迎えた。瑠璃よりも先に奏が着いてしまったことが何度かあって、合鍵を作った。
 二時間から三時間。三時間から四時間。
 第二閉架図書室でだらだらと過ごしていた時間を、今度は瑠璃の家で貪るようになっていく。

 いったいどんな風の吹きまわしなのだろう。
 瑠璃に甘えて、家に入り浸るようになってからも、奏はずっと不可解だった。

 瑠璃は誰に対しても平等で、等間隔を保つ。人と深い関係性をもたない。水のように流動的な人間のはずだ。
 だから、瑠璃は奏がどれだけの悪人でも善人でも、彼自身の生活が脅かされることがなければ、態度も言葉も変えない。
 誰もが無意識に期待している月蔵奏の人間性に期待しない。
 奏が適当に、ただそこに存在することを気にしないでくれる人。
 だから奏は瑠璃を秘密の共有相手に選んで、そういう瑠璃だから彼と過ごす何でもない時間が、今の奏を生かしている。彼さえいればこの息苦しさにも耐えられていた。

 同時に、そういう瑠璃だから、奏は諦めていた。
 いつかこの関係性には終わりが来る。
 それが旧館が取り壊されるときなのか、それとも高校卒業するときなのか、はたまた今日なのかはわからないが、瑠璃が二人の関係に煩わしさを感じた瞬間、彼は身を引くはずだ。
 そうしてフッと、糸が砂になって消えてしまうみたいに、この関係も消えるのだと。

 その瑠璃が、奏をプライベートに踏み込ませた。

 何が瑠璃をそうさせたのか。心境の変化でもあったのだろうか。奏は瑠璃のことを注意深く観察してみたものの、その表情や態度からは何も読み取れるものはなかった。
 考え抜いた末に、どうでもよくなった。
 意味だとか損得だとかを差し置いて、嬉しくなった。
 生まれて初めて手にした宝物みたいだった。
 だって自分を生かしてくれている人が、手を広げれば抱きしめられる彼だけの小さな世界に存在することを、資格も賃金もなしに許してくれた。
 紛れもない、奏だけの特別な居場所を、瑠璃は作ってくれたのだ。
 それまで、「ただ在ること」を許されなかった奏にとって、これ以上ない幸せだった。

 瑠璃の家に行くことが好きになった。
 その時ばかりは犬が飼い主に尻尾を振るみたいにるんるんで、学校でも優等生の自分が崩れてしまわないか不安になるほどで。

 そのせいで、奏は変容する自分に気づきさえもしなかった。

「……奏さん?」
 彼女に怪訝そうに名前を呼ばれて、奏は慌てて顔をあげた。
「あ、すみません。京子さん。ちょっとぼーっとしてて」
 奏が眉をさげて謝れば、彼女は心配そうな顔で下からのぞき込む。
「そんな、全然。話過ぎてしまったかもしれません。あの、もしかして具合でも悪いようでしたら、うちのかかりつけ医をお呼びしましょうか?」
「いえ、そういうわけじゃないんで、大丈夫です。ありがとうございます。……えーっとなんでしたっけ。話の続き」
 頬に手を当てて首をかしげる彼女を安心させるように、奏は取り繕った笑みを浮かべた。

 疲れたように天井を見上げる。キラキラと輝く、人工的なシャンデリアの光が目に痛くて、わずかに眉を顰めた。
 今日は、月に何度かの、月蔵家の知り合いたちが持ち回りで主催する立食式のパーティーの日だった。有名ホテルのサロンを貸し切り、きっちりドレスコードも指定されている。
 ホール内をぐるりと一周見渡せば、見知った者もいればそうでない者もいる。幼い頃からの奏に課せられた場の一つ。おかげで人の顔と名前を覚えるのが朝飯前になってしまった。

 隣の女は、父親に用意された今日のパーティーの相手役だった。
 代議士の娘で、奏よりも三つ年上。有名な私立女子大の大学生だという。小綺麗な淡い水色のパーティードレスを着て、品の良い、よく言えば漫画に登場するような、悪く言えば奏が星の数ほど目にしたステレオタイプの令嬢だった。

「ドレスの話ですわ。ドレス。……それでね。その時、内田さんが二つ、ドレスを用意してくれたのだけどね。それがすごく素敵で……あ、内田さんっていうのは私たちがいつもドレスをオーダーメイドする時に指名する人なのよ。彼女、口下手なのだけどとっても手先が器用で、なんでも卒なくこなしてくれるの。店員さんたちってよく人のこと見てるわよね。この前、二つの服で迷ってね――」
 楽しげに話す彼女の話に、奏は適当に相槌を打つ。

 パーティーと言えど、奏が自由に動いていいわけではない。
 父親らがそれとなく自分に勧める意を汲み取って、彼らのために空気を読む接待係に徹する必要があった。
 この令嬢もそのひとつだ。
 奏の父親は、恐らく代議士と関係を持ちたい。子ども同士が仲良くなれば、自然と親も関わる必要が出てくる。「子どもの仲が良いから、自分たちも仲良くしましょう」という言葉を狙って、それを始まりに、交流を深めていくつもりなのだろう。
 逆に彼女の親は、娘の将来に向けて男をあてがい、今の内から嫁ぎ先を選んでいる。候補はあればあるだけ良い。きっと彼女もパーティーごとに違う男と話しているのだろう。

 煌びやかなパーティーも蓋を開けて見れば、低俗な茶番でしかない。
 そこら中で狸と狐の化かし合いがされていて、もしも彼の有名な安倍晴明がいれば、狐狸だらけの光景に腹を抱えて笑うだろう。

「あ、そういえば。このホテルからの眺めって奏さんはもう見ましたか? この前雑誌で紹介されていたのよ」
「眺めっていうと、夜景のことですか?」
「そう! このホテルに宿泊するなら、絶対に夜景の見える部屋にするといいわってお友達が言ってたわ」

 ホテルの高層階のサロンは、壁一面がガラス張りになっており、都会の夜景が一望できた。
 彼女に連れられて窓際に立つと、確かに見事な夜景が眼下にある。
 けれど室内のシャンデリアのせいで、光が反射してしまって、窓に映るのは奏の取り繕った歪な作り笑いのほうが目立って、自嘲気味に笑った。

 嫌な景色だな。

「ね? 綺麗でしょう? 本当は暗くするともっと綺麗みたいなのだけど、仕方ないわね」
「でも、顔を近づけるとよく見えますね。星の海みたいだ」

 あの星々のどこかに瑠璃はいる。
 会いたい、と唐突に思った。
 このパーティーのせいで、今日は一緒に過ごせなかったのが悔やまれる。学校では極力話さないようにしているから、放課後を逃してしまえば、会話すら満足にできないというのに。
 こんな虚しく、息苦しい茶番劇よりも、瑠璃と過ごす方がずっと幸せだった。

「本当。きらきらして、一番星だけ集めた海が広がってるみたいだわ。でも本当は私たちの方がよっぽど一番星なのよ。奏さん」
「え?」
 彼女は口元に手をあてて、クスリと笑った。

「だって、この夜景が見れたのは、このホテルのサロンのパーティーに来られたからですもの。この夜景も、本当は電気の集まりに過ぎないわ。星の海に沈んでいる町中の普通の人たちには、この美しい夜景を見られない。見られないから、自分たちが星の海にいることがわからない。ここに立つことができる、一部の権利を与えられた、私たちみたいな恵まれた人間でなければ、ね」
「だから、本当は僕らの方が星だったことですか?」
「そうよ。普通の人の手は届かない、彼らよりもずうっと高いところで輝くお星さま。だからただの電気の集まりが星の海だと思えるような景色が見られるの。素敵でしょう?」
「……」
「そういう、普通の人よりもずっと恵まれたことに感謝しなきゃね」

 その瞬間、鉄の鎖に足を縛られ、腕を拘束されていくようなひどい苦痛に襲われた。
 瑠璃の隣で心地よい眠りについていた奏は、鎖に引きずられて無理矢理引き離される。巨大な十字架に括りつけられた。鋭い棘を持つ茨に全身を覆われ、掌に杭を打ち付けられる。
 瑠璃が遠くなる。離れていく。消えていく。
 瑠璃に触れたくても、磔にされた奏には手を伸ばすことすら許されない。

 言いようのない衝動が生まれた。
 気が付けば、奏の口は勝手に動いていた

「あの。すみません。ちょっと気分が悪いので失礼します」
「えっ。奏さん? ……奏さん!」

 彼女の声はもう聞こえなかった。
 一目散にサロンを抜け出て、ホテルを飛び出す。
 ロータリーに停まっている空きのタクシーを呼んで乗り込んで、行先を伝えた。

 どうしてだろう。
 奏の心臓はばくばくと鐘のように大きく鼓動していた。
 どうしてこんな大それたことをしてしまったのだろうか。
 今日のパーティーが特別ひどいわけではなかった。それよりももっと退屈な時も、もっとひどい嫌味を言われたこともあったはずだ。その時でさえも、奏は自分を押し殺して接待係に徹していたはずだ。
 それが、今日は出来なくなってしまった。

「今まで……ちゃんとできてたのに……」

 吐露した自分の声色は戸惑いに震えていた。
 今まで、自分のすべてを把握して、調整してきた。自分のことでわからないことなんてなかった。どんなに嫌なことがあっても、どんな息苦しさにも平気そうにして、望まれる人格と笑顔を張り付けてきたのに。
 けれど、今はただ衝動の塊のままに、制御することもできずに飛び出してしまった。
 何がしたいのか、自分でもわからない。頭の中は何も考えられず、真っ白だった。

 けれど、ひとつだけ確かなことがある。

 どんなに綺麗でも、人から羨望を向けられ、憧れの的になれるとしても、誰にも苦しみを理解されない一番星は、孤独で寂しい。

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